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 ||| 天城カイトと妹


(落ちない)

わたしは兄さんが大好きで、ハルトも兄さんが大好きで、兄さんは、わたしたち二人が大好きだった。だからわたしたちは、今、こうして、閉じ籠った世界の中でも幸福のまま生きていられるんだと思う。
そんな些細なことに気付いたのはいつだったか。今ではもう、思い出すのすら疲れてしまう。わたしは考えることが好きじゃない。考えても、この現状を脱する方法なんて何処にも存在しないからだ。
現状に甘え、身をまかせる以外わたしに選択肢など与えられていない。こうして幼いハルトを抱きしめて、ぼんやりとしたまま外の景色を窓越しに眺めるのがわたしに出来ることの一つ。
とん、とん、と一定のリズムでその幼い背中をほんの少しだけ叩けば、小さな寝息を立てて腕の中の存在は眠りにつく。
わたしたちの弟は病気だ。この子はいま、悪夢を見ている。
わたしだってそう。わたしの見ているこの現状はただの悪夢。兄さんは、いつだって繰り返しそう告げていた。
目が覚めれば家にいて、直ぐそばに兄さんとハルトがいて、三人で笑って蝶を追いかける。そんな、当たり前の日々が帰ってくるんだって、兄さんは縋るようにそう呟く。
分かっている、理解している。でも、それを哀れだと、つまらない幻想だと告げられないのはわたしの弱さだ。縋る兄さんと夢を見て、また、その身体が酷使されていくのを何も言えず引き止めることもできない。
もうやめて、の一言が言えないわたしは、一体なんなんだろう。わたしは本当に、二人の、家族として生きていていいのかな。自分の身ばかり考えているわたしは、本当に――。

「――ナマエ、」
「……にい、さん」
「ハルトは眠っているのか」
「…さっき、ねたとこ」
「…そうか」

そこまで確認したところで、兄さんは初めて心の底から安堵したような声色へと戻る。そんなふとした瞬間が、わたしは何よりも好きだった。
この部屋はいい。閉じ込められたような閉鎖感のある場所だが、兄さんとハルトが何よりも安堵出来る場所だ。二人が帰ってくる場所だ。此処で待っていれば、二人は必ず戻ってくる。だからわたしは、いつまでたっても此処を離れる事ができない。否、離れるつもりなど、今となってはほんの少しも無いのだけれど。

「……いつもすまないな」
「どうしたの、突然」
「何故かは分からないが、ふと思ってしまった。…兄のくせに情けないな」
「……情けなくないよ。それはただ、兄さんが優しいだけ」

随分と疲れた声色。外できっと、何かがあったんだろう。けど、わたしに聞く権利は少しもなく、同時に、慰められる権利もない。
何も持たないわたしができることは、見て見ぬふりだけ。
ベッドの淵に座る兄さんに背を向けたまま、ハルトをぎゅっと抱きしめたまま、わたしはぼんやりと窓の外を眺め続ける。
わたしたち兄妹が顔をあわせることはあまりない。だから今、兄さんがどんな表情をしているかなんて、わたしに知る術は与えられていなかった。


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