(ちょっと理不尽)
(セレナが意地悪)
紫雲院菟雨とは酷く臆病で哀れで、自らの価値を何一つとして理解していない、最高で最悪の――愚図と呼ぶに相応しい女だ。
私よりずっと弱く、無力で、悲しいほどに周囲の期待を押し付けられている。
何故あの場所に居るのが私ではないのだ。私なら、あの女よりもっと上手にやれるのに。だから私は、いつだって奴が嫌いで仕方がない。
私にない物を与えられて居る癖に、私の方が奴よりずっと多くのものを持っている。弱虫のくせに、いつだってその身に相応しくない場所へと立っている。
何故私ではない、何故お前はそこまで与えられ続けている。
何故、何故なんだ。何故私ではない。優秀である筈の私が、無力な愚図に何もかもを奪われているような錯覚を感じて。
「貴様のような弱者が、何故私の望むものを与えられる!?」
理不尽な程の八つ当たり。それでも私は他にこの気持ちを発散する方法を知らなかった。
その長い水色の髪を無理に引き、壁に突き飛ばせば苦しそうに声を上げる。弱者が一人で歩くからいけないんだ、そうだ。こんな事をする私は、悪くない。
真っ直ぐに切られた前髪を掴めば、痛いですとでも言うように顔を歪め、その目に透明な涙を浮かべた。良い気味だ。
嫌いで嫌いで仕方がなかった人間に、今まで散々積もった怒りを全てぶつける。これ程の快感はそうそう無いだろう。
ぐ、と腹を足で蹴りつければ、声も出せないのかただ瞬きで涙を零した。
「何故貴様なのだ、何故私ではない!」
自らの怒りに任せて、痛みに歪んだその顔を一思いに叩く。酷く気持ちの良い音を立てた頬は、痛み故赤く染まり――叩いた私の手も、ほんの少しの痛みと共にその色を赤く染めた。
奴は一言も言葉を発しない。怯えているのか、いやそれも当然か。
「何故なんだ……何故…!」
不快だ、不快だ、不快で仕方がない。胸が苦しくて仕方がない。
何故私はこれ程苦しむ?何故私はお前ではないんだ、何故私の力は認められない!
お前は実力で這い上がったわけではない。ならば私は何故これ程苦しまなければならない。私が欲しいのは安全な立場などではない、私が欲しいのは――!!
「あげられるものなら、こんなの全部、あげるから」
だから、離して。
掠れた声で呟かれたその言葉に、私は驚きで目を見開いた。
あげられるものならあげる?何故そんな事を言う。何故、貴様はその立場を望んでいるのではないのか?ならば何故私の求める其処に居る?
理不尽な怒りがふつふつと湧き上がる。そんな簡単に投げ出したいと思うのなら、何故与えられた時に拒絶しなかった?貴様が受け入れたから、その事実で私はこれ程収まらない怒りに苦しんでいるというのに。
「貴様投げ出すというのか!?」
「……投げ出せるものなら、投げ出したい」
「それでも誇りあるアカデミアの戦士か!!」
「……ちがう、よ」
「ならば貴様は何なんだ!?意志も願いも持っていない貴様が、私に与えられないものを与えられる貴様は一体なんなんだ!教えろ!!」
「――弱者」
「わたしはただの、弱者、だから」
告げられたその単語に、私は思わず言葉を失った。
弱者?ならば何故貴様は、ああ、分からない、もう何一つ分からない。いや、理解すらしたくない。
俯いた目から覗く、果てのない虚無にぞくりと皮膚が粟立つ。お前は一体何を感じている?何故なんだ、弱く、哀れで、臆病で、何もできない筈のお前は一体、何を抱えている?
ぽたりと零れ落ちる涙は、他者同様透明な色をしている。けれど其処から感じるのは、果てしない不安や憎悪や、苦しみの鱗片。
「……素良に、怒られちゃう」
前髪を掴んだ時より、腹を蹴りつけた時より、頬叩いた時よりも人間らしい、憂鬱げな表情。
赤くなった頬に手を添えたその姿は、悲哀に満ちた聖母のようにも錯覚する。
何故貴様は、そんな。
恐怖か驚きか、それとも何か。私の身体は指一本と動く事なく、呼吸さえも儘ならない。
水色の髪がさらりも揺れるその一瞬に、私は、何処までも続く恐怖を幻視した。
「おまえ、は」
「……まだなにか、ある、の」
「……あと一つだけ、聞かせろ」
息を大きく吸い込み、乱れた呼吸を無理やりに整える。
「お前は――望んで、居るのか?」
吐き出された言葉に、目の前の存在はそっと顔を上げる。
その黄緑の眼に見えるのは、果てしない虚無と冷え切った感情のみ。
分からない、お前のような人間が、こんな場所にいる理由が分からない。
私の方が、奴よりずっと多くを持っている。多くを知っている。
けれど、それ以上に――――私の持っていないその絶望が、大きすぎて。
「………あげられるのなら、全部あげたい。そう、言ったよ」
それだけの言葉を呟いて、奴は私をそっと押し退け何処かへ向かう。奴が何処へ向かうのかなど、私にはもう考える気力などなかった。
今まで無意識のうちにセーブしていたのだろう、本能的な冷や汗が私の首筋をつう、と伝う。
紫雲院菟雨とは、一体何なんだ。
理不尽な程の怒りは、気付けば、理不尽な程の――疑問へと、変化してしまった。
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