ハリネズミ | ナノ
もう、何も見たくない。そう願ったのはわたし自身だ。だからこうして逃げた、こうして走り出した、そういう選択肢を、選んだ。
わたしは我儘なんだ。そんな事、誰よりも一番自分がわかっている。
素良に与えられた事が全ての世間知らず、何も出来ない駄目な子。罵る言葉は山のように浮かんでくる。それくらい、自分が駄目だって自覚はあるんだ。ちゃんと、分かっている筈なんだ。
一人で何でも出来る素良と、一人じゃ何もできないわたし。ずっと一緒に育ったはずなのに、どうしてこんなに差が出来ちゃったんだろう。おかしい、なあ。
それで素良に嫉妬するなんてことはない。だって、わたしは、素良が大好きだから。
けど時々思うんだ。このままでいいのかな、って。素良に与えられる世界を見て、素良の手の上で幸せに生きて、それでわたしは幸せなのかな。素良は、それでいいのかな。
現状に甘えることしか出来ないくせに、わたしは、そうやって我儘を言う。そうしてまた、素良を困らせるんだ。
「わたし、なに、してるんだろう」
泣きそうな声で独り言を吐き出しても、聞いてくれる人は何処にも居ない。
人の居ない暗い廊下。外は今、遊矢くんと沢渡さん(だったか、)の試合に釘付けの状態だ。こんな場所へ来る人なんで、先ず居ないだろう。自分で、そういう場所を選んだんだ。
会場から聞こえる暴風の音、怒号のような歓声。キラキラとした、スターの為のBGMが爆音量で流れてくる。
わたしのような脇役の、日陰者には似合わない、明るすぎる舞台の上。
いいんだ、外から見るだけで。わたしは踏み台でいい。素良や、遊矢くんや柚子ちゃんや、遊勝塾の皆や、名も知らない誰かの踏み台になって、キラキラ輝く姿が見れるなら、それで良いんだ。
わたしは幸せになっちゃいけない。わたしが幸せになって不快に思う人は、ごまんと居るはずだから。

行く当てもなく、会場内をふらふら歩く。ああ、そういえば、昨日もこんな事をしたっけ。
昨日は光津さんが道案内をしてくれたけど、今日は、この場所に誰もいない。わたし一人で、暗い廊下を歩き続ける。
ああ、そういえば、遊矢くんの試合の後は素良と――。
「……見に行かなくちゃ、いけないの…かな」
わたしの腕を引こうとした、あの、黒の名を持つ彼の試合。
紫色の融合と、黒色のエクシーズ。敵対するのはある意味必然だったのかもしれない。それでもわたしには分からないんだ。彼があの日、わたしの腕を引こうとした理由が。
敵対していたから、敵の数を少しでも減らすため、同情、虐げる為。考えれば考えるほど理由なんて分からなくなる。あの時もしも、彼の手を取っていたら。そんなもしもを考えては、ただ恐怖に怯えている。
素良を裏切る事なんて、出来ないもの。そう、そうなの。わたしには、素良しかいないんだから。
たとえ、素良にわたし以外の選択肢があったとしても、わたしは…。
人の居ない廊下で、握りこぶしに爪を立てる。素良に切られた短い爪。どうしてだろう、こんなに短いんだから、深く刺さっているわけじゃないのに……今だけは、酷く酷く、痛くて仕方がない。
何を選べば正解なのか。どの選択肢が不正解なのか。一度選択したものは元に戻せない。そんな単純な仕組み、昔に理解している筈。それなのに、どうしてか後悔が止まらなくって。
今更ああしていればこうしていればなんて、そんな事を思っても、過去に行った残虐な行為が許されるわけじゃないのに。
狩りは、怖い。けど、素良が笑ってくれるからわたしはやるんだ。素良の為、素良の為、ずっとずっとそうやって生きてきた。そうだ、後悔なんてしたら、素良に失礼じゃないか。それに、今まで狩ってきた彼らにだって失礼で、非常識で、悲しくて、辛くて痛くて――。

過去の行いを思い浮かべた瞬間、わたしの思考を遮るように、甲高い鳥の鳴き声が耳を劈いた。
聞き覚えのある鳥の声。そう、これはただの鳥じゃない。あの大きく恐ろしく、機械の翼を持った、彼と同じ綺麗な目の――!
刹那、わたしは衝動に襲われて走り出す。突然の行動に体が驚いたのか、少しだけ肺が痛い。思えば、体力がないと素良によく笑われたっけ。
頭の隅で、そんな幸せな思い出を浮かべながらもわたしはひたすら走り続ける。足が縺れて転びそうになっても、呼吸が苦しくて止まりそうになっても、ただ、二人のデュエルが行われている筈の会場へ走り続ける。
何処が会場かなんて分からない。ただ、声の聞こえる方へと向かうだけ。
素良の考えるエンタメは、きっと、アカデミアで行った"狩り"と同等に違いない。それを、スタンダードの彼らが受け入れるとは到底思えない。わたしの考える通りの行動を、素良が行っているなら――何処かで聞こえるはず。誰かの、小さな恐怖の叫びが。
耳を澄まして、周囲の音を良く探る。空気を切り裂く鳥の声、のんびりとした可愛らしい獣の声、興奮を孕んだ人々の驚き、叫び、期待や恐怖や――――。
「――きこえ、た」
この先を真っ直ぐ行った、LDSのセンターコート。ああ、なんだ、遊矢くんや権現坂さん達と、同じ会場だったんだ。
そんな些細な事実に少しの安堵と焦りを抱いて、わたしは再び走りだす。音の聞こえる方へ、明るい方へ、日の当たった暖かい場所へと。

廊下の冷たい空気が、少しづつ温かみを増してゆく。外が近いんだ。そう思って、わたしはさらに速度を上げる。息が苦しい、もうそろそろ限界なのかもしれない。けれど、ここで倒れたら素良に会えなくなってしまう。もし素良が”アレ”を召喚していたのだとしたら、尚更に。
あと少し、あと少しで見える筈。アクションフィールドのセットされた、センターコートが――。


あれ、おかしい、な。
スタンダードはもっと明るい場所だった、よね。明るくてキラキラして、人々が幸せになれるような、そんな場所だったよね。
どうしてこんな、火が燃えているの?こんなの、まるで、戦場じゃない。
素良がやったのかな、それともあの人?
ゆっくりと、顔から血の気が引いていく感覚に襲われる。嫌だ、怖い、思い出したくない。折角スタンダードにきて、あの、痛くて怖くて仕方がない日々から解放されたと思ったのに。いつかはアカデミアに帰ると分かっていても、少しの幸せを、満喫したかったのに。
「そ、ら」
赤い炎の海の中、素良も、あの人も、こんな場所からでは一切見当たらない。もっと見える場所に行かなきゃ、ああ、素良は、素良は無事なの?大丈夫なの?わたしが見ていない間に、一体何が起きたの?
怖い、怖くて仕方がない。ぐるぐると混乱する頭をそのままに、ゆっくりと、わたしは前へ歩みだす。スタッフさん、ごめんなさい。そこを退いて、お願い、だから。
「君、この先に入っちゃ――」
「行かせ、て」
「試合の邪魔になる、危険だ!」
「そら、素良…やだ……!」
がらりという、フィールド内の建造物が崩れる音に顔を上げる。あんなものにぶつかったら、ただの怪我じゃ済まされない!
スタッフさんを振り払おうにも、もう体力の限界が近いわたしにろくな抵抗は出来なくて。せめても、と思い伸ばした手は、短すぎてなんの足しにもなりはしない。
「素良、いや…嫌だ、やめて!!」
崩れた建造物から、土埃が舞う瞬間、ソリッドビジョンは消え――フィールド内に横たわった素良の姿が、ようやく見えた。
「そ、ら……?」
力なく横たわるその姿に、ただ、敗北の二文字を思い浮かべざるを得なかった。
あの戦場のような赤色は何処にもない筈なのに、わたしの脳に焼き付いたその光景が消えることはなく――。
後ろから、素良の名前を呼ぶ声が聞こえる。ああ、聞きなれた其れは、ただ純粋に素良の身を心配する遊矢くんと柚子ちゃんの声で。
ゆっくりと意識が霞む。ああ駄目、ここで何が起きたのか、わたしは何一つ知らないのに。知らなくちゃ、いけないのに。
二人の声と、スタッフさんの声、そして、司会のニコさんの声がぐるぐると混ざってゆく。全て融合されてしまった先に聞こえるのは、ただ、頭から離れない鳥の鳴き声だけ。
……素良の声が、聞きたいのに、なあ。
そう願っても、聞き入れてくれる大切な人は、隣には、いなかった。


back to top
BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -