||| タスクくんが見つからない
(お題頂き物)
(みんなの見本タスクであろうとした結果、精神的に参って皆同じ顔に見える精神的病気にかかってヒロインを探せないタスクくん)
綺麗だった水色の髪が傷んできたのはいつからだったか。
白い壁、白い床、白いベッドに、何もかもが白い部屋。窓もない、ここが何処かも分からないような不安な場所。
私は此処が嫌いだ、嫌いで怖くて仕方が無い。そう思いながらも、今日もわたしは扉を叩く。
こつこつ、という木が奏でる甲高い音。嫌いじゃない、けれど好きにもなれないし慣れることもない妙な感覚。
「どうぞ」と声がかえってくる。よかった、彼は元気みたい。少しだけ安心してスライド式の扉を開けた。
「こんにちは、今日も来てくれたんですね」
「…ええ、コマンダーIに言われて」
「そうなんですか…なんだか申し訳ないなあ」
そう言って苦笑いをするタスクくんに私は笑うことが出来なかった。
昨日私はここに来ていない。誰か、ステラさんや滝原さんなどの交流が深かった人物が顔を出して居るのだろう。本当の〈その他大勢〉には彼の居場所を公表していないから。
彼の友人にだって、彼の居場所は一切伝えていない。それもまた彼の〈病気〉に強い影響を及ぼす可能性が見えている。
少しだけ辛くなって、窓際の椅子に座りながら少しだけ俯いた。タスクくんの困惑したような声が聞こえる。
「ごめんなさいね、此処ちょっと遠いから疲れちゃって」
そう言って朗らかに笑いかける。その様子に、下がっていたタスクくんの眉も元に戻ったようで安心した。
「それで、コマンダーIはなんて?そろそろ僕も復帰して大丈夫ですよね?」
「まだ駄目って。タスクくんももう少し病人の自覚持った方がいいんじゃない?」
「酷いなあ、僕は平気ですよ。早く戻りたいのに…皆分かってないんだ」
一番分かってないのは君よ。その言葉を、一歩手前のところで言葉を飲み込む。駄目だ、そんなこと言ってはいけない。
我儘な子供を相手にするような感覚だ。間違ってはいないのだろうけれど、どうも感覚が抜け切らない。
私と彼はただの同僚、その他大勢。無理やり線を引いて、自覚し直した。
暗い顔で自分の手を眺めるタスクくんに、かける言葉が見つからない。何を言っても効果はないだろう、所詮はその他としか見られていないのだから。
顔を特定出来ない知らない誰かの感覚。どうして私の顔まで、とは思う。だがしかし、それを悔やむ程私に時間は残されていなかった。
「皆君のことを大切に思っているの、だから少しだけ我慢してあげて?」
「僕がいなくて彼処は回るんですか?ずっと僕が、僕は」
「…」
「僕が居なきゃいけないんです、僕は皆の希望でなくちゃいけないから」
「タスクくん、それは…」
「僕は皆の見本でなくちゃいけないんです!彼女も、ナマエさんもそれを望んでいたから!!」
耳を塞いだまま、悲痛な声で叫ぶタスクくんを呆然と見つめた。
違う、そんなこと望んでいない。そう言って、抱き締めてあげられたらどんなに良かったのか。彼を安心させてあげられる方法なんてなに一つ浮かばない。どうして私はこんなに駄目なんだろう。
――重圧に押し潰され、皆に期待されすぎた運命。
ごめんね、と小さく謝りながら彼の手を取る。幼い子供特有の柔らかな手だ、所々硬い部分がまた男の子らしさの鱗片を見せている。
きゅ、と手を握って彼を見つめる。赤色の瞳が妙に不安感を掻き立て、一瞬彼が本当にタスクくんなのかと分からなくなってしまう程。
あ、と小さく声を漏らすタスクくんに安堵のため息が漏れる。良かった、彼はちゃんとタスクくんだ。
「ごめんね、突然」
「い、いえ…」
少しだけ口を開けて放心状態。ぼんやりと虚空を経由して私を見つめるタスクくんに心臓が大きく動く。まさか、いや期待はしない方がいい。
握っていた筈の手はいつの間にか彼の両手で覆われていて、心臓の動きが早まる。やめて、期待させないで。そう願っても鼓動が収まるわけがない。
耳鳴り、酸欠、極度の緊張で呼吸が苦しい。落ち着いて、ああ、彼が分かる筈ないもの。だって――。
「貴方の手は、僕の大切な人にとても似ていますね」
「…そうなの?」
「はい。まるでナマエさんみたいだ」
弱々しい声で、そう呟く。そうだ、彼が気付くはずもないんだ。
――彼の中に私は存在しない、忘れられたもの。
虚ろな瞳で私の手を見つめるタスクくんに眉が下がる。口の端をきゅっと結んで、彼の手を握り直した。
水色の髪が小さく揺れる。赤色の瞳が少しだけ見開かれる。どうしてこうなってしまったんだろう、どうして…。
「ナマエさんに会いたいのに…どうしてでしょうね」
「タスクくん……」
「ナマエさんはきっと、僕の事を見捨てて何処かに行っちゃったんです。僕が皆の見本でなくなったから」
そんなことない。そう呟こうとしても言葉にはならなかった。彼にとって今の私は〈その他大勢〉の一部、そんな大層なことを下手に言っても逆効果。
ぐしゃぐしゃになった顔に涙が浮かぶ。この子はいつからこんな風になってしまったんだろう。
暖かいと握ってくれた私の手、優しいと言ってくれた私の声、大好きだと言ってくれた私の瞳。
俯くタスクくんの頭を撫でたい衝動に駆られる。今の彼に過干渉することは許されていない、そんなことをしてはいけない。脳はそう理解していても、溢れる衝動を抑えることは出来なかった。
彼にそっと手を伸ばす。柔らかい水色の髪に、小さな頭に、壊れものを扱うかのようにそっと触れる。涙が零れ落ちそうなのを必死に堪えて。
「……やっぱり、貴方はナマエさんみたいです」
「そう?」
「そう、ですよ……」
――会いたいなあ。
その言葉が白い床に落ちる。私も会いたいよ、君に〈私〉として会いたい。そう思っても、そう簡単に叶う筈がない。
片手は彼に握られたまま、もう片方は彼の頭を撫でたまま。直ぐ側に彼がいるのを感じてゆっくりと目を閉じる。暖かい感覚に抱かれて、何度目か分からない涙がこぼれる。
此処に居るよ、そう叫ぼうとも今の彼には――皆が同じ顔に見える今の彼には、そんな言葉も伝わらない。
〈相貌失認〉。先生はそう言っていた。
周りは見えて居る筈なのに、人の顔を認識出来なくなる。親しい人すらも、大好きだった人の顔すら見えなくなってしまう。
周りの期待に押し潰されて、〈その他大勢〉の雑音に掻き消されて、気付けば彼は声すら識別出来ない程弱っていた。
いつからこんな事になったのか、いつになったら治るのか。あの日先生はなにも言わずただカルテを見つめていた。
「ねえタスクくん、ナマエさんに会ったらどうしたい?」
「……ナマエさんにはもう会えませんよ。きっと彼女は何処か遠くへ行ってしまったから」
そう言って、諦めたように彼は笑う。
そうね、貴方の中のナマエは死んでしまった。もう貴方に会うことは二度とないのかもしれない。
白い病院の壁に、二人分の影がはっきりと映し出される。私は此処に居るのよ、貴方は気付かないでしょうけど。
窓の外に広がる空の色、緑の竜と空を駆ける彼はもう居ない。
――会いたいなあ。
それは何方が発したものか。
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