長い黒髪。褐色の肌。向かいから歩いてくる堂々としたその姿には、見覚えがあった。
かつて、遊勝塾で柚子ちゃんと激しい戦いを繰り広げた、あの――。
「こうつ、ますみ」
「あら貴方、年上を呼び捨てにする程マナーがなってないのね」
「ご、ごめんなさ、い」
こうつ、さん。小声でその名を訂正すれば、彼女は満足そうに髪を払った。堂々としたその出で立ち、自信に満ち溢れた在り方。少しだけ、羨ましいと思ってしまった。
わたしには、そんなの、無理だってわかってるのに。変なの。
現在地は、舞網チャンピオンシップの会場。ただ分かるのは、それだけ。あの時の彼――名前は知らない――から必死で逃げた末に辿り着いた場所。行き先なんて気にしている余裕もなかったから、此処がどこかなんて分かるはずもなく。
――素良のこと、置いてきちゃった。
その事を思い出して少しだけ震えれば、目の前の真澄さんは怪訝そうな声を上げた。
「……ところで貴方、どうして此処にいるの?」
「あ、あの、わたし、迷子になっちゃって」
「あら、そう」
「…ここ、どこですか」
「この先は出場者専用の入場口。貴方が来た道を戻れば会場出口。右方向に曲がれば観戦席。左に行けば…」
「……?で、かん…」
「貴方って馬鹿なのね」
盛大なため息と同時に、光津さんは頭を抱える。わたし、変なこと言ったのかな。ううん、変なこと言わなかったらこんな反応返さない。やっぱり、変なこと言ったんだ。
「ご、ごめんなさい」
慌てて謝れば、またため息。ため息吐くと幸せが逃げちゃうのに、なあ。
薄暗くて少しだけ寒いこの廊下は、あんまり好きじゃない。外の歓声も少しづつ小さくなって、少しだけ見える外の景色はオレンジ色が僅かに覗く。
もう、夕方。柚子ちゃんの試合はアユちゃんの後だから…もう、結構な時間を一人で歩いていたことになる。
「そういえば貴方、私達の試合の時観客席にいなかったわね」
思い出したように告げられた言葉に、思わず背筋がピンと張る。今までいろんな事があったから、足は痛くないけれど…体は、少しだけ冷たい。
「貴方、いつも居るアイツはどうしたのよ」
「……素良?」
「そう。兄妹?」
「ふたご…」
「あっそう。で、どうしたの?」
「……たぶん、置いて、いった」
「迷子の原因は間違いなく貴方自身ね」
その通りから何も言えない。否定も肯定もしないわたしに、光津さんはまたため息を吐く。わたしのせいで幸せが消えて行っちゃうの、申し訳ないなあ。
「で、貴方。アイツらの所に戻らなくていいの?」
「……よくない、けど…場所がわからないから…」
「あっそう、じゃあね。私行くわ」
そう告げて、黒い髪を靡かせてわたしの横を通り過ぎる。同じ女の子なのに、かっこいいなんて思っちゃった。
このまま真っ直ぐ行けば、選手さんの入場口で、来た道を戻れば…なんだっけ、ええと…。
少しだけ首を傾げて、光津さんに言われた言葉を思い出す。やっぱりわたしは、頭が悪いのかな。
そう思って眉を下げれば、後ろから声を掛けられる。
驚きに、振り向いて後退りすれば…先程居なくなったばかりの、光津さんの姿があって。
「こうつ、さん」
「貴方、何処行くかとか聞かないの!?さっきから調子狂わされっぱなしよ!」
「え、あ…ど、何処にいくん、ですか」
自分から立ち去ったのに、不思議な人。
眉を顰める光津さんに、わたしはただ動けないまま。
じい、とわたしを見る彼女の視線に、背筋がぞくりと震える。どうして?だなんて、そんな疑問を解消する術を、わたしは持っていない。
「質問が遅いのよ」
「ご、ごめんなさい」
彼女の普通がどうもわからない。人が立ち去るときは行き先を聞くのがマナー、なのかな。素良はいつも教えてくれないから、聞かないのが癖になってしまったようだ。
本日何度目か分からない、光津さんのため息。わたしのせいで幸せが沢山逃げてる…と思うとやっぱり、申し訳ない。
「貴方迷子なんでしょう?」
言葉を返さずに、頷く。
「ついて来なさい、知ってるのに連れて来なかったなんて思われたら寝覚めが悪いわ!」
「え、あの、ど、どこに」
「だから!遊勝塾のところよ!」
察しなさい、全くもう!
苛立ちのようなまた別のような、よくわからない反応を返されてわたしはただ戸惑うだけ。
これが噂のつんでれ、っていうもの…なのかな。
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