||| 八雲興司は蜘蛛男
(※虫注意)
あのね、腕、虫。
ぽつりと単語だけを呟いてナマエは目を瞑った。そこから流れる涙も忘れずにカウントして。
恐怖で青白くなった顔に力なく投げられた両手。気持ち悪くて仕方が無い、けどこればかりはどどうしようもない。
苦しいんだね泣いてるんだねじゃあどうして叫ばないんだい気持ち悪い。そう棘のある言葉すら発せないほどボクはナマエに毒されている。
「手がね、あのね、虫がね」
「ああ」
「興司くんの手がね、腕がね、どうしても蜘蛛に見えるの、怖いの」
「ああ」
「だからおねがい、もう私に近寄らないで」
そう言って口を結ぶナマエに笑いがこみ上げる。そういえば、昔からナマエは虫が出るたびに泣き叫んでいたね。今でもよく覚えている、その度に笑いを堪えるので必死だったよ。
ぴすぴすと呼吸を繰り返す鼻をつまんでしまいたい衝動に駆られる。下手したら生命活動が停止する可能性すらありえる行為は流石に残る良心が引き止めてくれたけれど。
蜘蛛というナマエの表現は酷く的確だ、確かに今のボクには蜘蛛がいる。ボクの中にいてボク自身でもあるその存在、八つの脚のそれ。彼女の心臓を喰らう時を今か今かと待ち続ける物も同じ。
本当は君全部知ってるんじゃないのかい?そんな言葉を抑えてナマエの青白い頬に触れる。ああそういえば触るなと言ったかな、ごめんごめん。
触れた途端小刻みに身体を震わせるナマエが滑稽すぎて思わず手を少しづつ下に降ろしてゆく。首筋、鎖骨、胸、此処から先は禁止区域。
そんなに怖い?その言葉に応えるため少しだけ口が開かれる。
綺麗な赤色をしてたナマエの口内もいまじゃ何も感じない。どうして変わったのか、それを聞く前にその唇へ指を這わせた。
「あ、ああ、いや、」
「ナマエはこうして口の中をぐちゃぐちゃにされるのが好きなんだったかな」
「やめ、いや、やめて、お願いやめて!!」
「自分からキスを強請って、ぐちゃぐちゃに泣いて」
「ひぐ、あ、あああ、いや――」
「ああ、そういえばナマエには虫に見えるんだった」
忘れていたよ、意図して告げ口角を上げる。ナマエはそうやって怯えてる顔が最高に可愛いよ、他の表情なんてしなくて良い。
今のナマエはきっと、口内に蜘蛛の脚が存在する錯覚を感じてるんだろう。なんて愚かなんだ、それは病気なんかじゃなくてボクが見せた偽物なのに本気で信じるなんて。
ナマエは昔から酷く頭が悪い、というかそもそも言われた事を何でも信じてしまう。だからボクが他の人間に近付くなと言えば簡単に頷いて言う通りにする。
ぐちゃぐちゃにされて唾液の付着した、血色の悪い唇にそっと舌を這わす。ボクの舌はどんな風に感じるんだろう、もしボクとセックスすることになったらナマエ的には蟲姦になるのか?ああ、でもそれはそれで悪くない。
何故か一瞬、恐怖で見開かれた目の水晶体が昔ナマエの集めていたビー玉そっくりに見えた。
無性に苛立って、態とその視界にボクの手を収めてやれば吐き気に襲われたのか両手で口元を抑える。そうそう、無力なナマエはそうやって怯えていればいいんだよ。
両手を頭上で縫い合わせ、ボクの糸で固定する。こういう事も出来るのだから本当に便利な物だ、未知の感覚に怯えるナマエの顔も拝めるし一石二鳥。いや、三鳥かもしれないな。
「ナマエ、怖いかい?」
「こわい、よ」
「何処が?」
「ぜんぶ、興司くんのぜんぶが」
「全部?へえ、全部怖いのか。じゃあもっと怖がらせてあげるよ」
「いや、やめてお願い、興司く――」
「ボクとの約束を破ったナマエが悪いんだ、これくらいは当然だと思わないかい?」
そう言い切ってナマエの頬に舌を這わす。蜘蛛の巣に捕まった蝶は可哀想だね、残念だけど鮫は陸上に上がってこれないんだよ。
涙でびしょぬれた頬は少ししょっぱい、けれどそんなものはこれから行う行為の興奮材料にしかならない。
蜘蛛の雌は雄を食べてしまうという事があるらしいけど、今のナマエにはそんな事出来ないよね。あ、でも逆転したセックスはきっと悪くない。
ボクはナマエが好きだよ、食べてしまいたい程好きだ。施設にいた頃、初めて見た時からずっとナマエが好きだった。
だから何があろうと他の人間にナマエは渡さない、絶対に。
「蜘蛛の毒で人間が死ぬことはあまり無いらしい、安心したかい?
だからほら、力抜いていいよ。まだ何もしてないんだ。まだ」
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