(虐待注意)
背中を蹴り飛ばされる感覚に、わたしは悲しみだけを感じ取った。それ以上でもそれ以下でもないこの感覚に、わたしは、わたしの体はゆっくりと侵食される。
やめて、どうして。そんな言葉を吐き出すことは簡単なんだろう。でも、彼の虚ろな目の中にきっと"わたし"という人間は存在しないんだ。
彼の中にあるのは、大切な人と、敵。その二つに分類された全てが彼を蝕み、そして、その身体をゆっくりと崩壊へと導いている。
駄目、いけない。そんな言葉を、わたしに言う権利はない。彼の中ではわたしだって同等に敵として数えられるのだ。だってわたしは、彼の故郷を、ハートランドを襲ったアカデミアの人間。裁かれるべき、敵。
「アカデミアの情報を吐く気になったか」
「情報、なん…て……」
「…未だ、足りないようだな」
「や、やだ…やめて……!」
ぎゅう、と固く目を瞑りわたしは咄嗟に、両手で頭を覆い隠す。蹴られるのも殴られるのも、もう、慣れた。でも、それが悲しいことなのには変わりない。
痛いのは嫌いだ、苦しいのは嫌だ。逃げたくて、解放されたくて仕方がない。
コンクリートの床と彼の足で、わたしの頭が挟まれる衝撃を感じる。わたしの手でいくらか軽減されているとはいえ、あまりの痛みで頭が割れてしまいそうだ。
ぽろぽろと零れる涙が、頬を伝い地面に落ちる。きっと、いくつかの染みを作っているのだろう。
息を荒くし、痛みを必死に耐えるわたしを彼はどんな目で見つめているんだろう。刺さるような感情のわからない視線と、とても大きな舌打ちがわたしの耳へと入り込む。
痛い、怖い。たすけて、素良。
この場に存在しない双子の兄を心の中で必死に呼ぶ。素良が気付いてくれるはずないのは、十分過ぎる程分かっているのに。知って、いるのに。
それでもわたしは、素良に縋る以外救済の方法を、しらなくて。
無力なわたしは、素良に守られて生きてきた。だから、素良を失ったいま、わたしは――。
「紫雲院素良は此処には居ない」
「ぁ……」
「貴様は一人だ、この部屋で永遠にな」
「や、だ……」
「……ほう、未だ拒絶する意志は残っていたか」
どく、どく、と心臓の音が酷く大きく聞こえる。喉の奥から何かがせり上がってくる。脳を締め付けられるような、恐怖心がゆっくりとわたしを食らう。
かえりたい、おうちに、アカデミアに帰りたい。素良の隣に帰りたい。此処は怖い、なによりも、なによりも怖い。悲しい。たすけて、もう、誰でもいい。わたしをここから、救い出して。
願っても願っても、その願いが叶えられる事はない。神様は酷くいじわるだ。そんなの、分かってる。わかってるのに、それなのに。
「たすけて……たすけて、え……!」
酸素の供給が足りないのか、脳が酷い頭痛を訴える。けれどその訴えに応えられる程、今のわたしに理性は残っていなかった。
願いだけを乞う哀れな信者。そう称するのに、相応しい哀れな姿をしているんだろう。
頭がぐるぐるする、もう何も聞きたくない。酷く寒いはずなのに、脳の熱が全身へと周り、酷く暑くて仕方がない。
「……情報を吐けば、楽になるものを」
渾然とした脳が最後に聞いた言葉は、酷く酷く、冷たいものだったような、気がした。
≫
back to top