||| ソフィアちゃんと雨
夏の区画に雨が降る。
傘を持たずに歩いたのは間違いだったねー。誰に言うわけでもなく呟き、歩みを進める。
夏は暑い、それはもう人間が死んでしまう程に暑い。人類は何故此処までこの暑さを放置していたのだろう。
頬を伝うのは雨粒か汗か、はたまた別のものか。
涙を流したつもりはない、けれど無意識に涙が流れることは時折ある。
暑いなあ。誰に言うこともなく言葉を発し、歩き続ける。
着信音の煩い携帯の電源を切り、再び遠くへ歩き出した。
雨は人間の体温を奪う。それは無論、道路や草花も等しく同等に。
奪った温度を有効活用せず蒸発させ、蒸し暑さを向上させる雨はどうも好きになれない。
細い雨粒か、はたまた水蒸気か。つい先ほどまで照り付けていた太陽は顔を隠し、雨は我が物顔で都市を荒らす。
雨粒のせいで灰色になった一歩先、何も考えずに出てきた今の現状にそっくりだ。
これからどうしよう。そう思い、電源を切った携帯を手に取る。
電源をつけようとボタンに指をかけて、止めた。
「貴方が携帯に頼らないなんて珍しい事もあるのね」
「ネット離れってやつかなー、多分飽きた」
「相変わらず、飽きっぽい性格」
「多趣味だと言ってくれよー」
そう言って疲れたように笑みを浮かべる。悪いね、今疲れてるんだ。
灰色のなかから現れた白い水色はいつもの同じ顔のまま。少しだけ残念と思ったのは確かだ。
手に持った二本の傘から察しがつく、どうせあの人に命令されて探しに来たのだろう。あの人は妙に過保護だから。
あたしだってただ何と無くフラフラしてるわけじゃないよ。言い訳のようにそう呟いて再び歩き出す。
すぐ側に綺麗な白い水色を連れて。
何処に行くの、だなんて君は聞いてくる。別に意味はない、ただ散歩に来ただけだよ。
言い訳のようにそう呟いて再び遠くへ歩き出す。まるで愛の逃避行だ。そんなふざけた事を言えば手に持った傘で叩かれた。
一本の傘に二人が入ることは想定されていない。何処にでもあるような透明のビニール傘に二人で入り、のんびりと歩き出す。
歩幅が大きくのんびりとした歩き方のあたしと、歩幅が小さいけどせかせかした歩き方のソフィア。距離感はぴったりだ、随分と長いこと一緒にいるから当然のこと。
靴に飛び散る雨粒を無視しながら歩みを進める。遠く遠く何処か遠く、意味のない逃避行為。
「今日は何から逃げたの」
「しーらない。そういうのも忘れた」
「あのお方に怒られるわよ」
「いいよ別に、怒られるのはもう慣れたー。多分褒められるのよりも得意」
「……褒められるのは嫌かしら」
「……嫌じゃないよ、慣れないだけ」
そう言って歩みを止める。遠くを眺めれば灰色が視界を覆って、やっぱり遠くの景色は見えないまま。
きっとあの方向には太陽があるんだ。そう思って手を伸ばせば、伸ばした手はソフィアに掴まれ力なくだらりと下ろされた。
太陽に触れた人間はその温度で焼けるのよ。焦燥したように言葉を紡ぐソフィアをぼんやりと見つめた。
何処にも意味なんてないんだ、物事に意味なんてない。そう思い、ソフィアから目を離して灰色に染まった遠くを見つめる。
灰色一色に染まったそこは何もなくて、ただ不安になるような空間がずっと続く。
「ねえ、貴方馬鹿よね」
「突然どうしたねー、可愛い後輩ちゃんよー」
「そうやってからかうのはやめて、先輩後輩関係はあの学園の中だけよ」
「つれないなー」
「遊びで生きてるわけじゃない」
「あー……ソフィア、なんか変わった」
「貴方のせいよ」
そう言って、二人揃って遠くを見る。灰色に埋まった景色は相変わらず何もなくて、ぽっかり穴が空いたみたい。
ソフィアのなかもあんな風に穴が空いてるのかな、そう思うと少し申し訳なくなった。
馬鹿って一体どういう意味?その言葉に意味はある?よくわかんなくて一つくしゃみをする。
微妙な距離感がくすぐったい、けどこれが先輩後輩の関係性なんだろう。付かず離れず、あたし個人としては寂しいけど。
寒いね、なんて声をかければ蒸し暑いとしか帰ってこない。あーあ、ツンデレさんめ。そんな風にからかえば手に持ったビニール傘で足を叩かれた。
「帰りましょう、あの方がお待ちよ」
「そうだねー、みーんな過保護なんだから」
「貴方に対してだけ」
「愛だねー、いいねー」
「馬鹿は黙って」
「はーい」
ふざけて笑ったらなんだか凄く怒られて、それでそれで。
ああいつものソフィアだって安心したらなんとなく力が抜けた。
空は相変わらず曇ったままで、雨粒はいっぱいこぼれ落ちてるし灰色一色の景色はまったく変わらない。
雨やまないねー。そう言って微笑めば少しだけ笑って言葉を返す君が見えた。
太陽に触れた人間が焼けるのなら、触れない距離に置けばいい。
神様は優しいなあ、だなんて思ってまた一歩歩き出す。
一つの傘に二人が入ることは想定されていない。けれど片手に持ったもう一本の傘は、必要ないと二人はよく知っていた。
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