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ビッとテープを引っ張る音がする。
京子に痛くはない、と言ったが、本当に痛くないわけではなく、かと言って、妹の前で痛いと喚くようなこと、兄として、男として、出来るはずもなかった。
背中の筋肉に添えるようにテーピングがされていく。
見てはいないが、柚木妹は真剣な顔をしているだろう。
ほんの少し動かしやすくなった身体を起こそうとすれば、ぺち、と軽い手で背を叩かれた。

「テーピングが効いているかどうかを確かめてはほしいけれど、今はまだ駄目です。京子ちゃん、泣いちゃいます」
「それは駄目だな」
「はい、駄目です」

だからまだ身体は倒したままでいてくださいね、なんて言う柚木妹の声は、明るい。
………………明るいのだが、こう、ちょっと違うのだ。
いつも柚木の傍にいて、だけれど一歩引いたところにいる柚木妹の声とは、少し違うのだと、そう感じる。
俺は沢田ではないし、柚木ではないから、そこまで柚木妹のことをわかっているかと問われると答えはノーだが、では全く知らないのかと問われれば、その答えもまたノーなのだ。
俺は俺なりに彼女を見てきた。
京子の大切な友達。
俺の大切な友が大事にしている妹。
俺が共に戦うと決めた男がいっとう大事にしている少女。
俺にとって、もう一人の妹。…………これは本人に告げたことはないから、俺が密かに思っていることではあるが。
うつ伏せのまま、ただ静かに待っていれば、ふと柚木妹が動く気配がした。

「どうした?」
「え、いえ、何も」

そっと静かに、柚木妹が傷に触れる。
彼女の指先はひんやりとしている。昔はそうでもなかったはずなのだが、何故だがひんやりと、氷とまではいかないが、触れれば冷えていることがわかるほどには冷たい。
…………………んむ?

「柚木妹、何かあったのだろう?」
「へ?」
「俺は沢田ではないが、お前との付き合いは短くはない。まぁ、京子ほどの理解度はないが、それでもお前のことはわかっているつもりだぞ」
「了平先輩………」

寝転んだまま、少しだけそちらに顔を向ければ、柚木妹は目を丸くさせて俺を見ていた。
それから、力無く笑って口を開く。

「了平先輩、ちょっとだけ聞きたいことがあります」
「なんだ?」
「一緒にいると安心するのに、一緒にいると不安になる。その不安がただの不安じゃなくて、何ていうか、不快感とか、いや、違うのかな………えぇと、言葉にならない感覚があって、不安より、恐怖に近いかな。そういうの、どう解消したら良いんでしょう」
「………………………」

恐怖。柚木妹は恐怖と言ったか。
傷に触ることのないよう、ゆっくりと身体を起こす。そんな俺を見て、柚木妹も姿勢を正した。
正座して、膝の上でかすかに握りしめられている手を、そっと握る。

「それは解消しなくてはならないのか?」
「え?」
「安心するのも確かで、不安に思うのも確かで、恐怖を感じるのも確かなのだろう。それで良いではないか。何が駄目なんだ?」
「だって、」
「正も負も、お前にとって大事な感情だろう。それを片付けてしまって良いのか?」

俺は詳しいことはわからんし、きっと柚木妹も詳しいことは言わんだろう。だからここは俺が思ったことを告げよう。
それがきっと、彼女のためになる。なるはずだ。

「無いことにする必要もないし、片付ける必要もないだろう。矛盾していても問題ない。俺たちはそも矛盾を抱えているだろう。良くも悪くも」
「そうなんですけどねぇ」
「片したいのか?」
「出来れば、そうした方が良いのかなって思うんです。安心するのは良い。でも、」
「不安と恐怖では後ろめたいか」
「すっごい、了平先輩! よくわかりますね」

冷えてしまった手を握りしめる。
小さいこの手で、柚木妹は一体何を掴みたいのだろうか。

「後ろめたくともお前が抱えたものだ。すべてを常に持っていろとは言わんが、別に捨てなくてもいいと俺は思うぞ」
「どんなに後ろめたくても?」
「そうだ」

じっと彼女を見つめる。彼女もまた、俺を見つめ返してきた。
黙ったままでいれば、彼女は困ったように眉を下げ、

「難しいですね」
「そうだな。感情なんてものはとても難しい」
「不安も恐怖も、無くていいのに」
「そうか? 俺はとても大事だと思うぞ」
「了平先輩でも、不安も恐怖も、あるんですか?」

首を傾げながら言う柚木妹に、当然だろう? と、俺は笑いながら返した。

「俺だって不安も恐怖も無いわけではない。未来に来てからずっと持ってる不安も恐怖もあるぞ」
「了平先輩が?」
「俺自身が傷つく事は良いのだ。いや、良くないがな。それでも、沢田とともにあって、彼の元で戦いのだと決めたのは俺だ。だがな、その決意には京子たちを巻き込むことまでは含まれていない」

沢田が京子たちにすべてを話したことには驚いた。驚いたが、そこに関しては彼とはもう決着を付けた。それ故に今更何か言うつもりはない。
だがそれでも、思うことがないわけではないのだ。

「京子たちを巻き込む決意を先に沢田がした。俺はそれに間に合わなかった。それも含めて、今でも京子が傷つくのではないかとずっと不安だ」
「綱吉のこと、恨みますか?」
「まさか。………………沢田とて、好きで巻き込んだわけではないのはわかっているのだ。それに、きっちりけじめは付けたのでな」
「………………綱吉の頬?」

ふ、と息が漏れる。
知っていたか、と言えば、こくり、と柚木妹が頭を動かした。

「そうだな。だがそれは、京子たちを巻き込む覚悟であって、恐怖を飲み込むものではない」
「それが、了平先輩の恐怖?」
「なぁ、柚木妹。傷付くとはどういうことだ?」
「んん?」
「身体の怪我だけが『傷』か? そうではないだろう。………京子たちは、誰が怪我をしても苦しむし、悲しむだろう。それはそれで『傷』なのではないか? 京子たちがこれ以上、傷付かないとなぜ断言できる? 俺たちはミルフィオーレと戦いながら、戦い以外で傷付くものたちの心を守るには、どうしたらいい?」
「………………」
「でも、戦わない道はないだろう?」

戦えば誰かが怪我をし、戦わぬものの心も傷つける。
だからと言って、戦わない道を選ぶわけにはいかない。
巻き込みたくないのに巻き込んだ。
傷付けないで済むはずがないとわかっていても、傷付かないでほしいと願う。

「これもまた、矛盾だろう?」
「それは、それはそうですけど」
「柚木妹は答えを急いているな」
「えっ」
「生まれたばかりの感情を、急いて無くして、それでどうする?」
「どうするって………………?」

わからない、と言わんばかりに目を瞬かせた柚木妹の手を今一度握る。
やんわりとこちらの温もりが伝わったのか、先程よりは暖かく感じるようになった。

「後ろめたく感じるのは、お前が相手を案じている証拠だ。だが、相手を案じるからと言って己を軽んじてはいかん」
「軽んじては、」
「いないと言えるか?」

ひゅっと息を飲んだ柚木妹は、震える唇をきゅっと噛み締めると、ぐぐ、と眉間に皺を寄せた。

「そんなに? 私、そんなに自分のこと蔑ろにしてますか?」
「俺以外にも言われたか?」
「いえ、ただ、………………自分に自信を持ちなさいとは」
「そうだな。それはとても大事なことだ」

柚木妹は困ったように目を伏せて、それから震える声を漏らしていく。

「私は、………………私なりに私を大事にしています」
「足らんのではないか?」
「っ、え、そんなあっさり」
「これっぽっちも足りんのだと思うぞ」
「えぇ………」
「だから、あの二人がああなのだろう」
「………? あの二人………?」

本気でわからない、と言わんばかりの彼女の声に、思わず吹き出してしまった。
それと同時に、少しだけあの二人が可哀想に思ってしまった。

「あの二人だ。お前が自分のことを大切にしないから、必要以上に過保護なのだろう」
「………あぁ、スペルビとディーノさん」
「この時代のあの二人がああなのだから、この時代のお前も相当なのではないか?」
「あー………………。えぇ、そうなんですかね?」
「少なくとも俺はそう思っていたが」

手を離して、悩みだした柚木妹の頭をぽんぽんと叩いた。

「お前がお前を大切に出来ないなら、お前以外がお前を大事にするだけだ。そう俺は思っていたぞ」
「なるほど………。…………はい、もうちょっと、考えてみます、今回の感情のことも、その、自分自身のことも」
「それがいい」
「あーーーーー!!!!」

ようやく、無くす以外の答えを受け入れられた柚木妹の頭を撫でていたら、大きな声が響いた。
そうして、柚木妹の背後から何かが覆いかぶさる。
む、

「柚木ではないか」
「なぁんで、了平が静玖のお兄ちゃんしてるの! 静玖はわたしの妹です!」

ぎゅうう、と柚木妹を痛いぐらいに抱きしめた柚木に怒られたが、お姉ちゃん出来ない柚木がいけないのではないか、と思ってしまう。

苦しいよ、なんて言いながらも嬉しそうにしている柚木妹を見て、少しだけ心が軽くなった気がした。



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