||| 斬夜くんと笑えない子
貴方は何故私を嫌うのですか。
そう思ったあの日から私は言葉を発しなくなりました。何を言っても貴方に伝わる事は無いと理解したからです。
私は言葉を発しないと同時に笑う事も泣く事も止めました。貴方が嫌う理由は分かりません、なら何がいけないのか確かめればいい。そう思い私は感情を表すことを止めました。けれど貴方は悲しそう顔をするばかりでした。
貴方は恐る恐る私の頭を撫でます。私は如何したら良いのか分かりません。私から近付くと直ぐに逃げてしまうというのに酷い人。
貴方の前で私は何も言いません。笑ったりせず泣いたりせず、ただ感情を押し殺すのみ。
勿論寂しいです、苦しいです、辛いです。けれど貴方に嫌われるよりはよっぽどましなのです。
私は貴方が居ないと心細くて仕方が無いのだから。
「ナマエ、偶には一戦交えないか」
「ナマエ、共に茶を飲まないか」
「ナマエ、練り菓子を買って来たのだが」
「ナマエ、偶にはお前の笛の音が聞きたい」
「…ナマエ、笑ってくれないか」
縁側で月を眺めたまま、隣の貴方はそう言いました。
私とて笑いたくない訳ではありません、貴方の前で笑顔になって、貴方と共に茶を飲み、一戦交え、貴方の為に笛を吹きたい。けれどそんな事をしたら貴方は私を嫌うでしょう。
欲望が私を押し潰そうとしてくるのです、苦しいのです。けれどこれは貴方の為であり私の為、これが私の一番望む形なのだからどうしようもありません。
綺麗な月から視線を外し、貴方の顔を見つめます。綺麗な長い髪、眼鏡の奥の綺麗な瞳、矢張り貴方は美しすぎる。
貴方の下がった眉に触れようとして、私は慌てて手を戻す。いけない、其れをしたら貴方に嫌われてしまう。
再び両手を膝の上に戻し、少しだけ眉を下げて月を見上げました。
「…ナマエ」
私に触れようとする貴方に恐怖を抱きました。何故かは分かりません、それは私にとって幸福の筈なのに一体如何して。
結局私に触れず手を戻す貴方に少しだけ残念と思いました。触れて欲しかったのは事実だけれど、触れられて嫌われるならば触れられない方が良い。
嫌な二択だ、他に答えが無いのが泣きたくなる程辛い。
ぎゅう、と膝の上で拳に力を加えました。寂しいです、寂しくて仕方が無いです。けれどそんな事口に出せる筈がない。
零れそうになった涙を無理やり拭って立ち上がります。貴方に泣き顔なんて見せられない、こんな物を見せてしまったら貴方に嫌われてしまうから。
「――ナマエ?」
少し焦った声を聞きながら自室へと戻ります。ごめんなさい、なんて言えたらどれ程楽だろうか。
着物に移された撫子の花に少し胸が痛みます。着物に描かれた撫子の花は笑顔、優美などの意味がありましたね。
今の私に笑顔など優美など似合うのでしょうか。そう思い部屋の隅で膝を抱えます。
良かった、彼に泣き顔を見せずに済んだ。そう思い安堵のため息と涙が零れる。
ずるい人だ、私だって好きでこんな事しているわけではないのに。一体如何して、何故なのでしょう。
こんなに彼が好きなのに、こんなに思っているというのにこの気持ちは少しも伝わらない。
許嫁として連れて来られたあの日から変わらない。あの時女性は苦手と知りながら彼に触れてしまったのが間違いだったのか、其れともまた別の思い出の中なのか。
私は何を悔やめば良いのでしょう。この世界に生を受けた事なのか、如月斬夜の許嫁としてこの家に連れて来られた事なのか、私がしてきた選択か。
「あいたいです、はなしたいです、わらいたいです、あなたのまえで泣きたいです」
誰に伝えるつもりもなく言葉を吐き出します。
この言葉が伝わればどれ程幸せになれるのだろうかと思い身体を横に倒しました。
明日もきっと同じこと、彼に避けられるままの一日。
何処かで動く人影に気付くことのないまま、私はそっと目を閉じます。
明日は何か変えられますように。そう願って意識を手放します。
頭を撫でる、心地よい温度に抱かれながら。
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