||| ユーリ様におかえりなさいを言う
窓の外にはどんな世界が広がっているのでしょうか。ナマエはお外に出たことがないし、まどを開けられるほどの身長がないからわかりません。ナマエの場所から見える窓の外は、いつだってもくもくした灰色の雲が埋め尽くしていました。でもナマエはそれを不満に思ったことはありません。融合次元のお空はどこもそうなんだと、ユーリ様は言っていらっしゃったからです。
ナマエは今年で7歳になった女の子です。融合次元で、立派な戦士になるためにお勉強をしています。ユーリ様とお揃いの紫色の制服は特別です、だから制服を着ている時のナマエはいつだって幸せです。ユーリ様は忙しいからあんまり一緒に居られないけれど、一緒にいる時はいつだって優しく笑って頭を撫でてくださいました。だから、ナマエはユーリ様が大好きです。頭を撫でてくれるからじゃあありません。ナマエはユーリ様の、全部が好きなんです。
ユーリ様の事を考えれば、厳しいお勉強も大変な訓練も平気です。きっと、ユーリ様が大事な任務から帰って来れば優しく笑ってナマエの頭を撫でてくださる筈です。ユーリ様の居ない間も頑張っていたと伝えれば沢山沢山褒めてくださる筈です。
ユーリ様が任務に出た一週間前から、ナマエはずっとずっとお勉強を頑張っていました。教えてくれる先生たちにも無理を言って、より長い時間お勉強ができるように補習だってしてもらいました。だからナマエは、きっとユーリ様の求める立派なデュエル戦士に近付いた筈なんです。
おっきくなったら、ユーリ様をお守りする戦士になる。ナマエはそう、ユーリ様にお約束したのですから。
「ねえねえ、ユーリさまはいつおかえりになるのですか?」
「知りません」
「ユーリさまの任務は大変なものですか?」
「知りません。ナマエ様、貴方の望んだ補習授業なのですから他の事は考えずテキストに向かってください」
デュエル情報学科の先生はそう言ってため息をつきました。ナマエは変な事を言ってしまったみたいです。ごめんなさい、と小さく誤って机に置かれた紙にペンを走らせました。
このカードの効果は、この時の効果の裁定は、時と場合の違いとは。これも、あれも、全部全部ユーリ様に教わったことばかり。ユーリ様の事を思い出してぷく、と頬を膨らませればなんだかちょっと悲しくて。隣で頬をつついてくれる人がいないのをこんなに悲しむとは、思ってもいませんでした。だっていつも、ナマエが頬を膨らませれば、ユーリ様が隣から指でつんつんしてくださるのですから。その時のユーリ様の、意地悪な表情はいつ思い出してもとっても綺麗なものだと思うのです。胸がどきどきするのです。
沢山の紙の束も、一つ一つにユーリ様から教わった言葉を書いていけばいつの間にか何処かへ消え去ってしまいました。時間が経つのは早いものです。先生はナマエのお片づけしたプリントを全部持って、ナマエと先生しか居なかった寂しい教室を出て行ってしまいました。遅くまで引き止めてごめんなさい、ありがとうございました。そうできる限り大きな声で発した言葉は、先生に届いたでしょうか。届いていなかったら、とってもとっても寂しいです。
人の居なくなった教室はなんだか冷たくて悲しくて、ここには居たくないと思ってしまいました。
自分のお部屋へ帰ろうと足を運ぶけれど、廊下はなんだか寒くて、電気もなく暗いです。アカデミアの使われていない教室でお勉強をしているから、ナマエはこの辺りを通る人を見た事がありませんでした。どうしてナマエだけ違うお部屋でお勉強するのですか、とユーリ様に昔聞いた事があるけれど、何故かはぐらかされてしまったのをふと思い出しました。ああ、またユーリ様の事を思い出しちゃった。
さみしい、あいたい、ぎゅってしてほしい。そう思ってスカートの裾を握り締めても、ユーリ様が帰ってくるわけではありません。ぽたぽた涙が溢れて、なんだかとっても情けなくなってしまいました。ごめんなさい、ユーリ様。ナマエは泣き虫さんです、ユーリ様がいないと、こんなに弱くてちっちゃいんです。
廊下に響く足音は一人分だけ。人気がない分、余計に遠くまで響きます。外がなんだかがたがたうるさくて、遠くからぱたぱたと何かの溢れる音が聞こえます。きっと雨が降り始めたんでしょう。雷さんがなったら嫌だなあと思って、ナマエは廊下を走り出しました。本当は走っちゃいけないけど、沢山の怖いと嫌いが襲ってくると思ってしまうと、逃げ出さずには、いられませんでした。
ナマエは一人が嫌いです。一人でいると、大好きなユーリ様から頂いた幸せが恋しくなってしまうから。
ナマエは寒いのが嫌いです。寒いと、大好きなユーリ様から頂いた暖かさが恋しくなってしまうから。
ナマエは暗いのが嫌いです。暗いと、大好きなユーリ様の姿がはっきりと見えないから。
ナマエは大きい音が嫌いです。大きい音は、大好きなユーリ様の声を掻き消してしまうから。
ナマエはユーリ様が大好きです。ユーリ様は、ナマエに色んなものを与えてくれるから。
幸せも、暖かさも、安心も、恋しさも、大好きだって思う気持ちも、全部全部、ユーリ様がナマエに与えてくださった。
「ゆーりさまに、あいたい……」
大粒の涙を流しながら、ようやく辿り着いたのはユーリ様のお部屋。ユーリ様がここに居るはずないのは、わかっています。だってユーリ様はプロフェッサーから与えられた大切な任務があって、それを遂行するために、ナマエの知らない何処か遠くへいってしまったのですから。
いつ帰ってくるかもわからない。怪我をするような危険な任務なのかも分からない。ユーリ様はいつだって、ナマエに何も教えてはくださいませんでした。
ナマエの事が大事だから。ナマエが怖い思いをしないように。そう言ってユーリ様はいつだって、ナマエをアカデミアの中に閉じ込めます。それを嫌だと思った事は、ありませんでした。でも今初めて、知らない事を怖いと思ったのです。
一回、二回、三回。ユーリ様のお部屋のドアを叩いて、ナマエは返事も聞かずにそっとドアノブへと手をかけました。鍵の掛かっていない軽い感覚に驚いて、ナマエは一瞬手を止めます。どうして鍵がかかっていないのでしょう、ユーリ様は任務でお部屋にいらっしゃらない筈なのに。
「ゆー、り、さま?」
少しだけ期待を込めて、ナマエは大好きなお名前を呼びます。涙と嗚咽で詰まって、上手に声が出ないけれど、多分、聞こえたんだと思います。だって、大好きな大好きな、優しいお返事が返ってきたから。
「ナマエ?」
その声に我慢ができなくて、ナマエはゆっくりと、ユーリ様のお部屋の扉を開けました。中には少しだけ濡れているユーリ様が、驚いた表情で立っていて。ああ、いつもの光景だ。ナマエがお部屋に入って、ユーリ様がナマエの事を迎え入れてくださって。ただ違うのは、ナマエが泣いている事と、ユーリ様が驚いた表情をしている事だけで。
「なんで泣いて――」
「あ……、あ、ああ……さみしかった、です、ゆーりさま……!」
ついに我慢ができなくなって、ナマエは大きな声で泣いてしまいました。なんだかとっても情けないけれど、どうしても会いたくて、寂しくて、苦しかったんだから、どうかゆるしてください。ユーリ様。
ぱたぱたと情けない足取りでお部屋の中に入って、ユーリ様に抱きつきます。ユーリ様のお洋服についたお水が冷たいけれど、そんな事は気にならない程に一週間ぶりのユーリ様の体温はとっても暖かかったのです。
こんな情けない姿を見せたら、ユーリ様に嫌われちゃうかな。こんな泣き虫なナマエは、駄目かなあ。そう考えても、涙は一向に止まりません。ごめんなさい、ごめんなさいゆーりさま。涙ながらにそう謝れば、ユーリ様は少しだけ笑った後ナマエの頭をそっと撫でてくださいました。
「部屋に居ないと思ったら、泣いていたなんて」
「ちがうん、です、だってゆーりさまが、だって、ナマエ、さみしく、て」
「君が寂しがりなのはよく知ってるよ」
「ごめ、なさい……」
「謝らなくていい。君はまだ未熟なんだから」
「みじゅ、く」
「そうだよ。だから君は、僕の手で守られていればいい」
「ゆーりさまの、て?…そばにいても、いいの……?」
「勿論。そうだ、言うのが遅れたね」
ただいま、ナマエ。
おかえりなさいませ、ユーリさま。
その言葉だけで、ナマエは十分すぎるくらいに幸せなのです。
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