||| シンジくんとトップスの女の子
白ばかりが何処までも続く世界で、その青色の髪を見つけたのは奇跡に等しいことだったのだと今考えれば思ってしまいます。
あのときあの瞬間、わたしは、彼に対して何の感情を抱くことも出来ませんでした。それ程までに過去のわたしは壊れていたのです。
それなのに今はどうでしょう。彼によって色付けられた世界はこんなにもキラキラと輝いている。
こんなものはまやかしだと知っています。幻覚だと分かっています。それでも、何もないわたしの世界が彼という一人の存在によって何もかも変わってしまったという事実は、まだ幼いわたしにとって途轍もない衝撃であり幸福であり、同時に、ほんの少しの悲しみを感じさせたのです。
彼の隣に立つことは許されません。彼と共に歩むことも許されません。わたしは子供です。でも彼は大人です。わたしが成長すれば、同時に彼も成長して。わたしが彼に追いつくことは、一生ないのです。
「何を書いているんだ?」
「にっき、です」
「日記?」
「シンジお兄さんと出会った日から毎日書いているんです。お兄さんがいつセキリュティに捕まってもいいように」
「弁解してくれるのか。頼もしいな」
「違います、お兄さんがわたしの家に不法侵入した罪をちゃんと裁いてもらう為に書いているんです」
そう言って少しだけ笑えば、お兄さんは困ったような表情をしました。わたしは、お兄さんのそういう所が大好きです。わたしのくだらない冗談を、受け止めてくれる人はわたしの世界に存在しなかったから。
表情のない冷たい目をした使用人さん達は、わたしの言葉を聞いてすらくれません。両親は、もう随分と長い間顔さえも見てはいません。
お兄さんは、毎日のようにひとりぼっちのわたしに会いに来てくれます。この部屋から出る事の出来ないわたしに会いに来て、沢山お話をして、デュエルのやり方だって教えてくれて、それで、それで。
お兄さんとお話するのは大好きです。お兄さんと一緒にいる事は大好きです。
「お前もよく笑うようになったな」
嬉しそうな、お兄さんの声。わたしは笑うように、なりましたか?わたしは上手に笑えていますか?浮かぶ疑問を言葉にする事は叶わず、わたしは、ただぽかんとした表情でお兄さんを見上げるしかできません。
「いきなり変な事言ったな。悪い」
「あ…いえ、そういうつもりじゃ……」
「……俺、もう行くな」
ほんの一瞬の気まずい空気を感じて、お兄さんは背を向けます。お兄さんの深いオリーブの目が見れなくなって、少しだけ悲しい気分になりました。
お兄さんはコモンズで、毎日生きるのも大変で、わたしのようなトップスの人間を嫌っているのは知っています。でも、お兄さんはこうして毎日わたしに会いに来てくれる。セキリュティに捕まるかもしれないというリスクを抱えてまで、決まって毎日のように。
わたしと会うのは、そのリスクに見合ったものですか?そこまでのリスクを抱えてまで、どうしてわたしに会いに来てくれるんてすか?
喉元まで出かかった沢山の言葉を強引に飲み込んでわたしはそっと顔を上げます。お兄さんに、悲しい顔を見せるのは勿体無いから。
「お兄さん、あの」
「なんだ?」
「…明日もまた、来てくれますか?」
「……おう、気が向いたらな」
わたしの頭をそっと撫でるお兄さんの、とっても大きな手の感覚の。
少しだけ目を伏せれば、お兄さんの小さな笑い声が溢れてきて、何だか変な気分になってしまいます。胸がくるしくて、どきどきします。わたし、病気になっちゃったんでしょうか。だとしたらいやだなあ。
真っ白い扉が閉じる音で、わたしは現実に引き戻されました。お兄さんがいなくなれば、この部屋はただ白ばかりが存在する虚しい部屋に戻ってしまう。あの綺麗な二色の青色は、どこにも存在しなくなる。
だらりと腕の力を抜いて、膝の上に落ち着かせれば虚しさが押し寄せます。お兄さんに会いたい。行かないでほしい。ずっとこの部屋で、お兄さんと一緒に入れたならきっと楽しいのに。
親も使用人もいりません。真っ白い部屋だとしても、お兄さんと二人ならきっと幸せ。この部屋から出る事ができなくても、きっと、きっと。
明日はいつ来てくれるのかな。遅い時間だったら悲しいな。すぐに帰ってしまったら、寂しいなあ。そんな事ばかり考えて、わたしは机の上の日記に手をつけます。
お兄さんにはあんな事を言ったけど、本当は全く違うもの。お兄さんとどんな事をしたか。お兄さんはいつ来たか。そんな、わたしの細やかな幸せばかり紡がれた沢山の色に溢れた日記。
「……明日はいつ、来てくれるでしょうか」
天井に話しかけても、何か帰ってくるわけじゃないのに。
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