||| 隼くんと頭痛
夢を見た。エクシーズ次元が未だ平和だった頃の、ナマエが隣にいた頃の幸福な夢を見た。目が覚めた俺の中に残っていたのは、ただそれだけの事実と鈍い頭痛だけ。不快感に小さく舌打ちをすれば、放置された古い倉庫の中に俺の舌打ちは響き渡る。
倉庫内にユートが居ないのを見ると、恐らくユートは恐らく周囲の見回りでも行っているのだろう。この舞網市が完全に平和であるとは言い難く、赤馬零王の手の掛かった土地である以上警戒を怠ることは死に直結する。それは過去にカード化された者たちへの冒涜以外の、何者でもなかった。
ふとため息を吐き、頭を抱えながら夢の内容を思い返す。夢など見てもなんの足しにもならんだろうとは思ったが、それでも、大切に思っていた瑠璃やナマエの事を少しでも覚えていたいと思うのは仕方のないことだった。
戦火に巻き込まれ精神を擦り減らしている現実は良くないことだ。心の底から安心して休む事ができる場所がない以上、この心はどうする事も出来ない。
あまりに目紛しく変化する周囲の状況に、少しづつ過去の思い出を失っているのは言い訳しようのない事実だ。だから少しでも、今、思い出せるだけ幸福な――大切な者たちの笑顔を脳裏に焼き付け、忘れまいと足掻いてしまう。
自らが助かる為とはいえ、人間をカードにし、かつて最高のショーの見世物として人々を笑顔にするために存在していた40枚のカードを血に染めた俺がそんな事を願うのは、あまりに人間らしい行いだと他人が聞けば笑われるのだろう。それでも俺は、未だ己を人間だと信じて疑わなかった。
――瑠璃、ナマエ。
融合次元へ連れ去られたと思しき二人の事を思い出せば、後悔と苦しみだけが俺の中に募って行く。二人はとても仲の良い姉妹だったのだ。俺が何よりも大切にしてきた、愛しい妹達。
ナマエは未だ10にも満たない幼い少女だというのに、次元戦争に巻き込まれレジスタンスとしての活動までも強いられ、更には俺が油断した隙に瑠璃同様多次元へと連れ去られ――ああ、思い出せば思い出すほど虫唾が走る。
何故俺の妹たちが巻き込まれねばならなかった?何故奴らは二人を誘拐したんだ。計画しての行動か?それとも誰でもよかったのか?瑠璃は、ナマエは無事なのか?苦しい思いは、痛い思いはしていないだろうか。考えれば考えるほどに、あの時二人を守ることができなかった無力な己に腹が立って仕方がない。
瑠璃は俺が目を離した隙に誘拐された。だが、ナマエは俺の目の前で連れ去られたんだ。俺はあの瞬間を今でも忘れることができない。
周囲に誰がいたのかも、その時俺がどんなデュエルをしていたのかもぼやけてしまっているのに、あの時のナマエの叫び声と、ナマエを誘拐した青い服の厭らしい笑みは俺の脳に焼き付いて離れる事を知らない。
涙を流したナマエを忘れることはできないのに、過去の、嬉しそうな表情を浮かべたナマエを忘れてしまうとはあまりに皮肉だろう。
「――無事、なのだろうか」
口から零れた言葉は、あまりに弱気な言葉で。
俺の妹だ、無事でないはずがない。大丈夫だ、瑠璃はデュエルも強くナマエだってあの戦場を生き延びたのだから。二人は強い、大丈夫だ。ユートもそう言っている、俺だって無事を信じている。
……それでも、心の何処かで不安を感じているのは覆しようのない事実だ。
こんな所を瑠璃に見られてしまっては、情けない兄だと笑われるだろう。ナマエにだって、要らぬ心配をかけてしまう。
だがしかし、笑い飛ばしてくれる妹も、心配してくれる妹も今となっては何処にもいない。
心の何処かに空いた穴が俺の言葉を吸い込んで行く。吸い込んだ言葉は何処にもいかず、虚空を漂いまた俺を虚しくさせてゆくのだろう。ナマエを返せ、瑠璃を返せ。その言葉を繰り返したところで、帰ってくる事がないのは分かっているというのに。
「頭が、痛い」
俺たちの幸福を返してくれ。俺は、瑠璃とナマエとユートと、ただ、笑いあっている事を願っただけなのに。
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