||| 正雪くんと先輩
お前の髪は名前の通り、雪のようで綺麗だなあ。
そう言って私の髪を撫でる貴方の手を愛しく思う。元風紀委員長、私の一番憧れる先輩の姿。
目を伏せ、貴方の声を、貴方の姿を、貴方の笑顔をゆっくりと思い浮かべる。貴方こそ私が生涯を捧げる相手に相応しい。
そう思い貴方の手を取るのを夢に見る。同性と思えないしなやかな身体、女性と見紛う細い手足、それでいてしっかりと男という性を表す整った顔。何もかもが美しい私の主――。
「ですから貴方は不用意に対決の申し出を受けてはなりません。そもそも風紀委員長として第一線を引かれた事に納得は愚かその情報すら得ていないものも多く、無謀にも直接貴方へと挑む不届き者も多いのです。対決の申し出は霧雨正雪を倒してから、一字一句同じ言葉を言えと何度言ったら覚えて頂けるのですか。貴方が風紀委員長をお辞めになられたあの日から100と42回同じ言葉を言い続けているのですよ」
「うん、うん、正雪、あの」
「言い訳は結構です、朝食の時間に遅れてしまいますから。所で本日の朝食は如何なされますか」
「あー、うん。少しだけ食べるよ」
「分かりました。直ぐに手配して参ります」
そう言ってお辞儀をし、部屋を出て行く正雪に安堵の息が漏れた。確かにあいつはファイトも強くて、気配りが出来て、真面目で、賢くて、自慢の後輩だ。
けど流石にあれはないだろう。そう思い小さく頭を抱える。悪いやつではない、ただ真面目すぎるだけだ。
…僕が耳を悪くしたあの日から特に過保護になった気がしてならない。以前までは僕の後ろをついて回る可愛い後輩だった筈なのに今の姿は一体何だ、最早母親のようではないか。
嫌とは言わない、だが流石にあれはやりすぎだと思う。あれでは自分の事すら満足に行えていないのではないか、僕が心配なのはそこだった。
「――別に僕だってファイトくらい出来るんだけどなあ」
「今の貴方にはとてもさせることは出来ません」
「…正雪、おかえり」
「ただいま帰還致しました」
そう言って、温かな食事を机の上に乗せる。炊きたての白米、焼きたての魚、味噌汁、卵焼き、お浸し、その他多く。日本食と洋食の混じった奇妙な朝食だが、私は知っている。先輩はこの朝食がお気に入りだと、砂糖の少し多めに入った卵焼きが特にお気に入りだとよく知っている。
先輩は誰かと食を共にするのが好きだ。だから、食堂へ行かなくとも私と共に食事を行う。お気に入りの甘い卵焼きを食べる時の先輩の笑顔が私は好きだ。勿論、私が好きな先輩はそれだけではないのだが。
先輩は艶のある炊きたての白米を少量口に含む。その為に開かれた唇の奥に見えた舌がまた妙に艶かしく、緊張と驚きで魚が喉に詰まって噎せた。
咳をする私に先輩の心配そうな声が聞こえる。私は今一瞬貴方に欲情したのだと言えたらどれ程楽だろうか。
「…ご馳走様でした」
「ご馳走様でした。私は皿を片付けて参ります、以降の時間は他の者が朝食を摂る時間となります故外出は控えるよう。分かりましたか」
「うん、分かってる。だからそんな耳元で言わなくて良いって、聞こえてるよ」
「貴方は都合が悪いと直ぐ聞こえない振りをします、此れくらいしなければ」
そう言って少しの笑みを浮かべ、私は部屋を出る。二人分の食器に胸が高鳴った。先輩の使用した箸――それを考えるだけで目眩がする。自らを貶める行為などしてはいけない、先輩のお側に要ることが私の務め。
大きく息を吐き、気持ちを切り替える。私は先輩に対して尊敬の念だけを持っている、欲情などという下劣な感情は持ち合わせていない。そう自覚し直して食堂へと向かう。
――外で鈍い音が聞こえる。また朝食を賭けた戦いに敗れた者が木の実でも取りに行ったのだろう。
余計な思考を隅に送り食堂へ急ぐ。何、生徒会長からの呼び出し?なんと間の悪い、先輩へ外に出るなと言ったばかりだというのに。
小さくため息をついて大人しく生徒会室へと向かう。また無駄なことを。
生徒会室へ向かいながら意図してため息を吐く。そういえば先輩がため息を吐くと幸せが逃げると仰って居たが……寧ろ幸せでないからため息が出てしまうのだと言いたくて仕方が無い。早々に戻り先輩に会いたい――。
――正雪が帰ってこないまま既に30分が経過しようとしている。可笑しい、こんな事今迄殆どと言って良い程無かったというのに一体何があったのだろうか。
生徒会長に呼び出しでもくらったのだろうか。正雪ならない話ではない…が、そうだとしても必ず俺に連絡が来る筈だ。今迄そうだったのだからその筈。
それにしても一人は暇だ、普段は正雪と共に本を読んだり授業の予習をしたり、勉強を教えて貰ったりしているから余計に虚無感が大きく感じる。
一人になったのは久々だ、耳を悪くして以来ずっと正雪が側に居たから違和感しか感じない。
目を閉じて読んでいた本に栞を挟む。正雪にはああ言われけれどどうも心配で仕方が無い。騒がしいのは主に食堂だし、少し外に出るくらいなら良いだろう。
少し耳が悪くても死ぬわけではない。そう思い、緑溢れる外へと繰り出した。
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