何処までも続くのは青い海で、何処までも広がるのは青い空。それはわたしの大好きな人と同じ音で、同じ色を持っている。
羨ましいとは思わない。わたしの見る世界は狭いから。空を羨むほど、わたしはお馬鹿じゃない。
上を見ても下を見ても、世界には際限がない。世界は広い、けどわたしの視界はひどく狭い。その理由は、わたしの握る手の先に存在する。それくらい分かってるんだ、わたしはお馬鹿じゃないから。
きゅ、と握る力を強めれば同じ力で握り返される。ずっと一緒にいたんだから、言いたいことなんてきっと素良は分かってる。
「わたしをおいて、いかないで、ね」
その小さな願いは、全部そのまま伝わってしまうんだ。わたしの我儘も、不安な気持ちも、何もかも一緒に巻き込んで。
キラキラと光るステージを、ただ二人で見続けている。今ここにいるのは二人だけ。遊勝塾の人たちを置いて、わたし達は違うステージを偵察に来ていた。
手を握ったまま柵に寄りかかる素良を見つめても、その表情が崩れることは一切ない。素良はいつでもそうだ、飄々として掴み所がない。ずっと一緒にいても、隣に立つ時間はとっても短かった。
「……なにかいいもの、あった?」
「駄目、遊矢みたいな面白いデュエリスト中々いないや」
「…居なくて当然、だと思う」
「んー、やっぱり?」
「うん…」
小さく頷いて、もう一度フィールドに視線を戻す。
そうだ、遊矢くんみたいなデュエリストが沢山いたら困ってしまう。……そう思う理由は、不純だけど。
キャンディを舐めてため息を吐く素良に、少しだけ苦笑い。そのままでいい、わたし達はずっとこのままの状態でいいんだ。
少しだけ大きな風が、わたし達の髪を揺らす。果てのない空と同じ水色の髪、何処かへ飛んで行けそうな、幸せの色。
昔読んでもらったお話にいた、青い鳥を思い出してわたしは目を細める。幸せの青い鳥、そんなものが本当にいるならば、今すぐにでも捕まえてしまいたいのに。
キャンディを舐める素良を横目に見ながら、風に髪を遊ばせる。素良と同じ長さの前髪がふわりと浮かんだ。
「…ねえ素良」
「あ、待って。電話」
「弟子一号…」
「はいはーい?」
「――素良!!」
「わっ」
柚子ちゃん、と驚きの言葉を小さく漏らす。
「…そっか、次の試合」
大声にびっくりして固まる素良を他所に、わたしは一人で思考を巡らせる。柚子ちゃんは、つい先日まで素良が師事していたのだ。師匠に晴れ舞台を見せるのは弟子の役目。多分。
柚子ちゃんのデッキ、音姫の融合モンスターに少しだけ期待しながら素良の電話を待つ。
一方的な電話が切れ、素良が硬直から回復したところで会話を再開する。
最初に切り出した物とは、また別の内容で。
「……柚子ちゃんの試合、楽しみ」
「んー、菟雨が楽しみならいいけど」
「…素良は、いや?」
「いーや?弟子の成長を見守るのも師匠の役目だしね、僕も楽しみ!」
「……そっか、ならいいの」
「じゃ、行こっか」
優しい力でわたしの手を握って、ゆっくりと二人で歩き出す。向かう先は柚子ちゃんの試合の舞台、センターコート。
素良を見れば、普段と変わらない安心する笑顔が視界に収まった。
心なしか、機嫌がよさそうにも見えるけれど…わたしには、素良の考えがどうしても読めない。
キャンディを片手に、わたしを片手に。好きなもので両手が塞がれれば、素良の機嫌は良くなるのかな…?
そう思って首を傾げれば、ぐいっとわたしの手は素良に引かれる。
「――どうか、したの」
驚きに小さく呟き隣を見れば、顔を強張らせる素良の姿。驚いて後ろを振り向けば、其処には――あの時の黒い男。
その姿を捉えた瞬間、わたしの頭は真っ白になる。
「なん、で」
「…菟雨?」
「なんで、いるの」
「菟雨?どうしたの、菟雨」
「なんで、なんでここに」
「ねえ菟雨、菟雨ってば!」
――なんで、あのひとがここにいるの。
逃げなくちゃ、今すぐにでも逃げなくちゃ。早く、何処に?わたしはどこに逃げればいいんだろう。
素良の言葉に耳を塞いで、わたしは握られた手を振りほどく。酷く驚いた顔の素良が見えたけれど、わたしは見ないふりをした。
息を吸って、吐き出さずに呼吸を止める。あのひとはわたしを見た、いや見ていない、違う、わたしは今すぐ逃げなくちゃ、手の届かない場所へ!
「っ、菟雨!」
ごめんなさい、素良。
素良を置いて、わたしはただ走る。悲痛な叫びも聞こえないふりをして、驚きと不安に溢れたその顔も見ないふりをして、わたしはあの存在から逃げる。
――猛禽から、必死で逃げる。
恐怖によって見開かれた目が見る世界は、酷く歪んで恐ろしい。
素良以外のものを見るなんて、そんなの嫌。けど今のわたしは、そんなことを言える立場じゃない。
気付かれたらお終いだ。無力な獣は間違いなく喰い殺されてしまう。素良を巻き込むことはできない。
……ああ、わたしが、わたしがあんな事に巻き込まれなければ。
そんな後悔の念が押し寄せても、後悔をする余裕はない。
息を切らして、目的もなく走り続ける。
呼吸が苦しい、けれど立ち止まってはいけない。
「たすけて、そら、素良、あ」
自分から突き放したくせに。
自覚済みの返答を自分に返して、一筋涙をこぼす。
柚子ちゃんの試合が行われるセンターコートを通り過ぎ、わたしはそのまま会場の外へと向かう。
後悔と、謝罪と、寂しさに押し潰されながら、わたしは止まらない涙に蹲った。
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