甘いものは嫌いだけど甘いものを食べているときの素良は好き。じゃあわたしは甘いものが好きなの?
そんな簡単なことにすら結論を出せないまま、何年が経っただろう。わたしの手の上にある薄桃色のキャンディをそっと握りしめれば、嘲笑うかのように包装紙はかさかさと音を立てた。貴方は意地悪なのね、そう思い握りしめた手に力を込める。このままバラバラになってしまえば、わたしは貴方の事で頭を悩ませる必要なんかもうないのに。
昨日の夜のおやすみのキスは、桃の味がした。たぶん、素良は昨日貴方のお友達を食べたんだろう。貴方のお友達は、素良の身体のなかで今頃眠っているんだよ。それを羨ましいと思う?嫌だと思う?わたしが貴方なら、前者を選ぶけれど。
もしあなたが後者を選ぶのだとしたら、わたしはこの場で貴方をゴミ箱に捨ててしまうよ。あなたの幸福を、わたしが叶えてあげる。
素良の手で不幸になる人は少ない方がいい。貴方は人ではないけれど、貴方が素良によって不幸になるのなら、わたしはそれをどうにかして阻止してみせる。わたしは甘いものが嫌い、けど、素良の為なら嫌いなものでもちゃんと食べられるよ。好き嫌いは駄目なんだって、ずっとずっと、教えられてきたから。
たとえ素良が口にしてしまったあとでも、貴方を不幸にさせないためにわたしはその口内から貴方を救い出して見せる。
「それは、あなたがしたいだけじゃあないの?」
「……そんなこと、ないよ」
素良とのキスは嫌いじゃない。けれど、好きと言えば嘘になる。砂糖を溶かしたような甘い唾液がわたしの口に入ってくるときの不快感は、どうしても耐えられないから。けれど、キスという行為の満足感を天秤にかければ、満足感に天秤は迷わず傾いてしまう。だからわたしは、素良とのキスを繰り返す。家族がキスをするのは、おかしいことではないのだから。
握りしめられたままのキャンディは、クスクスと声を上げて笑い続ける。何がおかしいのかな、そう思って握りしめた手をそっと開けば、キャンディは、意地悪な声でわたしに言った。
「あなたみたいなわがままなこ、いつか、ほんとうにきらわれちゃう」
あはは、と笑うキャンディにわたしはただまばたきをする。そんなこと、十分すぎるくらい分かってるよ。いつか嫌われちゃうことも、今嫌われていない事が奇跡だってことも、隣にいることを許されているだけ、わたしは幸福だってことも。
意地悪なキャンディはお喋りが大好き。だからわたしは、そんな貴方に付き合ってあげるの。一人でいる時間は、どうも少し退屈だから。
ほんの少し中身を覗かせた薄桃色は、絶えない笑い声でわたしを糾弾し続ける。あなたはわるいこ、ひどいこ、おかしいこ。一番わたしが分かっている言葉を、何度も何度も、痛いくらいに繰り返す。
悪い子でいいの、酷い子でいいの、おかしい子でいいの。なにも、問題なんてないんだから。大切な人の為に、貴方たちの願いを叶えるわたしは、貴方たちにとって、大層な呼び方をすれば救世主のはずだけれど。
素良を不幸にしないために、その矛先をわたしに向ける。ただそれだけの行為が、どうして糾弾されなきゃいけないの?だめって、大声で叫ばれなくちゃいけないの?
意地悪は嫌い。それが正当なものならわたしもちゃんと受け入れるよ、けど、貴方たちのそれは、ただの逆恨みじゃない。
貴方たちの幸福はわたしが叶えた、食べられたくないという願いを叶えて、誰にも食べられることのないゴミへと貴方たちを生まれ変わらせた。貴方たちの願いは叶えられた、じゃあ、貴方たちはわたしに感謝しなければいけないでしょう?それを願ったのは、貴方たちだから。
我儘なのは、わたし?それとも貴方たち?それとも、わたしをこういう人間にさせた素良?それとも、また別の、誰かなの?
わたしは考えることが得意じゃない。悪い頭を必死に動かしても、いつだって素良みたいに素敵な提案は出来ないから。
ごめんなさい、こんな人で。でもね、頭の悪い人でもね、悪い子でもね、酷い子でも、おかしい子でも出来ることはあるんだよ。
わたしは、わたしの出来ることをしてるだけ。それ以上でも、それ以下でもない。
わたしが何かするのはいつだって、素良の為。それ以外は、何もない。こんなわたしは最低なのかな、歪なのかな、おかしいかな、変かな。もしこの行為が肯定されないのなら、わたしはもう、何もできることがないのだけれど。
「あなたはいつだってさいていなひとよ」
「知ってる、よ」
「じゃあどうしてやめないの?」
「止め方なんて、教わってない」
「やめたいとおもわないの?」
「だって、これが…素良の為に、」
薄桃色の身体に罅が入る。嫌い、そうやってわたしの事を否定しようとする貴方たちは、大嫌い。
わたしは素良の為に生きていて、素良のもので、素良の幸福の踏み台なの。だから、貴方たちの恨みの矛先はすべてわたしに向かなきゃいけない。わたしが生きている理由は、それ以上でも、それ以下でも――。
「――僕が、なにかした?」
「…素良、」
聞こえた声に、はっと顔を上げる。つまらなそうな表情でわたしを見つめる素良に、わたしは、ほんの少しだけ恐怖を感じた。もしも会話が聞かれていたら、とても困ってしまうのだけれど。
わたしの手に握られた薄桃色はなにも言葉を発さない。同じ色の包装に隠れて、息をひそめてしまっている。その煩わしい笑い声も、猫を被ったように消えてしまった。ずるい、そうやってわたしに全部押し付けようとしてるんだ。だから貴方たちは、意地悪なの。
貴方たちの、お砂糖を固めた香りがわたしは大嫌い。けれど素良の、お砂糖を煮詰めたような甘い吐息はとっても好き。ねえ、わたし、我儘なのかな。
「それ、キャンディ?」
退屈そうな表情で、素良はわたしに言葉を投げかける。そうだよ、と肯定すれば、予想通りの言葉が返ってくる。だからわたしは、その返答をずっとずっと、考えていた。薄桃色の願いは、まだ、何も聞いていないから。
今にも形の崩れそうな薄桃色を、わたしはじっと見つめ続ける。返答なんてあるはずがない、分かっている。けれど、もしこの場でわたしが断れば、それは間違いなく、わたしの為の行為になってしまう。そして、素良はきっとそれによって不快な思いをするだろう。
わたしは何を選択すればいい?悪い頭で、わたしは必死に考える。正しい答えが出ないのは分かっている、だからどうか、素良が不幸にならない答えを、探して。
「ねえ、くれないなら僕勝手に食べちゃうよ?」
「待、って…」
「やだよ。菟雨、返事が遅いんだもん」
「それは仕方ない、こと……」
「仕方なくなんかない。僕、お預けって嫌いなの」
――ちょうだい?
綺麗な笑顔で素良は言う。ずるい、わたしがその笑顔に勝てないの、一番よく知ってるくせに。
素良の甘いものに対する執着は異常だ、それは、生まれた時から傍にいるわたしが一番よく知っている。その原因も、理由も、何一つ知らないしそれを矯正するつもりもない。素良が甘いものを好きなら好きで問題ないんだ。好きなものを幸せそうに食べる素良を見るのは、わたしも、好きだから。
けど、だから、わたしは甘いものが嫌いで仕方がない。どうしてわたしが一番になれないの?そんな無機質なものの方が、好きなの?小さい頃、何度も何度も考えたその記憶は今でも色濃く残っている。
手のひらの上で転がる薄桃色を、わたしはそっと見つめる。もし貴方が素良に食べられることを望んでいるのなら、もしあなたが、もし、もしも。わたしの脳内は、そんな仮説ばかりがぐるぐるぐるぐると渦巻き続けて息を吐くことを止めようとしない。何が正しくて何が間違っているの?わたしの選択は、本当に、素良の為?
「菟雨?」
――わたしの為じゃ、ないの?
頭の奥で警告が鳴り響く。
ぐらりと揺れる視界が、暗くなるほんの少し前。どこか遠くで、薄桃色をした笑い声が、耳の奥に木霊した。
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