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ふはあ、と缶の蓋を開け中身を一気に飲み干す。帰宅してからのジュース一気飲みが、繰り返される日々の数少ない楽しみだ。
そんな僕をハーティが冷ややかな目で見てくる。知っている、こういうシチュエーションには酒だろうビールだろうと訴えたいのだろう。
しかし僕は重度の下戸であって、下手に酒を飲むとそのアルコールのせいで物凄い勢いで眠りについてしまうのだ。ー因みに仕事の付き合いでも酒を飲むことは殆どなかったりする。大体滝原が気を使ってくれているらしい、本当にありがたいー
故に酒は飲まないし、我が家には料理酒すら置いていないのである。自炊は好きだけれど、酒を使わずとも料理は作れるから。
がらんと音を立ててジュース缶をゴミ箱に投げ入れる。微妙にずれてゴミ箱の淵にぶつかったが、無事にゴミ箱へと一発で投入完了。態々拾って入れ直すのもわりと心にくるものがある。
毎日の楽しみも終わった、食事も食べた、風呂にも入ったしもう今日はすることがない。
さあ寝てしまおう、そう思いもぞもぞとベッドへと入り込む。ああ暖かい、これが布団の魔力か。眠気が一度に押し寄せてくる。
それにしてもハーティ、君は如何してそんな苦虫を噛んだような顔をするんだ。重い瞼を無理やり持ち上げハーティを見つめる。「…なに?」と声をかければ無言で頬を抓られた。一体どういうことなのか。
「…ハーティ、反抗期?」
「そんな年頃もう過ぎたわよ」
「だよね、ハーティもうおばさんだし。…ごめん、訂正するから杖を構えないで」
まだまだ少女の年齢だよ、と眠気の残る笑顔で告げる。まあ誰にでも分かる世辞だが…幾分か機嫌はとれたので良しとしよう。
それにしても眠い、早く寝たいのだが一体どうしたというのか。
神妙そうな顔のまま、ハーティは俯く。ぱちくりと目を瞬かせて彼女を見つめると、何故かその青い髪に引き込まれそうになった。
「ねえ」いつものトーンとは違う、いくらか低い声で彼女は僕に話しかける。半分ほど布団を被ったまま小さく返事をすれば、「夢の話よ」と短く言葉を付け足される。
夢の話、ここ数日見続けるタスクくんとの夢のことか。眠気の蔓延る脳内でぼんやりと理解を深める。
寝不足以外は何も困ってないんだけどなあ、と小さく声を漏らせば露骨なため息が上から降ってくる。ああ、一瞬でいつものハーティに戻ってしまった。
「なんだよ」
「別に何も言うことはないわよ。早く寝なさい」
「ハーティが言い出した癖になにそれ」
「煩いわね、貴方に言うことなんてないわよクソガキ」
「もう成人してるよ」
「私にとってはまだ子供よ」
そう言ってデコピンを一発かまされる。痛い、と声をあげそうになったがよく考えればそれほど痛くはない。
「あー、うん、おやすみ」
曖昧な返事のまま眠りの言葉を投げかければ、同じ言葉が僕にも帰ってくる。おやすみという言葉を何度言っただろう、何度帰ってきただろう。
帰ってきた〈おやすみ〉という言葉の記憶はあまりないけれど、また一つカウントされた〈おやすみ〉に僕は温かみを感じる。
心なしか口角の上がった口をそのままに、布団に潜る。全身を包み込む暖かさがやっぱり一番良い、そっと両手を握って目を瞑った。
もしも夢の中でタスクくんに出会ったら一言言ってあげようと思う。そしたら、同じ言葉が返って来る筈だから。
ぽたりぽたりと降り始める雨音をBGMに、そんな事を考えながらゆるく意識を手放した。
「……あれ?」
ーー寒い。
ただそれだけを感じて意識が浮かび上がった。
視界は相変わらず暗いままで、ここは何処なのかまったく分からない。
寒くて、暗くて、なんとなくここは嫌いだって思った。理由は分からないけど、何故か赤色を思い出すから。
ぽたり、と何処かで雨音が聞こえたような気がする。夢の中でも雨は降るのだろうか。
…今日はタスクくん、居ないのかな。
そう小さく呟いても、返事をしてくれる人は誰も居なかった。
それもそうだ、結局は夢の中。赤ん坊が親を選べないように、見る夢を自分で選ぶことはできない。
「タスクくん、居ない?」
暗いままの空間に問いかけても返事はない。
夢とはこれ程寂しいものだっただろうか、これ程廃れたものだっただろうか。
僕が幼い頃見た筈の夢はキラキラとしていて、色とりどりな素敵なものだった筈なのに何故?
じわりと涙が滲む。僕はこれ程幼かっただろうか。
暗い場所で一人になることは、大人なら普通の筈のに。
ーー普通ってなに?
何処かで誰かが問いかけてくる。普通が何なのか、誰の普通なのか何処の普通なのか僕には理解が出来ない。
僕は…普通なんて分かりたくない。
ーーじゃあ、大人ってなんなんだろう。
知らない、僕は何も知らない。僕は大人で、成人で、立派な社会人。世界は僕を大人と認めている。
世界が認めたのならそれでいいじゃないか。世界がそう言うのならそれで良いじゃないか。
ぽたりと雨音が聞こえる。
何処から聞こえているのか、何処で鳴っているのか分からない。曖昧な夢の中で、曖昧な脳の中でぼんやりと考える。
僕は大人なのか、それとも子供なのか。大人の基準とは?それは誰が定めたのだろう。
遠くで雷の唸る音がする。ああ、夢の中でも雨は降るのか、雷は落ちるのか。
ぼんやりとそんなことを考えて、僕は今日も意識を手放す。
水色がないだけでこれほど不安になるなんて、一体どうしてなんだろう。
冷たい目元をそのままに、僕は意識を手放す。
大人と子供の境界線の上で、曖昧なまま。
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