あの日、あの人と出会ったのはただの偶然だった。
素良の気紛れでわたしはまた一人になって、素良の意地悪でわたしは怪我をして、それで、また一人でぽつんと歩いて。
それでもいい、わたしはそういう生き方しか出来ないから、それで素良が満足するならそれでいい。
それで、素良の愛が受けられるのなら、わたしは抵抗なんてしないから。
俯いて一歩また一歩と歩けば、名も知らない周囲の人は私を避ける。そうだよね、傷だらけで俯く人なんか、気持ち悪いだけだもんね。
口をきゅっと結んでふらふらと、目的もなく彷徨い続ける。
あの日もそうだった、また別の日もそうだった。炎で赤色に染まる戦場を見た日だって、素良は、自分の気分で同じ事をする。
もうそれに傷付く事はやめたから、痛くはない。苦しくもない。ただ一つ言うとすれば、自分の行くべき場所がわからないんだ。
薄暗い路地に入ったって、素良がいるわけではない。こうして俯いて、立ち止まっても、素良が迎えに来てくれるわけでは、ない。
わたし、きっと逃げてる。けど、何から。
考えても出るはずのない答え。知ってても考えてしまう自分が、どうにも腹立たしい。
結局わたしの帰る場所は素良の隣で、わたしが息をする場所も素良の隣。何をするにも、わたしには素良が必要。
そこまで考えて、わたしは一人で涙を流す。
素良に、捨てられたら、わたしはもう、何も。
暗い路地で立ち止まって、わたしはぼろぼろ涙をこぼす。
もはや止めようとも思わない。止めたところで意味なんかない。嗚咽に苦しみながらも、ただ自分の感情を爆発させる。
そんなことしたって、素良がわたしの事を見てくれないのは、知ってるのに。
「素良、そら…」
「――お前、は」
誰かの、息を飲む声。
どうしてこんな場所に、人がいるの。出かかったその言葉を飲み込んで、わたしは驚きに顔を上げる。
黒い髪に赤いスカーフを巻いた、とても背の高い、意志の強い目をした男の人。
わたしは、彼を知っている。
そうだ、あの日柚子ちゃんが、LDSの人と、それで、彼は――。
驚きで動けないわたしを睨みながら、彼はわたしに話し掛ける。
「あの時のガキは、居ないのか」
ああ、きっと素良のことだ。そう思っても、思うように声が出せない。
貴方は誰?どうしてそんな目をするの?思った疑問は、声にならずわたしの身体の中をぐるぐると回り続ける。
「貴様は何者だ」
「……わたしは臆病だから、貴方の何かにはならないと思う」
「それは俺が決めることだ。貴様は何者かと聞いている」
やっと出た言葉が、こんな物とは。
自分でも切なく思いながら、それでも対話を止めることはない。彼が止めてくれない、の方が正しいけれど。
「わたしは、ただの人」
「貴様融合使いだろう」
「……どうして」
「図星か」
「……わたしのこと、憎む?」
諦めた顔でそう問えば、彼は顔に皺を寄せた。ああ、少し深入りしすぎてしまったか。そうは思っても、今更撤回など出来ない。彼が彼処から来たと知っているのだから、尚更に。
「貴様も、アカデミアの人間か」
「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「もう一度問う。貴様は、何者だ」
「……わたしは、弱者」
「……」
「わたしは、守られなきゃ生きる事すら出来ない弱い生き物」
ただ、それだけ。
わたしは、素良がいなきゃ何もできない。素良に守られて、それが当たり前だと思い込んでいた。多分、いまでも素良が守ってくれるんじゃないかって、わたしは心の何処かで期待してる。
素良はいつだってヒーローで、わたしを助けてくれて、わたしが泣いてれば涙を拭ってくれた。
「……所詮は生きる意志のない愚図か」
「……」
否定も肯定も出来ない。否定をすれば素良を捨てることになり、肯定すれば自分を捨てることになる。
ああ、結局わたしは素良から離れる事ができないままだ。同じ事を何度も考えて、何度も何度も涙を流した。それでも、わたしは素良に甘える。
ぐ、と拳に力を入れて俯けば、彼は小さく舌打ちをした。ほら、わたし、何をしても誰かを不快にさせるから、自分から動きたくないの。
「……わたし、臆病者だから」
「……」
「いまだって、貴方から逃げたいって、ずっと思ってる」
「……愚図め」
「……ずっと、教えられてきた。貴方たちは獲物で、わたし達は狩人だって」
"獲物"という単語を出せば、彼の眉に寄せられた皺はより深くなる。ごめんなさい、けど、今したいのはそのお話じゃない。
「戦いたいわけじゃ、ないよ」
そう言えば、彼はデュエルディスクに伸ばした手を止める。そもそもわたしは戦えないんだ、このまま彼が手を出せば、わたしは間違いなく惨殺されるだろう。あの時彼らが同じ立場だったように。
肩の力を抜いて、彼はわたしの言葉を聞く体制に入る。そんな優しい人が、どうしてこんな事に巻き込まれてしまったんだろう。彼の動作の一つ一つに切なさを感じながらも、わたしは自らの思いを語り続ける。
「わたし、ずっと思ってたの。貴方たちも人なのに、どうして、あんな酷いことをするのかって」
「貴様も、同じ事をしたのだろう」
「……わたし、誰かが血を流すのが怖かった。自分でも、知ってる人でも、知らない人でも同じ。どんな形でも、誰かが傷付くのが怖いの」
「だから貴様は何もしていないと?」
「……何処かで、貴方たちを苦しめたかもしれない。間接的とはいえ、わたしのせいで苦しんだ人も、いるかもしれない」
「……」
「わたし、どんな形でも人を傷付けたくない。そう思ったから、こうして、彼処を出たの」
「其れは、貴様の意志か」
「半分は、そう。もう半分は、一緒じゃないと駄目な人が、いるから」
「其れは甘えか」
「……きっと、違う。そう思いたい」
わたしにも、意志はある。守られている分際で図々しいでしょ。
そう思い自嘲気味に笑えば、彼は驚いたように目を見開いた。止めなきゃ駄目だって思ってたけど、止められなかった。その事実はとても重い。
見て見ぬ振りだ。最低な行為だ。けれど、ぬるま湯に浸かって一人で生きられないわたしが意見できるほど、彼処はわたしに優しくなかった。
だから今、わたしはこうして、我儘を言う。
守られなくちゃ生きられない弱者が、獲物を狩る猛禽に、願う。
「わたし、一人で生きたい。ずっと、そう思ってた」
そうしてわたしは、また逃げ道を探している。
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