※嘔吐表現有り




















外部模試の試験は土曜、試験監督は卒業生のアルバイトというのがうちの学校の通例だ。土曜に試験、さらに普段の授業よりも遅くまで勉強しなければいけないことで俺はだいぶテンション低く自分の机で教科書をめくっていた。
「よお沈んでんなー小枝クン」
「模試なんざ下がるしかないっつーの。もう帰りたい」
「まだ来て3分くらいだろお前」
石見は成績もいいからそこまでの苦痛でもないかもしれないが、俺の成績は底辺を彷徨っている。俺たちは2年なので受験生ほど模試に力は入れていないけれど、それでも成績が気にならないわけではない。
後ろから教科書を覗き込んで声に出して読みだす石見を無視して、深いため息をつき教室黒板よりのドアを開け入ってくる人をぼんやり見ていた。
「…ってえ、は!!?」
「なにどうした」
マフラーやらコートやらを着込んだ生徒たちの後ろから、私服の男性が入ってきた。見覚えのある顔と髪型に、先ほどまでのローテンションが嘘だったかのような大声で叫んでしまった。
クラス中が注目する中、一人だけあからさまに嫌そうな顔をする私服の男性は、去年卒業した俺のバレー部の先輩で俺が好き好き言って猛アタックをかけている相手、矢崎理都先輩だった。
「理都先輩!!!」
「静かに自習していてください」
「先輩おはようございます!!」
「和久野くん静かに」
「…おはようございます」
「……」
「……」
「…おはよ」
「はいっ!!!」
挨拶を返してくれたことだけでニヤつくのを抑えられない。石見や他の友達がどうしたどうしたと集まって聞いてきたが、そんなもの耳に入らない。俺は先輩に飛びつかないようセーブするのと、先輩を眺めるのに忙しいんだ。



英語と国語が終わって昼休み。仕事中はまずいかとこれでも考えて耐えていたのを、ようやく昼休みに先輩に飛びつきにいく。
「せっんぱーい!!!」
「くんな!!」
朝で悟ったらしいクラスメイトたちは、ちらっとこちらを見ただけでもう何も気にしてこなかった。俺より背の低い先輩に抱きつき深呼吸する。
「吸うな、首元で息を吸うな」
「今日も先輩の匂いがします」
「うるせえ吸うなっつってんだろ」
鬱陶しそうに剥がされるのでおとなしくされるがまま先輩から離れる。離れてみたが物足りなかったので腕に抱きついた。視線で文句を言ってきたが、それだけだったのでOKだと捉えてそのまま先輩にくっついて廊下に出る。
「お前、友達いいのか?」
「大丈夫です、あいつらもわかってくれてます」
「それにしてはとてつもなく冷めた目してたけどな」
ふっと先輩が外に視線を移す。空は今にも降り出しそうなどんよりとした雪雲に覆われていた。
先輩を試験監督の待機場所となっている特別教室へ見送った後、教室に返って俺は散々先輩の話をして友達にウザがられた。



昼休みを終えて3時間目の数学は120分という今日一番の長さだ。文系だが数学の好きな俺は普段ならイキイキと解いているところだが、今日は違った。
(気持ちわる…)
生唾を飲み込み小さく咳をする。喉の上の方までこみ上げてくる吐き気に内心で舌打ちした。問題にはさっきから全く手をつけておらず、気持ち程度に握りしめたシャーペンは行き場なく彷徨っている。目を閉じても深呼吸しても吐き気が収まらず、本当にピンチかもしれない。
弁当を食べる時にあまり食欲が湧かないなとは思っていたが、食べなければ午後からの試験に苦しむだけだと食べ切ってしまった。笑えないことにそれが更なる悪化に繋がったのか、空腹よりも辛い吐き気に襲われているのだが。
手で口を押さえ教卓の方を見る。先輩は何かを懸命に書いているようで、気付いてくれる気配はなかった。もたもたしている間にも限界は刻一刻と近づいて来る。
気分が悪いのでトイレに行ってきます、とそれだけ言えればいいものの、妙なプライドがそれを邪魔する。クラスの奴らに心配されるのも先輩に迷惑かけるのも嫌だ。たったそれだけだけれど、俺にとっては死活問題なのだ。
ごぷっと喉の奥で嫌な音がなり、必死で飲み込み目に涙が滲む。嫌な味のする唾が口の中に溜まって気持ち悪い。もはや声を出すことすら出来ないほどにまで追い込まれていた。
大きく息を吸って吐こうとした瞬間、ひときわ強い吐き気が押し寄せてきた。
ーーやばいやばいやばい。
本格的な危機を感じ、無言で教室を飛び出した。

「和久野!?」

先輩の驚いた声と教室のざわめきが聞こえてきたが、俺はそれよりも迫る吐き気を堪えるのに必死だった。
トイレに行くのに他クラスの前を通るのも嫌なので、角の教室であるのをいいことに一つ下の階のトイレへ走る。
こんな時にまで無駄なプライドを捨てなかったからなのか。階段を駆け下りる途中、あっさりと限界が訪れた。なんとか踊り場まで移動し、吐き出す。

「う、ぇっ、げほっ、うえぇ…」

うっすらとしか感じなかった苦い酸味が口内に充満する。食べた量より断然多く見える量の吐瀉物にただただ恐怖が増す。壊れたように吐き続ける身体が自分のものじゃないみたいに感じる。息が吸えない。怖い。

「和久野!!」

視界に先輩が映る。こっちへ近付いてくる。見られてしまう。我慢し切れずに吐いてしまった惨めで汚い姿を。

「和久野……」
「っ、来ないでください!」

叫んだはいいものの、すぐまた次の吐き気が押し寄せてきて吐いた。
その姿に見兼ねた先輩が、真横にしゃがんで背中をさすってくれた。情けないのと安心したので涙が出た。

「ほら、泣くなって。ガキじゃないんだからさ」
「泣きたくて泣いてる、わけじゃない……です……っ」
「はいはいわかったわかった」

少しして吐き終え、おおかたの気分の悪さは解消された。後に残ったのは、床に広がる吐瀉物と気まずさ。

「あの……先輩、俺勝手に後始末してから戻るんで、先教室行っててください。監督いないとあれですし……」
「いい、生徒の様子見るのが仕事ならお前の様子見るのも仕事だから」
「でも……」
「でもじゃなくて。いいよ、俺片付けるし。ていうかお前この後も出れんの?」
「よくないです俺が片付けます!いけますよあと少しだし」
「ほんとかー?」

疑りの視線を向けて、伸ばされた手が俺の額に添えられ止まる。
状況も鑑みず、先輩の手に心拍数が上がる。

「熱い」
「大丈夫です」
「熱あるだろ、だめ」
「帰りません」
「……お前さあ、なんでそんな帰りたくないの」
「先輩がいるから」
「アホか」

ぺしっ、と頭をチョップされた。地味に力強くて痛い。

「それだけならなおいっそう帰りなさい」
「いーやーでーすー……」
「あーもーお前めんどくせえ!」
「う…………」

面倒と言われて凹む。自分でもわかっているけれど、先輩といたいのだから仕様がない。同じ学校内にいなければ会う機会なんて格段に減る。だから今日偶然出会えた時は嬉しかったし、出来るだけ一緒にいたい。
俯いて再び目を滲ませた俺の顔を覗き込むようにした先輩が呆れたように笑った。

「じゃあさ、お前が大人しく帰るんだったら、俺、お見舞い行ってやるよ」
「…………え?」
「それなら文句ないだろ」
「あっいや、文句ないですけど……えっいいんすか?」
「俺が言い出したんじゃん」
「わ…………じ、じゃあ帰る!」
「おう帰りな」

立ち上がろうとしてふと横の吐いたものを片付けなければと思い出す。「それ俺に片付けさせてくれなきゃ行ってやらないから」目ざとい先輩に気づかれ、渋々ながらも頷く。

「荷物取りに行くのやだなあ……」
「取って来てやろうかー?」
「や、そこまでしてもらうわけには……」
「そ。じゃあ口ゆすいでから荷物取って帰りな。お疲れさん」
「あ……あの、先輩。ありがとうございます……あと、寝ずに待ってます」
「寝ろよ」

気持ち悪い口内をゆすぐため、さっきは辿り着けなかった下階のトイレへ向かう。改めて考えると熱い四肢や気怠さのある体に気付いた。重病だったら先輩優しくしてくれるかな、なんて思いながら人のいない廊下を歩く。
後始末を任せてしまったとか、迷惑をかけてしまったとか、反省や後悔はあるけど、先輩が家に来てくれるということが嬉しくてつい笑顔になってしまう。我ながら単純なものだ。
鈍い頭を振り、「悪くないかも」と小さく呟いた。
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