(お題:ボロ泣きする菟雨)
(飽きた)
紫雲院素良という少年には双子の妹が存在する。素良が何よりも愛し、何よりも彼を苦しめるその少女――菟雨は何時だって、素良を見てはいなかった。
彼女の視線の先に存在する、ピオニー・パープルを抱いた美しい少年。名前は、ユーリ。彼女は何時だって彼のみを見つめ、彼に陶酔し、その鮮やかな紫色へと全てを捧げる。
菟雨を何よりも愛している素良だが、そんな、彼女の信仰心だけは愛することが出来なかった。
「でもね、僕、菟雨の全部を愛したいんだ」
「そ、ら」
明かりのない暗い部屋で、紫の名を持つ双子は対峙する。片方は立ち塞がるように扉の前へ立ち、もう片方は床に座り込み片割れを見つめる。
互いは歪だ。それを何よりも理解しているのは、この場に座り込み、呆然と双子の兄を見つめ続ける菟雨であった。けれど、彼女がそれを理解していることを、素良は知らない。知る方が幸せなのか、知らない方が幸せか。それは、彼らにとってどちらでも無いのだろう。
酷く冷えた声で素良が紡ぐ言葉は、菟雨の心に深く刺さり、ゆっくりとその心を透明な氷で覆ってゆく。……恐怖と依存という、冷た過ぎる溶けない氷で。
暗闇に溶け込んだ部屋で、素良は一歩、また一歩と菟雨の側へと歩み寄る。恐怖で動けなくなった菟雨は、言葉を発することも逃げる事もなく、その場で素良を見つめ続け、ゆっくりと透明な涙を零した。けれど、菟雨も素良も、その透明な涙の存在に気付く事はない。
否、気付く余裕など存在しないのだ。同じ色の瞳を合わせ、見つめ合う二人の意図は、ただの少しも重なる事はない。
同じ色を孕んだ、パズルのピースのように不完全な紫の名の双子。傲慢にも菟雨を信じるアネモネの兄と、そんな素良にとっては何よりも冷酷な紫陽花の妹。
双子は隣に立つのが当然。素良は、当たり前のようにそれを信じている。だからこそ、菟雨が必ず隣に帰ってくるという過去の戯言を、傲慢な程に信じているのだろう。幼い頃の約束が守られる日は、来ないというのに。
「そら、やめて…!」
菟雨は涙ながらに言葉を発する。恐怖に震えたその声は、普段のか細い声を、より頼りない物へと変化させていた。
「いたいのは、もう、やだ……」
嘆くように告げられた拒絶の言葉に、素良は歯を食いしばり、眉を吊り上げる。それは怒りに満ち溢れた表情にも、悲しみに溺れた表情にも見え、何方が正解なのかは、素良にも菟雨にも分からない程に酷く、どうしようもない物だった。
涙が溢れるのが先か、素良が手を振り上げるのが先か。意識の混濁した双子には、もう現状を理解する程の理性は残っていないのだろう。
鈍い骨のぶつかる音と、身体が床に崩れる音。そして、時折聞こえる、菟雨の、理由のない謝罪の言葉。この部屋に響くのは、その三つの音だけ。
言葉を発する事なく、息を乱す事もなく、素良は一心不乱に菟雨へと拳を振りかぶる。何がそこまで彼を突き動かすのかなど、本人にも分かり得ないこと。襲い来る衝動を止める事なく、素良は、目の前の同じ色を孕んだ少女へ吐き出し続ける。
それで良いのか、など、熱に浮かされ理性を失い、衝動に襲われた少年が考えられるはずがなかった。
「ごめ、なさ、…いたい、やだ、いや…いや゛……そら、やめ…て…、ごめんなさ、い、ごめんなさい゛…!」
「……菟雨が、わるいんだよ」
「わたしが、わるい、から…やめて、おねがい……いたいのやだ…やだ…ぁ゛…!」
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