text | ナノ
 ||| ソフィアちゃんと天の川


「ねえねえ、わたし天の川が見たい」
「それは我儘と受け取っていいのかしら」

うん、と綺麗な髪を揺らして彼女は頷いた。何もない放課後ほ生徒会室、外は雨が降っている。
そういえば今日は七夕ね、と日付を思い出した。やけに生徒が浮かれていたのはこの為か、願い事など叶う筈ないのに。
織姫と彦星、周囲から祝福される仲とはなんとも羨ましいもの。窓際に身体を預けながら空を見上げる彼女に一つだけため息が漏れた。

「雨降ってるけど、織姫様と彦星様会えたのかなあ」
「前から思っていたけれど……貴方、やっぱり馬鹿なのね」
「ソフィアちゃん辛辣!」
「辛辣なんて言葉を知っていたのね、驚きだわ」
「なんだか凄く馬鹿にされてる気がするなんでかな?」

馬鹿にしてるのよ、と続ければ彼女は項垂れて直ぐソファーに戻ってきた。夏とはいえ雨の時期、窓際は寒いだろう。
窓に触れていた手をそっと握る。矢張り冷たい、妙なことをして体調を崩しては重要な時に動けないではないか。
ぷく、と可愛らしく頬を膨らませる彼女を無視して直ぐ側に置かれた紅茶を進めた。無論砂糖は入っていない。
微塵も疑う様子を見せず口に含む彼女に笑いがこみ上げる。「ソフィアちゃんに騙された!」と嘆くのもお約束だ、毎度のことなのだからそろそろ学んでもらいたい。
必死に笑いを押し殺して何時ものように言葉を返す。苦手な渋さにより若干涙目になっている彼女がそれはもう無様で。
彼女は眉を下げて落ち込んでいる様子。それほど気にすることかと問えば小さくため息をつきながら肯定の言葉を返された。

「せっかくの七夕なのに雨だしソフィアちゃんには苦い紅茶飲まされるし……なんだかもう最悪」
「後者は学ばない貴方が悪いと思うのだけれど」
「教えてくれないソフィアちゃんもわるいよう」
「意地悪は嫌いかしら」
「嫌じゃないけどそういう所がずるいの!」

そう言って再び頬を膨らませる彼女に少しだけ微笑んだ。
ずるい、などとよく言うものだ。彼女の方がよっぽどずるいというのに。
そばに置かれたクッキーをつまみながら頬を膨らませる彼女はまるでリスのよう。純粋にそう思い口に出せば今度はそっぽを向かれてしまった。
外は変わらずに雨が降っている。そういえば彼女は今朝傘を忘れたと嘆いていたが大丈夫なのだろうか。
完全に忘れている様子の彼女髪をそっと手櫛で整える。綺麗な髪が雨に濡れたらさらに艶めくのだろうかと思うと、少しだけ緊張した。
はあ、と何度目か分からないため息をつく彼女に言葉を投げかける。如何かしたの、に対するなんでもないはお約束だ。

「織姫様と彦星様、一年に一回しか会えないのに可哀想」
「何故?」
「だって今日会えなかったらまた一年会えないんだよ?わたしだったらソフィアちゃんと一年も会えないなんて耐えられない!」
「貴方だったら、でしょう」
「けど織姫様だって寂しがり屋さんかもしれないよ!」
「織姫と呼ばれるベガは何百年何千年と存在するの、人間の一年なんて対した時間じゃないわ」
「……見てる側はさみしいもん」

恋ってみんなを幸せにするものでしょ?
そう続ける彼女に目眩がした。皆が幸せになる恋など全てフィクション、現に私達の関係は軽率に言えるものではないのだから余計にそうだろう。例え当人同士が幸せだとしても、周囲の目は異端を嫌うのだから。
「ソフィアちゃんが彦星様だったらわたし嫌だなあ」そう小さく呟いて彼女は背凭れに体を預ける。私も嫌よ、何光年もの距離を離れるだなんて。
ただ見ていることしか出来ない我々が物事を言う立場ではない、星に願いを掛けたところで叶うはずがない。瞬きをして彼女の柔らかい手に触れた。
指を絡めて手を繋ぐのが彼女は大好きだ、こうすると直ぐに機嫌が良くなる。
隣を見れば柔らかくと笑う彼女がいて少しだけ安心した。

「ソフィアちゃんが隣に居ないとわたし嫌だ」
「奇遇ね、私もよ」
「……けどそう考えたら本当に寂しいね。織姫様と彦星様、そんな遠くにいるのにちょっとしか会えないの」
「彦星様が光の速さで会いに行くかもしれないわよ、もしかしたらもっと早いかもしれないわ」
「ソフィアちゃんは会いに来てくれる?」
「勿論」

言い切ると同時に手を握る力を少しだけ強めた。手放すつもりは一切ない、私と彼女の繋がりはただでさえ細い物なのだから。
織姫と彦星、その名前に馴染みが薄いのは矢張り生まれの違いなのだろう。少しだけ寂しい気持ちを抑えてため息を飲み込んだ。
――天の川、ミルキーウェイ、宇宙に広がる星の川。
所詮雲の上の存在、地上の雨如きで左右されるものではない。そう良い切ってしまえば楽かもしれないが、彼女の夢を壊すのは忍びない。
彼女はいつでも夢の中に生きている。甘い菓子と幸せに溢れた不思議な目の中。
彼女の世界に私は存在して良いのだろうか。時々そう考えて、直ぐに思考を止める。そんな事を考えるのは彼女に対して失礼だから。
ねえ、と小さく声をかける。外の雨音が小さくなったような気がして、トランス状態に陥るような錯覚を感じた。

「貴方の世界は不思議なものね、綺麗過ぎて恐怖すら感じてしまう」
「好きな物を受け入れてるだけだよ。ソフィアちゃん変なこと言うね」
「私を受け入れても良いのかしら」
「なんで?わたしソフィアちゃんのこと大好きだよ」
「そう……なら良いわ」

そう言って、彼女の肩に顔を埋める。擽ったそうに身を捩る彼女に少しだけ口角を上げた。
何処か遠くの織姫と彦星は今頃幸せそうなのでしょうね、そして時間が来れば再び引き離される。出会いの喜びより身に沁みるのは別れの辛さ、それを知っていながらまだ何度も会おうとする神話とは不思議なもの。
また少し力を入れて、彼女と繋がった手を握りしめた。割れ物を扱うかのように、慎重に。
空いた手で彼女は私の髪を撫でる。まるで立場が逆転してしまったわ、いつの間にか私が彼女に甘えている。
少しだけ上がった口角を元に戻して顔を上げる。窓を見ながら笑みを浮かべる彼女に寂しさと苛立ちを覚えた。

「――ねえ見てソフィアちゃん、雨上がってる」
「……天の川、見れるかしら」
「じゃあ今日の夜一緒に見に行こうよ!ね?」

そう言って彼女は笑う。雨雲の切れ間から差し込む太陽のような暖かさで。
その笑みは暖か過ぎて、私には毒でしかない。好きだけれど、直視は出来ないもの。
彼女の頬にキスを送って、私はソファーを立つ。顔を赤くして、先ほどの笑みを崩す彼女に安心した。矢張り彼女はこうでなくては。

そういえば七夕は短冊に願いを書くものだったかしら。
願いが届くのに何年掛かることやら、そう思いつつも天に掛ける願いを考える。
――時間が掛かるのなら、永続的なものを。
心の何処かで自覚していた願いを抱えながら、生徒会室の扉を開く。そろそろ祠堂が戻ってくる時間帯だ、彼も如何せ七夕と言うことで浮かれているのだろう。
私は彼女からの連絡を待つだけ。今夜遅い時間、共に天の川を見るために。
持っていた折り畳み傘をしまいながら、私は彼女を一人残して生徒会室を後にした。


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