||| マーリンとマスター
痛いのは嫌い。怖いのも嫌い。苦しいのも嫌いで、悲しいのはもっと嫌い。わたしは多分、嫌いなものが多い我儘な子だ。
でも我慢できる物はある。誰かを守るためだったら、辛い事も嫌なこともいくらでも我慢できる。わたしは我儘な悪い子だ、だから少しでもいい子の真似をしなきゃいけない。いい子でいなきゃ、いい子でいるのが当然だから──。
「──嫌悪とは人間に元々備わっている機能だ、キミは一風変わった性悪説信者か何かなのかい?」
そんな自己嫌悪の夢の中。花の香りと、難しい言葉を話す人がいる。わたしは多分、この人がきらいだ。
「……夢くらい、自由に見させてほしいなあ」
「それは失礼。お望みの景色に変えようか?」
「マーリンがいたら意味ないよ」
ぷく、と頬を膨らませてちょっとだけ拗ねてみる。夢の中でくらい、いい子をやめても怒られたりはしないだろう。
「ナマエ、キミは人間だ」
「そうだよ」
「夢魔の私が言うのもなんだが、もう少し人間らしくしたらどうだい」
「わたしは普通だよ」
ぽつ、ぽつ、とお花を咲かせながら歩くマーリンに不快感が積もる。自分のあり方を否定されているような、そんな嫌な気分でわたしは彼の後ろをただ歩いた。何がしたいのか、分からないまま。
色とりどりのお花畑を、行き先も分からないまま歩き続ける。きっと此処は、マーリンが長い間見続けたアヴァロンの景色なんだろう。
一度だけ聞いたことがある。マーリンは、自らアヴァロンで世界と命を共にする事を選んだのだと。
それを聞いた時、何を思ったか。
今はもう、思い出せないけど。
「罪にも様々な種類がある。他者から押し付けられるもの、自らが自らに押し付けるもの、生物の間で発生するもの。他にもあるが、原因は主に言葉と行動だ」
彼はなんの話をしているんだろう。それになんの意味があるんだろう。
「キミに罪はない」
「わたしは悪い子だよ、だから沢山罪があるの」
「誰がいつそう決めた?」
「……」
言葉は、返せなかった。だってもう、なにも覚えていないから。たとえわたしが決めたとしても、本当のことを言えばいつ決めたのかは覚えていない。気付けばわたしは悪い子だった。
昔のことは覚えてない。カルデアに来る前のことはなに一つ覚えていない。だっていつも始まりは同じ場所。何度繰り返しても、変わらない。
「自分で自分を殺すのはもう止めた方がいい」
「だめ、だめなの。出来るんだったら、わたしは続けなきゃいけない。わたしはもう──」
──人が死ぬところを見たくない。
そう、声が重なった。
「……マーリン」
「ああ、やっぱりそうだったか。薄々勘付いてはいたが矢張り」
「……」
「キミ、別世界から来た人間だろう。並行世界……キミの元いた場所は剪定事象というやつかな。どうやって此方に来たかは知らないが、これ以上はやめた方がいい」
正直言えば、その言葉に驚きはなかった。世界の全てを見通すマーリンの目なら、この世界に突然現れたわたしの存在も気付いていただろう。何もなかった場所に突然現れた存在、そんなものがあれば嫌でも目に留めてしまう。
薄々なんて嘘だ、はっきり気付いているくせに彼は多くの特異点を、藤丸立香とマシュとわたしの三人で修復する事を看過してきた。
「殺すの?」
「まさか」
「でもわたし、本当はここに居ない人間だよ」
「キミは人理修復に手を貸している、本来のマスターである藤丸立香の障害ではない。ならサーヴァントの私が手を出す理由はないさ」
「……マーリンは同じことを言う」
「別の世界線だろうと私は私だからね」
「……それも、おなじ」
自覚できるほど、泣きそうな声。何回その言葉を聞いたんだろう。
マーリンはいつもそうだ、気付いて、わたしを止めたりしない。何回やっても、行動を変えても、結果はいつだって同じ。何をしたって、わたしが救おうとする世界は終わってしまう。
悪者を倒せないから世界が救われないの?じゃあ倒してみよう。
倒してみたけど世界は救われなかったよ?じゃあ別の方法を試してみよう。
そんな事を、何回繰り返しただろう。一番最初の記憶すら霞むほど繰り返しても、わたしに2017年が訪れた事は一度もなかった。
わたしは勝てない。戦いに勝利したとしても運命を変えられない。何故わたしが死ぬ直前に同じ場所に戻されるのか、理由も原理も一切分からなかった。
でも、同じことを繰り返して同じ人を見殺しにして同じように何度も死んで──ただ一人も助けられた事がない。そんなわたしは、これ以上ないほど最低の罪人だ。
「諦めたところで誰もキミを責めないよ」
「そんなはずない」
「悪いのは世界だし」
「世界が終わったらマーリンだってしんじゃうよ」
「その時はその時だ」
「死ぬのは怖くないの」
「私は死なないからね、死という恐怖は忘れたよ」
「……もうすぐ、マーリンも私が殺す」
「私を殺すのはキミじゃない。世界だ」
「私が失敗するから」
「失敗を前提に考えるのは良くないぞぅ」
「じゃあ成功するの?ここは何かが違うの?わたしはいつになったら未来に踏み出せる?」
──こわいよ。諦めるのも、戦うのも、息をするのも全部全部怖くて仕方がない。
そんな言葉を吐き出すと同時に、足元に咲いた花が揺れる。強い風に煽られて千切れた花弁が、遠くの青い空に霞んでゆく。
見たことのない藤色の花弁。わたしと違って何処にでも行けるあの花は、一体何処に行くんだろう。
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