||| キリくんと氷漬け
(飽きた)
涙を流したのはいつの事だろう。つい先程の事にも、遠い昔の事にも思える。
冷たい氷に覆われたような記憶の中をゆっくりと辿っても、わたしの救いになるような記憶は何処にも存在しない。ここは何処で、わたしは何者なのか。その問いが、記憶喪失の定番だという事は、何故か記憶に色濃く存在し続けていた。
その定番をいつ何処で知ったのかは、分厚い氷の内側に埋まっていてわからないけれど。
わたしは記憶を失っている?じゃあ、わたしは、一体どうしてこんなくだらない記憶を思い出せるの?わたしは一体、何を忘れて、誰を思い出せないんだろう。自問自答を繰り返しても、思い浮かぶ記憶は何もかも全てが霞み、ぼやけ、無理に思い出そうとすれば劈くような鋭い痛みに襲われる。
両手足を縛られた、暗い部屋でひとりきり。窓はなく、唯一の光源は、わたしの目の前に佇む、ほんの少しだけ空いた扉の隙間だった。差し込む光に照らされて、ほんの少しだけ、宙を舞う埃がキラキラとその存在を示している。
けほ、と小さく咳をすれば、周囲の埃は舞い上がり、より多くの埃が光に照らされる事になった。
この場所は、どうしてか、酷く懐かしい匂いがする。何故なのかは分からない、けれど、とても懐かしく、同時に――とても、恐ろしいような、不思議な感情を思い出す、そんな匂いが鼻腔を埋め尽くした。
不快な香りでないのは確か。だが、気分が良くなるものかと言えば答えはノー。こんな奇妙な感情になるというのに、その原因が分からないのは何処までもストレスだ。
「……寂しい、なあ」
吐き出した声は酷く掠れ、自分の声とは思えないほどのものだった。思えば、随分と喉が渇いているような気がする。お腹も空いているし、何より……この部屋は酷く寒いと、今ここでわたしは漸く気付いたのだった。
冷たく暗い部屋の中、手足を縛られ、横たえられてそのまま放置。なんて物語のような状況だろう。わたしはこのまま、よくある物語のように殺されてしまうのだろうか。
それもそれで悪くない、どんな形であれ物語のように一生を終えるのは少女たちの永遠の夢だ。
……でも、殺されるなら最後に、水色が見たかったなあ、なんて。
何故水色なんだろう、わたしは水色が好きだったの?そんな、靄のかかった記憶の中を掻き分ける。酷く痛む頭に歯を食いしばりながら、冷たい氷に固められたその記憶へと手を伸ばした。まあ、それに触れる事が叶わないのは、承知していた事だけれど。
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