||| Vくんと角砂糖
なんでかなあって兄様は笑いました。ただ嬉しそうに、幸せそうに。
どろどろに溶けたチョコレートが指に絡みます。ぺろりと舐めれば幸せな味がしました。
甘い林檎のジャムは掬われ、どろりと溶けた林檎の果実が光を浴びて綺麗に輝きます。
ふふ、と微笑む兄様の頬をあいた手でそっと包みました。手を重ねて、心の底から幸せそうに微笑む兄様が私はただ愛おしくて。
「よかった、みんな幸せです」
「全部遊馬とアストラルのおかげさ、こうしてナマエとお茶が飲めるのも」
「ミハエル兄様達が此処にいるのも?」
「もちろん、僕たち家族はみんな彼らに救われたから」
そう言って林檎のジャムをスプーンで掬います。どろりとしたジャムは綺麗な色のクッキーへと足をつけ、そのまま口内へと導かれる。
こうして二人で茶を飲むのは久しぶりです。普段は父様や他の兄達が乱入して、お茶どころではなくなってしまいますから。
それが幸せの現れだとよく知っているから咎めることはありません、けれどどうも実感が湧かないのです。私たちはこんなに幸せになって良いものなのでしょうか。
大勢の人を傷付けた事実は変わりません。その現れなのかは分かりませんが、私は今でもV兄様とX兄様を消したミザエルさんの目を直視出来ないでいます。
バリアンだった頃の冷たい瞳はもうありません、けれどどうしても見られないのです。過去に植えられた恐怖心の根を断つ事が、出来なくて。
少しだけ俯く私に兄様が心配そうな声を上げます。ごめんなさい、そう言って曖昧に微笑めば困惑の色を強くされました。
「何を謝るんだい?」そう言って先程私がやったように頬へ手を伸ばされます。兄様の暖かい体温が伝わってとっても安心してしまう。
なんでもないです、ただ同じ言葉を繰り返せば困惑の色はそのままにこの話は流されました。せっかく兄様と一緒にいるのにつまらない話などしたくない。
「ミハエル兄様、角砂糖を頂けませんか?」
「勿論。ナマエは2つだったね」
「いいえ、今日は3つです」
「珍しいね、ナマエが3つなんて」
「V兄様とご一緒しているんですもの」
「W兄様やX兄様のときは、4つや5つ?」
そう言えば兄様は幸せそうに微笑まれます。その笑顔を見ているときが私は、ナマエは一番幸せなのです。
シュガーポットの、金色で縁取られた可愛らしい蓋。するりと指を滑らせればきょとんとする兄様が視界に入って再び頬が緩みました。
金色と薄桃色、まるでミハエル兄様の色ですと呟けばそうだねと暖かい言葉を返されて。
甘い紅茶を一口啜ります。いつもより甘い味、V兄様の味。
カップの底に転がる、溶けきらなかった砂糖たちをティースプーンでざりざりと潰します。兄様の数字だもの、全て飲みきらなければ失礼に値する。
一心不乱に砂糖を潰す私を兄様は興味深そうな目で見つめています。ああ、兄様にこれ程見つめられるだなんてなんということ。
粉々になった砂糖たちを紅茶に溶かし、そのまま口をつけます。ごくりと喉を通る感触を味わえば、心の何処かが暖かくなったような気がして幸せになりした。
これで兄様は私の体内におります。そう言って満面の笑みを浮かべれば少々の困惑が混じった笑いを返されました。何故でしょう、よく分かりません。
「なるほど、僕たち兄弟の数字だね」
「ええ、いつかW兄様やX兄様の数の角砂糖も飲みきってみせます」
「それは如何だろう、兄としては是非止めたいところだけど…」
「一度だけです、如何かお許しいただけないでしょうか?」
「僕の数字も一度だけ?」
「V兄様なら何度でも。私、ミハエル兄様が大好きですもの」
「兄様たちが聞いたら泣き出しそうな言葉だね」
「だって兄様方はつまらないんです、W兄様は意地悪するしX兄様は遊んでくれないし」
そう言って少し頬を膨らませます。構ってくれないのは嫌い、けれど意地悪されるのはもっと嫌い。
兄様方は好きだけれどそういう所は好きになれない物なのです。
膨らんだ頬を、ミハエル兄様の綺麗な指でつつかれました。兄様の指はいつみても綺麗です、指だけでなく全てが世の女性が羨む美しさを持っていますもの。
空になったティーカップに茶色い紅茶が注がれます。
ミルクポットに注がれた白い牛乳をそっと注げば、透明な茶色は不透明なミルクブラウンへと変貌しました。
柔らかい色は好き、とても好き。
小さく笑って、3つの角砂糖をティーカップの中に転がしました。
「ねえミハエル兄様、私エメラルドグリーンのお菓子が食べたいです」
「エメラルドグリーン…そうだなあ、遊馬に貰ったマッチャのクッキーがあるけれど」
「マッチャはダメです、兄様のように甘い色がいいわ」
「ふふ、ナマエは我儘だなあ」
そう言って綺麗に笑われるミハエル兄様が優しすぎて、私は少し心が痛みました。兄様ごめんなさい、私は我儘を言う悪い子なのでしょうか。
ふわりとした笑顔を浮かべるミハエル兄様は優しすぎる、何故それ程お優しいのでしょう。
そっと頭に乗せられた手の感覚が心地良いのです。兄様のお言葉の意図はよくわかります、決して私を咎めるわけではないと理解しております。
けれど私はどうも安心できないのです、こんな我儘を言ったらまた兄様方に置いてかれてしまうのではないかとただ不安で。
角砂糖を一つ口に咥えます。固められた砂糖の粒がぽろぽろ零れて不快な気分。
びっくりしたようなミハエル兄様のお顔はとっても滑稽で、少しだけ口角が上がりました。
「今日のナマエは砂糖を摂取しすぎだよ!」怒ったようにそう言うミハエル兄様が、思い出せない母様と重なり不思議な気分になりました。
私はミハエル兄様に何を求めているのでしょう、正直自分でも理解できてはいません。
また一人になるのが嫌なだけなのか、それとも――。
「ナマエ?」
「……少し、考え事をしておりました」
「へえ、何を考えていたんだい?」
「家族で居ることは、とても幸せだと」
シュガーポットには、六つの角砂糖が身を寄せ合い転がったまま。
きょとんと瞬きをする兄様へ私はそっと微笑み、シュガーポットへ蓋をするのです。
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