ハリネズミ | ナノ
(捧げ物)

「桜の香りは、どうも人を惑わせるみたいだね」

月明かりの差し込む暗い部屋の中、わたしたちは、真っ白いシーツの上で互いの体を寄せ合っていた。
甘く暗い夜の帳が、桜の香りと共にこの部屋を覆い尽くす。白い花瓶を身にまとった、窓辺で眠る薄桃色の桜は、ただ何も言わずわたし達をそっと見守り続けている。
貴族と奴隷が恋をしてはいけないように、わたしとユーリは、愛し合う事を許されていない。
わたし達は、この暗い夜にだけ隠れて愛を囁き合う、暗闇でしか存在できない影のような関係だった。
大好き、愛している。そんな簡単な言葉を太陽の下で吐き出せば、壊されてしまうのは立場の低いわたしの方だ。彼はこのアカデミアにおいてとても優秀で、有力な絶対的存在。
……わたしのような小さな人間が、こうして、触れられるだけでも。

「…ゆーり、」
「ん…、どうかした?」
「……まどわせる、って、なに?」

青色を溶かしたような暗闇の中、わたしはゆっくりと言葉を紡ぐ。少しだけ眠たい、けれど、折角ユーリと一緒に居るんだもの。このまま眠ってしまえば、折角の幸福な時間はチョコレートのように溶けて消え去ってしまう。そんな寂しいことは、どうにも避けたいものだった。
「眠いのかい?」
心配そうなユーリの声。ユーリに嘘は吐きたくない、けど、ユーリと離れてしまうのは嫌。どうする事も出来ない我儘に挟まれて、わたしは、答えを出せず彼の胸板にそっと擦り寄った。
「…ねむくなんて、ない」
強引に吐き出す嘘に、きっと貴方は気付いているんだろう。それでもわたしを叱ったりしないのは、きっと、同じ事を考えているから。わたしもユーリも、こうして、二人きりでいる短い時間が大切で仕方がないんだ。
朝が来ればユーリは自室に戻って、わたしは、双子の兄と共にアカデミアの戦士として動き続ける。そんな無機質な"本来"を強いる太陽は、なんて残酷なんだろう。……わたし達を隠すように暗い影を作り出す、明るい月だけがわたし達の味方だった。

「…ユーリ、まどわせるって、なに?」
「……そう、だなあ。何て言えば良いんだろう」
「……分かんない…?」
「いや、違うよ。ただ、上手く言葉が思いつかなくて」

そう言ってユーリは少しだけ曖昧に笑った。変なことを聞いてしまっただろうか、そう思い彼の胸板からゆっくりと顔をあげれば、わたしの頬を滑る彼の指にわたしは小さく声を上げた。
ユーリのスキンシップはいつでも唐突だ。こうして触れ合う瞬間は確かに好きだが、突然こんな風に触れられては、驚きや色んな感覚が混ざっておかしな声が漏れてしまう。

「くすぐったい…、」
「それだけ?」

意地悪く微笑むユーリは、女性であるわたしよりも綺麗な笑みを見せていて。ずるいなあなんて、頭の片隅でくだらない感情を思い浮かべては、快楽のため息と共に汚い感情を消してしまう。
ユーリが綺麗なのは、今に始まった事ではない。羨むことでも、無いんだ。
ユーリの細い指はいつだってわたしに快感を齎す。その指が視界に収まるだけで、胸が高鳴ってしまうのはもはや反射的なもの。逆らえない、本能。
もっと欲しい、もっと、奥深く、わたしの疼きをぐちゃぐちゃに溶かすような快楽が――。
そう願った瞬間、ユーリはわたしの体から手を引き、いつもと変わらない曖昧な、酷く意地の悪い笑みを浮かべてわたしに言葉を投げかけた。

「惑わせる、の意味は分かった?」

突然消えた感覚に呆然とするわたしを、笑みを深め観察するユーリに――怒りなどという高尚な感覚ではなく、ただ、果てのない喪失感がわたしを襲った。
どうして止めてしまうの、どうしてこの先をくれないの。自分の指で彼のなぞった後を追っても、あの快感は少しも得ることなどできなくて。
無意識に浮かんだ大粒の涙が、ゆっくりと頬を伝い白いシーツに染みを作った。


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