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 ||| タスクくんと鯨


「鯨が死んだらどうなるか、知ってる?」

青が最も深くなる、朝と夜の境目の時間。眠くないんですか、なんて野暮なことを聞く程空気が読めないわけでもない。
夜の青を浴びて神秘的な雰囲気を漂わせる彼女の言葉に、僕は少し小首を傾げて答える。
「分かりません」そう言えば彼女は悲しそうな声で笑い、僕に色んなことを教えてくれる。
僕の赤色は宝石のようだ、僕の髪は空のようだ。彼女はそうやって、僕を素敵な言葉で飾ってくれる。だから僕は彼女が好きだ、彼女の言葉は魔法だから。

「鯨はね、死後深い深い海の底に落ちてくの」
「深い海の底、ですか?」
「そう、光の届かない海の底。そこで、色んな生き物がその躯を食い散らかす」

分厚い本をそっと閉じて、彼女は長い髪を揺らす。
小さく笑い声を漏らす彼女の表情は、夜の蚊帳に隠されてはっきりとは見えなかった。
鯨、人類で最大の哺乳類。哺乳類でありながら海で過ごす事を決めた、立派な生物。
僕は鯨がそれ程好きではない、彼女が鯨を好いているからだ。
彼女が好きなものを何故か僕は好きになれないらしい。以前そのことを彼女に話したら、子供らしい嫉妬だと笑われた。
僕は短い空色の髪を揺らす。彼女と同じ行動をとれば、彼女の考えていることが分かるかもしれないと思ったから。
けれどまあ当然のように、魔法使いの彼女の考えなど僕には到底理解出来ない様子。残念だ、なんていう言葉は何か意味を孕むのだろうか。

「一人で海の底に沈んで、誰にも気に留められず慰み物にされるだなんて、そんなの可哀想すぎます」
「そうかしら。死しても尚他の生物を守る鯨は、大変素敵な存在だと思うけど」
「僕はそうは思いません、思えません」

そう言って僕は俯く。俯いた僕の表情は、彼女にはきっと分からないのだろう。僕にだって分からないのだから。
ゆっくりと、その細い手で僕の頭を撫でる貴方はいつだって優しい人だ。僕に微笑んでくれる、僕を安心させてくれる。
青く暗い海のなかに沈んだ鯨は、きっとひとりぼっちになってしまう。周りに生物が居たとしても、それは本当に心を埋めてくれる存在ではないのだろう?
もしも彼女が鯨なら、喜んで他の生物に喰らわれ、その人生を終わらせるのだろう。きっとそれが彼女の幸せの形。
けれど僕はそう思えない。いつだってそう僕は我儘だ、けれどその我儘で僕は幸せになれるのだろう。
僕が幸せなら彼女も幸せだ、随分と昔彼女はそう言っていたから。だから僕が幸せに感じることをすれば、彼女は幸せになれるはず。
「ねえ、もしもタスクくんが鯨だったら」
そう言ってもしもの夢を見る彼女は、やっぱり魔法使いなのだろうと思わされる。きっと、僕の考えていることなんて全部分かって聞いているんだ。
一歩動けば、彼女の綺麗な髪に触れられる。けれど僕には、その一歩を踏み出す勇気なんて少しもない。彼女が沈む鯨だとしても、その手を引くことすら出来ないだろう。

「僕が鯨だとしたら、貴方に助けてもらいたいと思いますね」
「そうなの?私タスクくんのこと持ち上げられるかな」
「ナマエさんなら大丈夫、きっといつだって僕を助けてくれますから」

僕の腕を引かなくても、僕の考えを阻止することなく貴方はいつも僕を助ける。いや、助けると言うよりは僕の側にいるだけと言った方が正しいのだろうか。
夜の暗い色は薄く青が混ざり、まるで僕たち二人が深い深い海の底にいるような不思議な錯覚。
もしも本当に水中にいられるのだとしたら、深い深い海の底で二人きりになれるとしたら僕は幸せになれるのか?そんな事分かるわけないのに、僕は自問自答を繰り返す。
白い星々が鯨の死骸に集るプランクトンに見えて、不快感が山のように募って仕方が無い。彼女の死骸に集る虫なんて、皆消えてしまえばいいのに。
深い海の色を帯びた狭いベランダに二人きり、もしもこれが海の底なのだとしたら。

「此処は空、宇宙の下よ。海じゃないわ」
「――そんなこと分かってますよ、ナマエさんは変な人ですね」
「……そっか」


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