text | ナノ
 ||| クロノくんと音


(飽きた)

音になりたいのよ。
目の前のその人は、俺にそう告げた。
何を言っているのか全然分かんねえ、ふざけてんのか。馬鹿にしてんのか。そう思って、俺はぐっと拳を握る。
けれど、目の前の本人はいたって真剣な表情で、ただ前だけを見て言葉を続ける。ああ、まるで、俺が見えていないような。
真っ白い壁の並ぶ病室で、俺たちはただ、言葉という"音"で部屋を埋め尽くす。何もない空間が音によって色を見せる、姿を変える。そんな不思議な光景が大好きだと、彼女は以前話していた。
「音ってね、見えないの。だから綺麗なのよ」
「意味、わかんねえよ」
「正しいが無いの。正確がないの。機械によって定められた音が、本当に正しいわけじゃない」
「……」
「綺麗でしょ、けどね、わたしにとっては不協和音でしかないのよ。分かってくれると、嬉しいのだけれど」
そこまで言って、この人は、この瞬間初めて俺を視界に収める。ずるい人だ。俺はずっと、アンタの目の前に居たはずなのに。
真っ白いベッドのシーツに皺を作って、俺の方へと身体を向ける。痩せ細った笑顔は、酷くうつろだった。
食事もろくに手を付けていないと聞く。この人は本気で、音になれると思っているのだろうか。
「アンタ、死ぬ気か」
「死んだらどうなるのかな」
「死ねば、分かるんじゃねえの」
「嫌だなあ、クロノくん、昔はもっと優しい子だったのに」
――昔って、いつの話だよ。
少しだけ眉を顰めれば、この人はすぐに黙るんだ。
馬鹿な女、ずるい女、そんな酷い言葉、いくらだって思い浮かぶ。
けど俺がそれを口に出す事はない。たった一つの言葉で消え去ってしまう程、俺たちの関係は、薄く、何もなく、脆い存在なんだから。


back to top
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -