||| ノボルくんと夏
がり、と何かを齧る音が聞こえた。口内を掻き回す固体の感触と、そこから溶ける水の感触。熱により融解するそれの感覚は夏と感じるに相応しい物。
あつい、と小さく呟けば鼻にかけた笑い声と冷たい手が返ってくる。冷たい手の感覚が心地よくて私は目を細めた。
水滴のついた硝子のコップに埋まる、透明な固体がからりと綺麗な音を立てる。
「あつい、あついよ」
「暑くない夏はないだろ」
「違うよあのねー、あついの」
「夏だからな」
そう言って冷たい手を空に近づける。あー、と残念そうな声を出せば水滴のついた濡れたコップを額に乗せられた。
嫌そうな声を出せば少年はカラカラと笑う。不満だ、そう思い体を起こせばその暑さで目も眩んだ。
コップを机に戻す為冷たい床から離れようとすれば、不意に腕を引かれ簡単に体制を崩してしまった。
「痛いよ」そう短く告げれば「悪い」と短く返される。言葉の長さには意味がないものだから。
氷の入ったコップをは冷たい床を徘徊し、フローリングに冷たい水を撒き散らす。そんなものも気にならない程この部屋は暑かった。
窓から入る光だけが光源の暗い部屋、汗に塗れてただやる気なくその場にいる年頃の男女。ぼんやりとした意識に身を埋めて、ただその熱が消えるのを待つ。
暑い、その言葉を免罪符にするにはあまりに罪が重いような気がしてしまった。
「あついね」
「そうだな」
だたそれだけ言葉を交わし、再び身体を起こす。冷たい床から離れ、生温い温度の漂う空中へ。
ぺたり、と何もない机へ力なく落とせば心地良い冷たさが直接的に伝わり、なかなか悪くない。
窓の外で揺れる風景に目を細める。超東驚の夏は暑い、それはもう機械も参ってしまう程に。
地球温暖化という言葉を大人はよく口にする。夏になる度そんな事を言っているが、皆良い加減飽きないのだろうか。まあ我々子供には関係のない話だ、いっそ誰かがこの地球を作り直してくれれば楽なのに。
夏の暑さは思考回路すら駄目にしてしまう。使えない自分の頭にうんざりしながらゆっくりと上半身を倒し、机に伏せた。
「あつい」
「暑いな」
「アイスないの」
「一本しかねーよ」
「半分こしよー」
言葉を投げたまま、少しだけ机から顔を上げる。互いに少しだけ染まった頬は熱のせいなのか、それとも。
深入りせず身体を後ろに倒し、同じように床へと投げ出す。散らばった髪の毛が不快感を分散させていた。
暑い、ただその一言に尽きる。目を瞑り、遠くに鳴く蝉の鳴き声を感じてみた。種類は分からない、女の子は虫が嫌いだから。
蝉の大合唱に耐えられず目をゆっくりと開けば、すぐそばにいた筈の少年は何処にも居ない。アイスを取りに行ったのだろうと脳内で決定付け、大合唱の元である窓の外を見る。
何もない青空の中、ビル群の影から白い雲が顔を出している。特に何の形というわけでもない筈なのに、妙な愛着を感じてしまうのは何故なのか。
誰に問いかけるつもりもなく「夏だね」と呟けばすぐ後ろから「そうだな」と短い返事が帰ってくる。
驚いて咄嗟に振り向けば、透明な袋に包まれた一本の棒アイスを持つ少年の姿が視界に収まる。
「おかえり」と言えば「ただいま」と返される環境が今は無性に幸せだった。
「バニラだった」
「バニラ好きー、ノボルくん先食べて」
「お前が先に食えよ」
「やだよ、ノボルくんの口付けた奴がいい」
「キモ、変態」
「それでもいいもん、お互い様じゃん」
「……じゃあ交互に食うか」
「… …いいよ」
言葉を交わすと同時に透明な袋が開かれる。ひやりとした空気に覆われたそれが羨ましくて、床に身体を倒したまま小さく口を開けた。
一口齧ればバニラの甘い香りが広がる。やっぱりアイスはバニラに限る、そう言うように口元を緩めれば空いた片手で頬に触れられた。
赤色の口内に白いバニラが溶けるのをスローモーションのように眺める。柔らかい頬とか、縦縞の面白い髪とか、普段見慣れたいつもの姿が妙に色っぽく見えてしまうのは夏のせいだろうか。
再び口元にやってきた白いアイスにかぶりつく。甘い、けれど初めに食べた時より甘みが強い気がするのは何故だろう。
そんな爛れた行為を繰り返し、白いアイスに包まれた茶色い棒を露わにする。アイスのせいでベタつく唇を舌で舐めれば、妙な背徳感に襲われた。
「美味しかったね」に対する答えは勿論「悪くなかった」だ、トラ柄の子猫ちゃんは素直じゃないから。
お気に入りの黄色いシャツに描かれた虎のイラスト。いいなあ、と呟けば怪訝そうな顔をされ、その言葉はそのまま流された。
「アイス食べたのにあつい」
「アイス食っただけで涼しくなるとか思ったのかよ」
「思った、頭悪くてごめんね」
「人が言おうとしたセリフとんなって」
「以心伝心ってやつだよ」
「キモ、つーか以心伝心だったら喋る意味ないじゃん」
「あー、声聞こえないのは嫌だなあ」
「だろ」
そう言って二人で手を握る。特に意味はないただの暇潰しだ、二人分の汗に塗れた手が気持ち悪い。
緊張とときめきで何と無くちらりと隣を盗みみれば、彼方も同じことをしていたのであろう互いの視線がぶつかった。ぱちりと一つ瞬きをして笑い声を上げる。
暗い部屋の光源となっている窓の外は青い空が何処までも広がり、白い入道雲が夏の訪れと終わりを大声で予言していた。
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