||| 伊吹くんと引きこもり
ただ白く、何処までも白いドーム状の一室。佇む二本のオブジェの上には、一組のカードの束。
私は知っているのだ、この部屋の動かし方を。
それでも、私はただ仰向けに寝転び上を向く。何も映さない虚ろな瞳でその天井を捉えても、その瞳が反射するのは何処までも果てしない白い壁のみ。
口角を下げ、無表情のまま天井を見続ける。微動だにしないその姿は、何も知らない者が見れば死体と見紛う事だろう。
「おはよう」
たった四文字の言葉、それだけでこの部屋は突如暗くなる。システムが作動したのだ、私の声によって。
騒々しい機械音を鳴らして、暗い部屋は明かりを灯す。オブジェの上に置かれたカードは、いつの間にか不可視領域へと溶け込んでしまった。
ぼんやりと腕を伸ばし空に浮かぶパネルをそっと指で撫でれば、その存在を認知したシステムが指に合わせて動きを取る。
とぷん、と存在するはずのない水の音に耳を傾ければ、彼女はそのまま深い海へと落ちてしまう。選択したフィールドは、メガラニカの深い深い海の底。
目を閉じて海の声に溶け込めば、感じるのは水の冷たさ。
イメージを三次元化する新システム、ギアース。
深い海に沈む私の腕を引くのは、ただ一人。
「――起きたか」
「ん」
「挨拶くらいしろ」
「おはよう」
「おはよう。食事は」
「ある」
「栄養補助食品は許さんぞ」
「……や」
彼の存在により、私の世界は現実へと戻されてしまう。
全身に感じた冷たい水の感触など一切無く、ただ水中の映像が流れる部屋へと逆戻りだ。
最新鋭ホログラムにより映し出される映像は、壁の存在を感じさせない程のもの。
私の腕を引く彼に視点を合わせれば、一つため息を吐かれてしまう。……私は何かしただろうか。
「食事くらいきちんと摂れ」
「伊吹がいうのね」
「過去の話だ」
「伊吹にとっては過去、私にとっては歴史」
「過去は忘れろ」
「賢者は歴史に学ぶ」
そう話を打ち切り、視点を海の中に落とす。これ以上沈まないよう、彼は私の腕を引き続けていた。
「歴史から何を学んだ、何時迄も閉じ篭るな」
その言葉に目を逸らせば、私の腕は強い力で再び引かれる。痛い、そう思っても言葉にすることはない。
「歴史から学んだ、世界にろくな大人はいない」
「俺も大人の内だが」
「なにをいっているの、伊吹は子供じゃない」
自嘲気味にそう告げれば、一つのため息が帰ってくる。
そう、そうやって私のことを見下せばいい。所詮私はいつまでも此処から動けない弱者だ。自覚があるのだもの、厄介と思うだろう。
「お前から見れば、俺は子供か」
「そう、だから伊吹は私の味方」
「……味方、とは広い表現をするな」
「好きでしょ、そういうの」
…悪くはない。そう言って、伊吹は私の腕を引く。何度目だろう、痛いから止めてほしい。
力強く引かれたせいで、私の身体は宙に浮いてしまう。
わ、と声を出すこともできずそのまま前方向に身体を倒せば、純粋に受け止められる感触。せくはらだ、ろりこんだ、そんな言葉が脳を過るが、その言葉が口から出ることはない。
「俺は、お前の味方か」
安心したように、そう言葉が呟かれる。
私を抱き締め、背中に手を置く彼から感じるのは、親のような安心感。
「そうだよ、伊吹は絶対にわたしの味方」
抱きしめられたまま力を抜けば、彼の力は強くなる。そんなことをしなくても、離れる筈がないのに。
何が不安で、その言葉を求めたのだろう。理由を追求するのは、もう飽きてしまった。
彼が欲しいのは私の味方で在れる免罪符、傍に居ることを許される権利だけだ。
「最低の味方」
「それでも、居ないよりはマシだ」
「……ちがう、居なくちゃいけない」
「……そうか」
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