神に見捨てられた子供は何処に行けば良いのだろう。行く当てもなくふらふらと彷徨い続け、行き場を失い消えてしまった子供の亡骸は一体何処へ捨てられるのだろう。
悲しみの捌け口、苦痛の捌け口。欲望、幸福、苛立ち、悪寒。神様はその全てを持っていて、その全てを常に吐き出し続けている。神という存在は哀れで悲しくて、でもたくさんの人に崇められ続けている虚しい存在。わたしはそれを誰よりも知っている。だってわたしが神と崇める彼は、人々が美しいと唱える彼は、いつだってわたしに沢山の欲望と苦痛と、幸福、悲しみ、悪寒、苛立ち、そして恐怖を吐き出し続けているのだから。
ぼんやりと暗い部屋のなかで、彼待ち続けるわたしはいつもそう。空っぽの心に、彼の吐き出した感情だけを詰め込んで行く。
わたしにとっては彼だけが正義で、神様で、存在を肯定してくれる唯一の存在で。
外の世界は危険。外はわたしを沢山殺す。だから、此処にいれば幸福が約束される。そう言って彼は、ユーリは、わたしに重い枷をつけ外へと出て行ってしまった。
暗闇のなかで一人ぼっちは怖くない。だってわたしは、ユーリに手を差し伸べられる前だって何も変わらない状況だったのだから。
わたしに与えられる、世間一般が"愛"と呼ぶ存在はいつだって歪な形状。でもわたしからすれば、世間一般の愛の形の方がよっぽど歪に見えてしまった。
手綱を持たずに、ふらふらと飛び回る小鳥の行動をどうやって制限しているというの?何処かに行ってしまうかもしれないのに。そう不安に思ったことはないの?
ユーリと外を歩く時、わたしはいつだってそう思っていた。手綱を付けていなければ、いつ何処に行ってしまうかも分からないでしょう。首輪を付けられていなければ、自身が誰の物なのかきちんと証明できないでしょう。
わたしが大好きだったはずの、水色のあの子はただそれを忘れてしまった。手を離してしまった。首輪を付けるのを、自分の物だという証明をするのを躊躇ってしまった。だからきっと、わたしは今此処に存在しているんだと思う。ユーリの手の届く場所で、足枷という重過ぎる証明の証を身につけて。
痛いと思ったことも悲しいと思ったことも、一度もなかった。だってわたしは、それが幸福だと知っているから。
ユーリに与えられた幸福の感情で心のなかを満たしている。だからわたしは、ユーリが幸せなら幸せ。わたしにそれ以上を感じる権利も、それ以上を求めるつもりも一切ない。
からっぽで虚しくて、何処にも行く事ができない羽根を奪われた小鳥。きっとユーリがわたしに飽きれば、わたしは奪われた羽根と共にゴミ箱へと捨てられるんだ。そんな事は、痛いほど分かっている。彼に捨てられた沢山のぬいぐるみを見ていれば、訪れるはずの未来を感じる事は容易な事。
悲しくもない、虚しくもない。わたしにとってユーリに与えられる感情が全てだから。
でもどうしてだろう。過去にわたしを意図せず手放した、大好きだった筈の水色の彼が頭から離れなくて――。
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