手を伸ばしても届かないのなら、いっそ手を伸ばすのを止めるべきか。そう思いそっと指を引けば、わたしの腕は強い力で引かれてしまう。
綺麗な色をした意志の強い目、わたしとは違う自分の道を自分で決められる強さを持った目。羨ましくて目を逸らせば、彼はわたしの顎を親指で持ち上げた。
近い距離、感じる吐息、突き刺さるような強い視線、どくりと動く心臓の音。何もかもがこの状況を色付け、演出の一部として溶け込んでいる。
その薄い唇を見れば、わたしの胸は酷く高鳴る。どくり、どくり、繰り返す単調な動きに抱くのはほんの少しの恐怖。
言葉にならない気持ちが短い喘ぎとなって口から漏れ出す。こんなこと、いけない。そう思い逃げ出そうにも、わたしの腕は彼によって掴まれたまま。彼の視線によって捕らわれたわたしの心が、今更抵抗など出来るはずない。
――このままじゃ、わたし。
どうなるか、などという妄想を切り捨て息を飲む。目の前に迫る彼の顔、あと一歩でお互いの唇は距離を無くしてしまう。
固く閉じた瞳の下、わたしの丸い黄緑色が少しだけ疼いた。
素良以外の人からされる、初めての。
「……恐ろしいか」
「…少し、だけ」
「ならば、止めよう」
そう短くげて、彼はわたしの腕を解放する。あと一歩、ほんの少しの距離だったお互いの顔は、普段と変わらなぬ距離感へと戻ってしまう。
恐ろしかったのは事実、けれど、残念に思ったのもまた事実。わたしは矢張り、我儘だ。
彼へと伸ばしたわたしの手は、彼の黒いコートを掴むことなど出来なくて。
わたしの手は空を掻いて落ちてしまう。その虚しい現実に少しだけ眉を下げた。
わたしが我儘だから、臆病だから、何もかもわたしの自業自得、だから。
貴方が好き、こんなにも好き、だから、もっと触れたいと思ってしまう。
「くろさき、さん」
涙と同時に零れ落ちた言葉は、彼には届かず地に落ち吸い込まれてしまった。
≫
back to top