text | ナノ
 ||| ソフィアちゃんと籠の鳥


カチカチとなる時計が酷く煩わしい。ぽたりぽたりと落ちる雫の音が不快で仕方が無い。目を瞑れば周りの雑音が大きく聞こえる。
吐き気がする、何処にいけば私に平穏は訪れるの。そう思って駆け出した。傘も差さずに、雨降る道を通り抜けて。
冷たいとも思わない、けれど楽しいとも思えない。そんな曖昧な心持ちのまま雨のなかを走り続ける。濡れたシャツが皮膚にくっ付いて気持ちが悪いけれど気にしない。
時計の音も、雨の音も、周りの声も雑音も全て嫌になった。大きな音は嫌いで仕方が無い。
親に怒鳴られるのも、怒られるのも、ガラスが割れる音も物を落とす音も君が転ぶ音も人を叩く音も全部が嫌いた。全て私を不幸にするから。
ぽたりと何かがこぼれ落ちる。雨なのか涙なのか、今この状況じゃそんなの分かりっこない。
握りしめた手が酷く痛む。強く握りすぎた為か、無意識に爪を立てていたようだ。
雨の音は嫌いでも雨自体は好きになれそうだ。涙も血も、全て流してくれるから。

好きでこんな事してるんじゃないのに、好きで逃げ出したんじゃないのに。そう思って路地の隙間に座り込む。誰も来ない、誰も見つけてくれない冷たい場所。
自覚すると同時に、膝を抱えて小さく震える。――とっても寒くて仕方が無い。
ぽたりと涙がこぼれる。私が何をしたというのだろう、ただ幸せになりたかっただけなのに。
辛くて寒くて苦しくて、死んでしまいそうだ。言葉にもならずに意思は直ぐ地に落ちる。
このまま死んでしまえたら楽なのに。そう思い意識を手放そうとした瞬間、私に落ちる雨が止んだ。

「やっと見つけた、帰るわよ」
「ソフィア、ちゃん」
「私じゃ不満だったかしら」

ちがう、そうじゃなくて。
そんな言葉は声にならずやはり地に落ちる。雨のせいで相当体力を消耗しているのが自分でも分かった。
びしょ濡れの私をみてソフィアちゃんがため息を吐く。吐かれるようなことをした自覚はあるけれど、何故彼女が私を探しに来たのだろう。
ソフィアちゃんが差し伸べる手を掴み、そのまま立ち上がる。ふらふらとして上手く立てないが、掴まりながらなら大丈夫だろう。そう思い一歩を踏み出した。
が、ぐらりと視界が揺れる。立ち上がれない程疲れただろうか?と思えば酷い頭痛が私を襲う。何てことだ、風邪までひくとは何という失態。

「…車を呼ぶわ」
「そこまでしなくても、平気だよ……。ディザスターフォース使えばいいし…」
「…持たないで出掛けたから探しに来たのよ」
「あれ…そう、だっけ」

そこまで覚えてないとは何ということか、記憶力にはそれなりに自信があったのに。うう、と小さく唸ってソフィアちゃんに寄りかかった。正直立っているのも辛い。
上の方から溜息が聞こえる。また迷惑をかけてしまった、そう思い眉を下げる。迷惑を掛けないように生きたいのにどうも上手くいかない。
何度目か分からない涙がこぼれる。頑張ってるつもりなのになあ、なんで上手くいかないんだろう。

「無理しなくていいわ、あの方も望んでいないもの」
「無理しないと…どうも怖いんだ、ごめんなさい」
「誰も貴方を捨てないわよ」
「……それはわかってる、よ」

そう言って、眉を下げたまま目を閉じる。呼吸が苦しい、頭が痛い。自分が何を言っているのかすらよくわからない。
「ごめん、寝てもいいかな」と小さく謝罪して目を閉じる。ソフィアちゃんの手が私の頭をゆっくりと撫でる。あったかいなあ、安心する。
怖い両親も、大きな音も、嫌なものは何もない。何もないはずなのに、無いのが逆に不安で、心が埋め尽くされるような気分になる。
大粒の雨が傘にぶつかる。怖いものはこの傘が全て弾いてくれるのに、分かっているのに、どうも安心しきれない。何を怖がっているんだろう、私は。
今は暖かいここで安心すればいい、そうだ、それだけのこと。そうだ――――。


きゅ、と車が目の前で止まる。運転手に傘を預け、ナマエを抱えたまま車に乗り込めばやはり先客が居たようだ。安心したような、嫉妬に燃えるような奇妙な感覚が私を襲う。
「近くを通っていたものでね」などと平然としたまま言ってのける自分の上司に苛立ちを覚えた。近くを通っていたなど嘘に決まっている、ナマエが弱った所を回収するつもりだったのは明白だ。
極限までナマエを追い詰め、逃げ場を失わせた所で救いの手を差し伸べる。元々居た婚約者という立場を更に確実なものにする――全ては自分の欲望の為、ナマエの心など無いものと扱う方針にはどうも賛同できずにいた。
どれ程酷いことをされてもナマエが逃げ出さないのは、その散々植え付けられた恐怖の足枷故。まるで囚われた小鳥のような状態。
それでも、疑うことを知らないこの小鳥は縋ることしか出来ないのだろう。そして、同じことを繰り返す。

「そんな怖い顔をしなくても良いじゃないか、とって食べてしまう訳でもない」
「貴方様なら本当に食べ兼ねません」
「…そうだね。確かに、こんなに可愛い白い肌、食べない方が勿体無い」
「止めてください、ナマエをどうするつもりですか」
「どうするも何も…婚約者である以上、僕の所有物には変わりないさ」
「……ナマエは物ではありません」
「物さ、臥炎財閥総帥の婚約者という立場に生まれた事が運の尽き。そうは思わないかい?」

白く冷たくなったナマエの手を取り、うっそりとした声で呟くキョウヤ様に皮膚が粟立つ。
その白い肌が不気味さを煽り、まるで死体を愛でているような光景に吐き気がした。
この方ならナマエの死体を愛でても可笑しくはない。それ程までに奇妙で歪んだ、愛の形。
キョウヤ様の手がナマエの頬をゆっくりと滑り落ちる。今すぐこの場を立ち去りたいが、二人きりにしたくもない。ナマエが死んでしまうのは、壊れてしまうのは怖くて仕方が無いから。
クスクスと笑って髪から頬、頬から唇へ、唇から首へと指を下ろしてゆく。
椅子に横になり、タオルケットをかけられたナマエが目覚める様子は一切ない。早く帰って看病をしてやりたいのだが…困ったものだ。

「キョウヤ様、ナマエは風邪をひいております。あまり近付かない方が宜しいかと」
「ナマエの風邪か…ナマエの感染した病原菌に僕も感染すれば、擬似セックスになると思わないかい?」
「…お戯れを」

変わらぬ笑顔のままとんでもない発言をする上司に目眩を感じた。本当にこの人は何を考えていらっしゃるか理解出来ない。否、理解しようとも思えないけれど。
部下の前で擬似性交などという単語を出すか、思春期の盛り付いた男でもあるまい、と心の中で苦情を送る。ああ、ナマエが寝ていて本当によかった。
「ナマエの前であまり変なことを言わないでください」と言いやすい苦情を送れば「寝ているんだからかまわないだろう?」と変わらぬ笑顔のまま返される。ふざけるな、そういう問題ではない。
ナマエの指へ愛おしそうに触れるキョウヤ様をジト目で見つめる。この方は何を言っても聞く耳を持たないのだから困ったものだ。
ハア、と溜息をついて窓の外を眺める。雨が上がって、虹が出ているじゃないか。ナマエが喜びそうだというのに、この上司は本当に空気が読めないと思う。
空を眺めてぼんやりと思った。ナマエは、今の立ち位置で幸せなんだろうか。
病んだ婚約者と過干渉な部下に囲まれて、やりたいことが出来ない生活。
以前の暴力的な両親や、虐待の痕に比べればよっぽど幸せかもしれない。けれど、それは婚約者――キョウヤ様によって仕組まれた壮大な悲劇。結局ナマエはいつでもあの方の手の上で弄ばれたまま。
…本当にナマエは幸せなんだろうか。普通の家庭に引き取られ、只普通に子供らしく生活する事を彼女は望むのだろうか。
…もし望んだら私はそれを受け入れられるのだろうか、手伝えるのだろうか。

考えているうちに、何処までかナマエの意思なのか分からなくなってくる。結局私は一体何を望むのだろう。
ナマエの幸せか、私自身の幸せか。
くすりと微笑むキョウヤ様に気付くことなく、私はただ窓の向こうを眺め続けていた。


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