Happy


「あれから、もう一年近く経つんだね。正確に言えば、明日で一年、か」
「何が」
「いや、あの子が学校帰りにうちの店に寄るようになってからさ」

店が開店準備を始める中、椅子にどかりと腰かけ煙草をふかしながら赤司がしみじみしながらそう言う。
赤司の言う言葉は謎めいていることが多く、主語が抜けていることもしばしばだ。
会話はなるべく短く済ませたい青峰が顔を顰めると、赤司は苦笑する。
二人の視線の先には、通称男本を二人仲良く作る黄瀬と緑間の姿があった。
緑間は去年の七夕の日に、このホストクラブで一番人気の男、高尾和成が拾ってきたのだ。
進学校に通い酷い苛めを受けているらしかった彼は、出逢った頃それはそれは暗い少年だった。
瞳に光はなく、心身ともにボロボロになっていたように思う。
それが今はこうしてにこにこと笑いながら、人と会話できるようになったことはよいことだった。

「あぁ、最初はガッチガチだったよな」
「あんなにいいところの高校に通っている子をこんなところまで来させていいのか迷ったけど、よかったのかもしれないね」
「最初仲の悪かった黄瀬もあっという間に懐いたしな」
「そうだったっけ」
「そうだった」

二人は楽しそうにページをめくり、その度にくすくすと笑い声をあげた。
年が近いということもあってか、最初は警戒心むき出しだった黄瀬もすぐに懐き、打ち解けたようだ。
無邪気に楽しそうにはしゃいでいる姿が珍しくて、赤司は目を細めた。
そんな様子と、カレンダーを交互に見やった青峰が低い声で言う。

「本当に、いいんだな」
「何が」
「七月、入っちまったんだぞ」
「分かっているさ、そんなこと」
「…寂しく、ねぇのか」
「寂しいさ。だけど…いつかはそうなることだから、ね」

青峰のその言葉に、決意を貰ったのだろう。
赤司は自嘲気味に微笑むと、少しの間をおいて緑間を手招きして呼んだ。
不思議そうな顔をして立ち上がった緑間に、思わず二人は目を向けた。
少し大きめだったはずの制服が彼に見合った丈になっている。
あの時とは違う。
色んなことが、一年をかけてゆっくりと大きくなり、成長していた。
それはとても喜ばしいことのはず、なのだ。
それなのに、胸を打つこの寂寥感は、一体なんだろう。

「赤司、どうかしたか?」
「真太郎ももう高校二年生の前半が終わったね?…進路は、どうするつもりなんだい?」
「……ええ、と…まだ、未定、だ」
「それは嘘だ。僕に嘘は通用しない。…お前は…此処に就職しようとしているんじゃないのか?」

単刀直入に切り出された赤司の言葉に、緑間が明らかに視線を泳がせる。
やはり、図星だった。
元々嘘を吐くのが下手くそな緑間が、赤司を騙そうと思うことがすでに大きな間違いなのだ。
実際、緑間は高校を卒業した後はこのホストクラブ、『Love Pain』でお世話になろうと考えていた。

一年前の、天気予報通り雨が降った七夕の日。
緑間が気まぐれを起こし短冊に書いた言葉は、温かい居場所が欲しいというものだった。
その願いを叶えてくれるかのように、昨年、緑間は高尾と言う男に連れられ、このホストクラブと言う居場所を見つけたのだ。
最初は雰囲気に圧倒され、中にいる人間の派手な見た目に驚き、萎縮していた。
そもそも、緑間の中で女性に甘い言葉を吐き、高い酒を飲ませ、金を巻き上げるホストと言う人種があまり好印象でなかったというのもある。
しかし、彼らは温かく苛められっ子だった緑間を迎え、そして居場所をくれた。
クラスの人間とも少しだけ話せるようになった。
些細なことを会話する程度なら、友達も出来た。
嫌なことは嫌と、はっきり言えるようにもなった。
それは全て、ここに通うようになり、接客のプロフェッショナルである彼らに優しく励ましてもらったり、指導してもらえたからだ。
いつか恩返しがしたい、と緑間は常日頃から思っていた。
そして考え付いたのは、此処で働くことによって店を盛り立て、営業を少しでも助けることが出来たら…というものだったのだ。
そんな緑間の考えを見透かしていた赤司は、目を瞑り、顔を横に振った。

「こんな言い方はしたくないけれど…お前の通っている学校、偏差値が70近いね。そこへ入るためにしたお前の努力は並大抵のものではなかったはずだ」
「あぁ、…だが、」
「お前の両親だって、沢山の金を支払ってきた。それは全て、真太郎に期待していたからじゃないのかい」

そう問われて、緑間はぐっと口籠ってしまう。
本人も分かってはいるのだ。
自分の通っている高校は都内でも有数の進学校であり、そこから有名大学に進学しない生徒がどんな陰口をたたかれるか。
それも、ホストクラブなんて知れたら、それこそ卒業させてもらえないかもしれない。
緑間はただでさえ、学年トップの成績を取っている。
だけど、と緑間は拳を握りしめた。


×