ハリネズミ | ナノ
薄い雲に隠れた、大きなお月様がキラキラしてた。
本当はもっと綺麗なんだ。お空の中でも一際大きくて明るいお月様、暗い道を明るくしてくれるお月様。
素良はよく言うよ、お月様はまあるくて大きくてクッキーみたいで美味しそうだって。
私は甘い物が嫌い、素良は甘い物が大好き。まるで正反対の双子だけど、私は時々素良が羨ましいと思うの。
明るくてみんなに愛される、お月様みたいな素良に憧れないわけがない。
私なんて、小さくて暗くて喋らなくて、誰にも名前を覚えてもらえない寂しいお星様みたい。
素良のことは大好き、けど時々どうしようもなく羨ましく思う。
私たち双子は歪なんだと思う。ううん、歪んでるのは私だけかもしれない。
私は素良が好き、大好き。多分そのことを素良に伝える日は来ないと思う。

遠くのお月様を見ながらそんなことを考えた。何も考えないで何処か遠くを見てると変な気分になっちゃうから、少しの抵抗みたいな感覚で。
隣でキャンディーを舐めてる素良は、多分私が遠くを見てるのに気付いてない。自分以外見ちゃ駄目って言う癖にちゃんと見てないんだから、素良は本当に意地悪だと思う。
遠く遠くのお月様はキラキラしてる、けど此処から見たお月様は雲に隠れてぼんやりしてる。
ちりちりした虫の鳴き声とかはあるけど、私と素良の間には会話が一切ない。寂しいとは思う、けど素良は我儘が嫌いだから私は何も言わない。
白とピンクで作られたお砂糖いっぱいのキャンディーは私が一番嫌いなもの、素良が好きなものは私の嫌いなもの。だから素良はずるい、よくわからない感情がぐるぐるしてすぐに気持ち悪くなる。私だって、素良に私だけを見て欲しいと思うのに。

「…なあに、菟雨もキャンディー舐める?」
「それ、一番嫌い」
「知ってる、わざと聞いてあげたの」

そう言って素良はまたキャンディーを舐める。ずるいなあ、私がそれ嫌いなの一番知ってるくせに。
ずるいだとか羨ましいだとか、そんな悪い感情ばっかりが私の中を埋め尽くす。素良と二人きりの時はいつもそうだ、周りに気を逸らせる物が何もないからすぐにわけが分からなくなる。
素良の口からチラチラ見える赤色の舌にどうしようもないくらいドキドキするの、けどその舌の触れる対象が私の嫌いなキャンディーなのがどうしても耐えられない。
もしもその舌が私に触れたら?私の唇に、口内に、もっと奥深くに触れられたら私はどうなるんだろう。
知ってる。素良に対する愛情が歪でおかしくて、気持ち悪いって私が一番分かってる。
素良に気持ちを伝えられないのはとっても寂しいし、悲しいし辛い。けど、この気持ちを伝えて素良に嫌われるのならこのままで充分だって思う。そう思って無理やり我慢してる、つもり。
赤い舌の向かう先にどうしても耐えられなくて、私はまたお月様を見る。
黒い雲に隠れてぼんやりしたままのお月様が、どうしてか私を笑ってるように見えた。

「僕、お月様って嫌いだなあ」
「前はクッキーみたいで好きって言ってた、よね」
「好きとは言ってないよお、美味しそうって言っただけ」
「…どうして嫌いなの?」
「菟雨が月ばっかり見るから」

――気付いてたの。
その言葉を言う前に私の手は絡め取られ、見えるのは遠くの夜空と素良の顔だけになってしまった。
分かんないよ、素良が何を考えてるのか全く分からない。子供みたいに我儘で、すぐに意地悪して、私が素良以外を見るとすぐに暴力を振るう酷い双子のお兄ちゃん。
薄くなったキャンディーを噛み砕く音が聞こえた。その音にすら嫉妬しちゃうなんて私も大概だと思う、自覚はあるよ。
棒だけになったキャンディーを遠くへ投げ捨てて改めて私に覆い被さる素良はなんというか、ただ本当に意地悪だなあとしか思えなかった。
素良は多分全部知ってる。私が嫉妬してるのも、変な気分になるのも、素良に抱いてるのが良くない物だってことも。けど私も知ってるよ、素良のその意地悪も暴力も愛情表現だってこと。ちゃんと分かってるよ。
…けどそれならどうして素良は私と同じ気持ちを抱いてくれないんだろう。私はただ、それだけが寂しくて仕方がない。

「……素良はずるい」
「ずるいのは菟雨だよ、そうやって僕が好きだった物をどんどん嫌いにしてく」
「私だってそうだよ。キャンディーだってチョコだって、ちゃんと好きだったのに」
「菟雨は我儘だよ」
「素良だってそう、我儘」

はは、だなんて乾いた笑いが零れる。どっちも笑っているわけじゃない、上辺だけの小さな笑い。
私が嫌いな物は素良の見てるもの、素良の嫌いな物は私が見たもの。じゃあ素良が私を見て、私も素良だけを見ればどう考えたって幸せじゃない。
素良はずるい。どんなに私が考えたって、いつも馬鹿にしたように鼻で笑って言うんだよ。
――菟雨は馬鹿だよねえ。
その言葉が聞きたくなくてどんなに努力したんだろう、素良に捨てられたくなくてどんなに頑張ったんだろう。
素良の中の一番はいつも私じゃない。だからその目線だけでも私に向けて欲しくて一生懸命努力したんだよ、けど向かうのはいつも甘いお菓子ばかり。
ずるいよ、そうやって素良はすぐに私を捨てる。

ちろりと覗いた赤色の舌が、私の瞼をそっとなぞった。
素良と同じ色の目、私の大好きな色、さっきまで大嫌いなキャンディーを舐めていた、あの舌がいま私を舐めたのよ。
私の目はキャンディー以上に価値があるもの?そう思って、そっと両目を開く。素良のぐるぐるした気持ち悪い部分と、私の汚い嫉妬した部分がぐちゃぐちゃに混ざって変な気分になる。素良の愛は分かんないよ、伝わらないよ。
僕だけを見て、だなんて言葉無理に決まってるじゃない。素良だけを見てたら私おかしくなっちゃう、素良が私だけを見てくれないんだからおかしくなるに決まってる!
素良の緑色の目は心なしか虚ろに見えて、ただ何と無く寂しいんだなあって感覚が残ったような気がした。
何が寂しいんだろうとか、何がいけないんだろうとか、そういった言葉は口に出さない。素良の考えを知るのは少しだけ怖いから。

「菟雨は何も分かってないよねえ、僕菟雨以外何も見てないのに、どうして?」
「素良、だめだよ」
「僕は始めから菟雨しか見てないよ、他のものなんて余興程度にしか思ってない。なのにどうして菟雨は僕の言うこと聞かないの?」
「だめだよ、やめて」
「僕は始めから」
「やめて」
「菟雨のことが」
「やめて!!」


そう言って素良の頬を平手打つ。手がヒリヒリする、けどこの先の言葉を聞くよりはずっとましな痛みだ。
この先に続く言葉なんて数える程しかない、私よく分かってる。ねえ素良、それだけは駄目だよ。その言葉を言ったらもう私たち壊れちゃう、もう素良の側に居られなくなる。
もう一人にはなりたくない、だからお願い。そう思って涙を流す。
また殴られるのかな、叩かれるのかな、それとも切られるのかな、それとももっと別の事をされるのかな。諦めにも似た何かが私を襲う。怖いよ、けど素良の言葉を聞くよりはずっとまし。
叩かれた頬に触れたまま、素良はただ呆然としてる。ごめんね、痛かったよね。そう思って患部に手を伸ばせば私の手はまた絡め取られて、押さえつけられる。
痛かったよね、ごめんね。けど他に方法がなかったの。
力を抜いてそっと笑えば、掴まれた手に力が入ったのがよく分かって複雑な気持ちになった。

「……ねえ素良、知ってる?お月様って、人を惑わせるんだって」
「……知ってる、よ」
「……だから忘れよう、こんなの駄目だよ」
「そう、だねえ」

雲に隠れていた筈の月はいつの間にか明るく輝き、隠していた雲は何処か遠くへ消えてしまった。
どうして姿を見せたの、そう問いかけても答えてくれる人がいる筈も無く。
泣きそうな素良をぎゅっと抱き締めれば、私も何故か泣きそうになった。


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