||| 伊吹くんと引きこもり
(落ちない)
「いぶきがこない」
「みぃ?」
ただぼーっと上空を眺めて何時間経っただろう。ギアース内に時計など設置されていないし、クレイの時間と地球の時間には差があるからそちらの時計も期待はできない。
私のそばで丸まったハイビーストのはーとみーに抱き付けば、ゆっくりとした温もりが伝わって少しだけ安心した。
此処はヴァンガードコロシアム内の施設、ギアース。イメージを映像に映し三次元化する空間。
…一般の部屋は、だけど。
「…はーとみー、暇だね」
「みぃ…」
「慰めてくれるの?」
「みゃう!」
そういって、可愛いこの子は私の頬をちろりと舐めた。ざらざらとした猫舌とその温度に、私は少しだけ肩を揺らす。
――そう、この部屋は人のイメージを"三次元化"する空間。点から生まれ、線、面、立体へと変化する。それがヴァンガード、この部屋は真の意味で立体へと変化を遂げる為の空間だ。
未だ調節は多いが、それでも立体化する事は十分に可能。私の目の前にいる、この鎧を纏った子猫はこの場に存在するのだから。
ゆっくりと子猫を撫でれば、感じるのは猫独特の柔らかい感触。
地球によく似た惑星クレイ。そこに生きる生物は、この地球よりずうっと幸せに暮らしている筈なのだ。
「……ごめんね、わたしがそっちに行けないばっかりに」
「みゃあ…」
「…地球なんて汚い場所、はやく捨てたいのに」
うまくいかないの。そう呟いて、私は顔を伏せる。
ごろりとうつ伏せになった状態でため息を吐けば、何処か遠くから風が吹いたような気がした。
今スクリーンに映し出される背景は、聖域のとある草原。所々に花が咲き、遠くには山が見え、一面が緑の若草で覆われている。とても綺麗な、私のお気に入りの場所だ。
はーとみーは心配そうにわたしの腕をぺろぺろと舐めている。ごめんね、心配かけて。そう言って顔をあげれば、幸せそうに鳴くこの子が目に入った。
「…いぶき、こないね」
「み?」
「別に、寂しいわけじゃないもん」
「みぃ」
「にやにやしないで、ばかあ」
「みゃぁ、う」
猫のくせに感情豊かなんだから。そう思い頬を膨らませれば、わたしの頬はちょっとした猫パンチを食らう。ちょっとだけ痛い、ユニットの力はまだ調整中かな。
「いぶき来るっていったのに」
「みゃー」
ため息を吐いて、自分のファイカに指を滑らせる。端末のログには確かに「今日此処に来る」という一文が書かれていた。
ひゅおお、と吹く風に身体を縮こめれば、はーとみーの鳴き声が耳に入る。
――此処は寒い、場所を変えよう。
そう思い操作盤を出現せれば、何も触れていないのに場所は突如聖域の神殿へ移動していた。
「――いぶき」
「待たせたか」
「遅い」
「みぃ?」
三者三様に言葉を発すれば、それぞれの声は部屋に響き渡る。神殿はとても心地よい場所だが、声が響くのが難点だ。好きだけれど。
ごろりと体を反転させて、仰向けの体制へと変えれば無言で腕を差し伸べられる。そっと手を握り返せば、強い力で腕を引かれ、わたしはそのまま立ち上がることを強要された。
「なんだ、その顔は」
「遅れたくせに」
「すまない、想定外の事が起きてな」
そう言って、握られた手はそのままに伊吹は歩き出す。自動的にわたしも歩く体制となるが、特に不満は抱かなかった。
「はーとみー、またね」
「みぃ」
可愛らしい鳴き声をあげて、はーとみーは一瞬で消えてしまう。所詮はプロトタイプ、此処まで至るのにも相当な時間は掛かったが、ギアースの真の三次元化はこれからが重要なのだ。
調節、研究、実験、幾つもの時間と工程を重ねて、最後に完成するのが真の――いや、その段階でも、まだわたしの目的には程遠い。
「どこいくの」
「上だ」
「……」
「苦い顔をするな、お前の目的の為でもある」
「捕まえたの」
「……ああ」
そう言って、伊吹はただじっと前を向く。目的、お互いに理解しているのだからそれを口に出す必要はない。
薄暗いエレベーターの浮遊感に気持ち悪くなる。ああ、正直今すぐあの部屋に帰りたい。
「終わったら、すぐ戻るからね」
そう呟けば、何処か遠くからはーとみーの鳴き声が聞こえてくる。わたしの目に宿る、妙な色の光がエレベーターの壁にぎらりと反射した。
「その距離でも届くのか」
「わたし、電波式じゃない」
「それもそうか」
そこで会話は切られてしまう。わたしが切った、の方が正しいだろうか。基本、ユニット以外と話すのは苦手で嫌いだ。
止まらないエレベーターのモーター音に不快感を募らせ、きゅ、と伊吹の服の裾を握る。
手よりずっと近くなる距離に、少しだけ安心した。
話すのは嫌いだが、他者の体温を感じるのは悪くない。
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