(捧げ物)
(デニスくんの立場捏造)
「……もう、泣きたくない、のに」
「じゃあキミは捨てられてもいいのかい?」
滑稽とでもいうような笑みを浮かべてあの人はそう言った。少しだけ赤い髪を揺らして、ただその丸い目でじっとわたしを見つめてる。少しだけ居心地が悪い、けど、逃げ出したらきっとわたしは痛い思いをするんだろう。そうすれば、自然に、わたしは涙を流すに決まってる。
どうして彼にこんな事を相談しているのかな、する理由は?どうしてこんなことをしているんだっけ。無理に思い出そうとすると、少しだけ頭が痛くなる。だからわたしは、ただ、考えることを止めた。
わたしが今するべきなのは、自分の頭の中の言葉を吐き出して、彼に伝える事だけ。それさえすれば、わたしは、今この場では泣かないでいられる。
「キミは本当にかわいそうだね!」
本当はそんな事思っていないのに。そうやってみんな、わたしの周りの人は、わたしにばかり嘘をつく。嘘で固められたわたしの世界は、いつになったら、崩れて消えるんだろう。嘘臭さが蔓延したわたしの世界は、もう、息をするのも苦しいほど。それでもみんな、嘘を吐くのをやめてはくれないんだ。
「菟雨、ボクは嘘をついたことなんて一度もないよ」
「それも、嘘?」
「嘘だとしたら?」
「……どうすれば良い、の」
「キミはもう少し自分で考える努力をしたらどうなんだい?」
呆れたような物言いで、彼は大袈裟なくらいのため息をつく。それを演技だと分かっているのに、それでも、わたしの体は反射的に小さく震え身構えてしまった。
ため息を吐く時は、痛い行為が始まる合図。それをわたしに教えたのは、紫色の、わたしが何よりも嫌いで、何よりも愛していなくちゃいけない、今この場には存在しないわたしの神様だった。
あの人と目の前の彼が一緒に話す姿を、わたしは何度も目にしている。だからきっと、彼も、わたしがこういう反応をすると理解しているんだろう。
なんて酷い人、そう思って唇を噛む。けれど、そんな些細な行動をした所で何かが変わるわけではない。
悔しくて悲しくて、自分の無力さに俯くわたしの輪郭を、彼の指がゆっくりと撫でてゆく。怖い、いやだ。そう思った瞬間、彼の指はわたしの唇をそっと撫で上げ、人差し指の腹をそっと下唇に押し付けた。
「キミは彼を喜ばせるために存在する、忘れちゃいけないよ」
「……」
「返事。ちゃんとしないとユーリにまた、
――怒られちゃう、よ」
嘲笑うような嫌な声。わたしの嫌いな嫌な声。耳元て囁かれたその言葉は、わたしに恐怖を与えるには、十分すぎて。
恐怖で息を飲むわたしを、彼はどんな顔で見つめていたんだろう。痛いくらいに注がれる視線を受け続けながら、わたしは呼吸をどろどろに溶かしてゆく。ああ、もう、上手に息ができない。苦しくて、仕方がない。
「わすれて、ない…よ、わたしは、ユーリの、」
……ユーリの、何なんだろう。
考えれば考えるほど、何もかもが分からなくなる。目の前の彼に聞いたところで、正しい答えなんてきっと与えられないんだろう。わたしに必要なのは正解じゃない、そんなことは、とうの昔から分かりきっていた。
「ンー、キミは賢いからね。変な事ばっかり考えてしまうだろう?いいんだよ、何も考えなくて」
「……そんなの、できるはずが」
「出来るかどうかじゃない。キミは、考えちゃいけないんだ」
脳を蹂躙するような、嫌な笑い声がわたしの中を覆い尽くす。やめて、なんて、拒絶できたらどれほど幸福なんだろう。
その言葉にわたしが救われる事はない。きっと、彼だってそれを分かって言っているんだ。
自分を空っぽにできたら、それはきっと幸せなこと。けど、そんな事出来るはずが。わたしだって人間、そう思って、また唇を噛み締める。与えられた言葉だけを咀嚼して生きるのは、些か寂しすぎるから。
「…貴方の言うことをきかなきゃ、だめ、なの」
「そうだねえ。ボクの言葉を聞いておいた方が、幸せなんじゃないかな」
薄い笑みを浮かべて、彼は何でもないようにそう言葉を紡ぎだす。その幸せの定義はきっと、わたしが基準の物ではないのだろう。頭の隅でなんとなく察したその事実は、ゆっくりとわたしの心を蝕んだ。
彼の紡いだ返答は、わたしの求めた物とは似て非なる存在だ。けれどわたしに、これ以上を求める権利は存在しない。
彼に言いたいことは沢山ある。けれど、彼にわたしの言葉を聞く義務など無く、同時に、わたしに彼へと言葉を吐き出す権利も存在しない。
「……しあわせ、って、なに?」
「…さあね、ボクにも分かんないや」
聞く必要の無いくだらない質問に、彼は笑みを浮かべそっと答える。
…その答えが何処か悲痛に感じたのは、錯覚だったのだろうか。
わたしに、それを追求する権利は与えられていなかった。
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