雪、虹の藍と紫のために家出する


ぱちくり、普段ならば寝ている時間だと言うのに、どうしてだか、目が覚めた。
幼子は身体を起こして左右を確認すると、ぽつり、小さく声を漏らす。

「      」

その呟きを聞くものは誰もいない。
きゅっと、唇を噛み締めた幼子は、掛けられていた毛布を放り投げ、彼女用に誂えたベッドからその身体を離すのだった。







「は?」

それは、御曹司に掛けられてきた電話だった。
ボンゴレ本部からの電話だったので無視するわけにもいかなく、御曹司が電話に出れば、彼の声はより一層低くなった。
なんだぁ?
がしゃん、と大きな音に視線を向ければ、机にあったティーカップが床に落ちている。
あーあ、ありゃ、カーペットのクリーニング大変だぞぉ。

「おい、カス鮫」
「あ? なんだよ、御曹司」
「本部の城から白雪が居なくなった」

―――は?

「誘拐か?!」
「いや、どうやら自分から出ていったらしい」
「は?! チビ姫がかぁ?」
「うるせぇ!!!」

本をぶん投げられたが、どうにか躱す。
躱せるっつーことは、静玖が居なくなったことに少しは動揺していると言うことだろう。小さな動揺が見て取れた。
ソファから腰をあげる。
兎にも角にも、静玖を見付けるのが先だろう。

「必ず見付けろ」
「Si」

全くあのお転婆娘、一体何が不満だったんだろうか。







☆ ☆ ☆ ☆







息が切れる。
バカみたいに逃げて、逃げて、目の前の背中を追う。
どうしてこんな事に、どうして!

「考えてる場合じゃないよ、スカル!」
「って言っても、アンタの所為だろ、バイパー!」
「今の僕はマーモンだよ」

ふよふよと、だけれど迷いなく浮いて先を行くバイパー………マーモンも休みなく幻術を使っているので体力を消耗しているし、オレも後ろから狙撃されてあちこちすでにボロボロだった。
どうしてこうなった。いや、マーモンの所為だけれど。いや、マーモンを騙したマフィアが悪いんだけれども。
金に目が眩んだ、なんて言い方はしたくない。マーモンが金を集める理由は知っているから。
それにしたって、

「依頼だけ遂行させて、金は払わない! 命は狙ってくる! なんつー奴らだ!!!」
「フン、三日も追いかけてきてるくせに僕達を殺せやしないんだ。大人しく金を払ったらいいのに!」
「払ってきたらどうすんだ?!」
「僕を殺そうとしたんだから潰してやる。絶対にだよ」

だよな。
だいたい、なんで俺が巻き込まれたんだ。あぁ、肉壁か。………言ってて悲しくなってきたな。
だいたいなぁ、身体は頑丈だけれど、痛いものは痛いんだぞ?!
ブチブチと心の中だけで文句を言って、足を動かす。
『表』の者がいても構わず銃を撃ってくる。なんて奴らだ!
目の前のマーモンのコートを引っ張って、水路に出る。
岸に停められている船の上を飛び越え、道の近くに積んである箱の中で、空箱を見つけて、その中にぴょいと飛び込んだ。
ぱたん、と蓋を閉めて、安堵のため息を吐く。
マーモンは俺が引っ張った時から幻術を強めに使っていたようだから、追手にはここに入ったことはバレていないだろう。………………はずだ、たぶん、大丈夫だろう。

「整理するぞ。………………まず、一週間前に、お前に暗殺依頼がきた」
「そう。………今思えば、あの程度の暗殺依頼を何で僕に持ってきたんだろう。あんなの、僕じゃなくても出来ただろうに」
「………それで、俺に『肉壁』を依頼してきたのが六日前」
「念には念を入れるべきだからね」
「遂行したのが四日前」
「そうして依頼完了を告げたらこの有様さ」

俺もマーモンもはぁ、と深くため息を吐く。
あちこち擦り切れたジャケットを払おうとして、この狭い中で埃や塵が飛ぶのは宜しくないだろう。
同じことを思ったのか、マーモンもコートに手を伸ばして、そろりと下ろした。

「これからどうするか、だな」
「厶。どうもこうもないよ。必ず潰す」
「過激だなぁ………」
「金を払わないのが悪いんだよ」

そりゃそうだけど。
もごもごと口の中だけで言葉を回しては、それをため息として吐き出した。
と言うか、

「今、これをどうやって対処するか、だろ?」
「厶………」

とりあえず、喧騒が聞こえなくなるぐらいまでは籠城しても良いだろう。いくつか作戦を挙げて、お互いが納得する落としどころを見付けて、思わず座り込む。
三日も寝ずに逃げたためか、座り込んでしまったためか、睡魔が押し寄せて来る。
寝ている場合ではない。それはわかるが、重たくなる瞼を持ち上げられない。
幼子の身体は、ちょっと酷使すればすぐに眠たくなってしまう。こんなに困った身体もそう無いだろう。

「厶………、スカル、僕、寝るよ」
「おれもむり………」

ふにゃふにゃの頼りない声に情けなさを感じながら、目を閉じた。

次に意識が浮上したのは、ぺちぺちと箱を叩く小さな音だった。
ぺちぺち、ぺちぺちと叩く音は決して大きくなく、けれど、消えてしまうような小さな音では決してなかった。

「スカル、起きたかい?」
「あ、あぁ、起きたけど………、どうする?」
「どうしようか」

ぺちぺちと柔らかい音に、追手ではないだろう、と蓋をちょこっとだけ開ける。
そこにいたのは、赤子な俺が言うのはなんたが幼子だった。
え、誰だ。
黒髪の幼子は、俺と目が合うと、にこ、と笑って何か呟いた。
えっ、

「イタリア語じゃないね」
「風と同じか?」
「いや、どうだろう。アジア圏を見極めるのは難しいからね」
「だな」

思わずマーモンと顔を見合わせる。
初めて見る顔だし、アジア圏の子だし、とにかく謎だ。
幼子は、俺と目が合うと、きらきらと瞳を輝かせて、嬉しそうに何かを言っている。
ごめんな、わからないんだ。
そう思って、箱から身を乗り出して手を伸ばし、まあるい形の頭を撫でれば、ふにゃふにゃと笑った。
………………どうしてだ。知らない子なのに『知っている』。とても可笑しな感覚がする。
すっと視線を下げて、ぎょっとした。
幼子の足元………靴下しか履いていなくて、どこを通ってきたのかところどころ汚れているし、それよりずっと気になるのは、汚れに紛れた赤い跡だ。
本当にどこを通ってきたのだろう、靴下越しに足を怪我しているなんて。
箱から飛び出して、幼子の隣に座る。こういう時、警戒されないのは赤子になって良かったな、とは思うが、この身体では出来ないことがあまりにも多すぎて不便な方が多いのだが。
隣にやって来た俺を見て、幼子はにこっと改めて笑って、そうして、俺に抱きついた。

「―――――――――はっ?!」
「なっー?!」
「お前、『雪』か?!」

一瞬の目眩の後、自分の身体が元のサイズ………呪いを受ける前に戻っていることに気が付いた。
呪いが完全に解けたわけじゃない。だけれど、今は間違いなく昔の『俺』だ。

「フィーの後継者ってことかい? この子が? ………スカル、箱に戻って。アイツらに見付かると事だよ!」
「確かに」

抱き着いてきた幼子をそのまま抱き上げようとして、ひたり、と首筋に何か冷たいものを当てられた。
ひゅ、と息を飲んだのはマーモンで、俺は背中に垂れる冷や汗に身体を震わせた。
マーモンを追っていたマフィアだろうか。いや、彼らに俺たちの背後を取るような実力者がいるとは思えない。なら、誰だ。

「その手を離せぇ」
「ぐっ、」

冷たいものは刃物だったらしい。当てられた首筋からつぅと少しだけ血が滴る。
もぞ、と動いた腕の中の幼子は、俺に刃物を当てている人物―――声からして男だろう―――を知っているのか、今までとはちょっと違う、花が咲くような笑みを浮かべた。
俺から身体を離して、ん、と言わんばかりに両手を伸ばす。すると俺の首筋に当てられていた刃物が離れる。
はぁ、と頭上から聞こえたため息に、同じ苦労人の気配を読み取ってしまったのは致し方ないことだった。
ひょいと幼子が腕の中から消えていく。視線で追えば、銀髪の男が慣れた手付きで幼子を抱き上げていた。
聞き取れない言語で会話している二人は、そのまま、俺とマーモンを指差してくる。
幼子を抱き上げている男は、器用に片眉を吊り上げ、しゅるしゅると音を立てて、赤子になる俺を見下ろし、

「アルコバレーノ?」

と聞いてきた。
そうして、目の前で赤子になった俺を鼻で笑って、再び幼子に視線を戻す。
ぽしょぽしょと会話して、またこちらを見て、また幼子を見て、それから、抱えていない手で幼子の背をぽんぽんと叩いた。
幼子が首に手を回して抱き着いて、ぽすんと頭を預けたのを確認してから、で、と男がこちらに話しかけてきた。

「あれは殺していいのかぁ?」
「『あれ』?」

男が顎で指し示す先には、俺たちを追ってきたファミリーの男たちの姿があった。

「厶。さすがに見付かったか」
「どうなんだぁ?」
「○○○ファミリーって知ってるかい?」
「………………あぁ、最近できたばかりのド三流もド三流の」

きゅ、と眉を寄せた後、すんなりと答えた男は、だったら殺していいだろ、と返してきた。
いや殺しては………いや、良いのか? どうなんだろう。
俺と箱から顔を出しているマーモンの姿を認めた男たちが汚い発言をしながらこちらへ走ってくる。が、男が慌てることはなかった。

「いや、まぁ、もう手遅れだろうなぁ゛」
「え?」

聞き慣れない音がして、その後すぐに爆発音が響いた。
焼け焦げた匂いが漂ってきて、ひ、と悲鳴が漏れる。
カツ、カツ、とブーツの底を鳴らして歩くのは、黒髪に赤い瞳の男。
あれは見覚えがある。あれは情報として知っている。

「相変わらず派手だなぁ、御曹司」

あれは、ボンゴレボスの息子だ。
ひぇっと俺とマーモンがうっかり悲鳴を上げてしまったのは致し方ないことだった。







☆ ☆ ☆ ☆







「だって『たすけて』ってこえが聞こえたから」
「『たすけて』だぁ゛?」
「ん」

総時間五時間を超える大冒険をやらかした静玖は、日本式風呂に入れられピッカピカになった後、ふっかふかのソファーに座ってもくもくとパニーノを食べている。
オレはと言うと、どこをどう通ったのかまったくわからないが傷だらけになった足の裏の手当をしていた。本当に、どうしてこう、無駄に行動力があるのか。

「知らないひとがね、『たすけてあげてほしい』って、ずっと言ってたから」
「だから城を抜け出したのかぁ?」
「だって、ティモだとけんかしちゃうって」
「喧嘩って………」

いや、確かにたった今、静玖と一緒に連れ帰った赤子たちと九代目が舌戦を繰り広げられてはいるのだが。
その姿は見せられないと別室に追いやられたのは静玖の方で、御曹司はあの執務室に残ることにしたらしい。そしてオレは静玖の傍にいろ、とのこと。
ぱっくりと割れてしまった傷口にガーゼを当てて、包帯を巻いていく。
いったいどこの誰がなんのために『助けて』なんて静玖に言ったのやら。
………そういえば、

「お前、アルコバレーノのこと知ってたんだな」
「あるこばれぇの?」
「お前が言ったんだろうがぁ゛あ」
「言ったけど、しらない。あるこばれぇのはわかるけと、あるこばれぇのはわからない」
「いや、どっちだ」
「んむぅ」

口を尖らせた静玖は、パニーノを掴んだ手を回して、だからね、と言葉を続けた。

「おかあさまのひとばしらのあるこばれぇのはわかるけど、ティモたちがいう意味のあるこばれぇのはわからない」
「は?」
「あかちゃんなのは呪いなんだよ。ひとばしらにしちゃったの。だからお礼もこめて『雪』がそばにいるの」
「待て。待て、静玖、何を言っている」
「でも、すくえなかったあるこばれぇのもたくさんいるの」

そこまで言って、パニーノを一口。
咀嚼してからカフェオレを飲み、それだけは知ってる、と呟いた。

「すぴるべの知ってるあるこばれぇのって?」
「最強の赤ん坊、ってやつだな」
「のろいなのにねぇ」
「呪いだったなぁ゛」

赤ん坊が一瞬にして大人になったのを確かに見た。そしてその逆も見た。
起因が静玖であることからは目を逸らしつつ、用意しておいた濡れたタオルで手を拭った。

「足は平気かぁ?」
「ん、」

ぱたぱたと足を揺らす静玖のお転婆さにため息を吐く。
このチビ、何やらかしたかちゃんとわかっているんだろうか。
新しいパニーノに喰らいついている頬を突いてやると、わたわたと身体を揺らし、楽しそうにしていた。

「お前、次からはちゃんと誰かに言付けてから出て行け………………いや、出て行くな。ちゃんと誰かに言うんだぞぉ」
「んー、」
「静玖」
「んん、んく、でも、いつ声がきこえるかわからないのに?」
「何時でも。一人で行くのは駄目だ。わかったな?」
「ティモ、悲しむ?」

口の端にマヨネーズ付けてるベッラには悲しむかもなぁ、なんて言ってやれば、ぴゃっと身体を跳ねさせて、手で口元を拭っていた。
べたべたとマヨネーズ付ける頬と手をさっき使ったタオルとは別のタオルで拭う。
頑なにパニーノを手放さない辺り、相当腹が減っているんだろう。

「とれた?」
「取れた取れた」
「ティモ、よろこぶ?」
「ちゃんと城にいるならなぁ゛」
「うん」

あと、出来れば御曹司も暴れさせないでほしい。
今回だって、結局自分で捜した方が早い、と出てきたわけだし。そしてあのアルコバレーノたちを追っていたマフィアも殲滅したわけだし。
ところで、あのアルコバレーノたちは結局どうなるのだろうか。

「あのね」
「あ゛ぁ?」
「むらさきさんとあいさんも、傍にいてくれるとうれしいなぁ」
「アルコバレーノか?」
「うん………」

瞼が半分閉じてきた。
そりゃあ、五時間の大冒険、風呂、飯と終われば後は寝るだけだろう。
幼子の身体は欲求に素直だ。意地でも手放さないよう握りしめているパニーノを奪って、ソファーの背もたれに掛けてあったタオルケットをそっと腹に乗せた。

「やぁ、ねないー………」
「あれだけ歩いたんだ。疲れたんだろぉが、寝とけぇ」
「ねない、やだ! むらさきさん、と、あいさんに、ちゃんと………ちゃんとごあいさつ……………………するの…………」

食べかけのパニーノは残しても仕方ないので自分の口に突っ込む。うむ、美味い。
その隣で静玖はぐずぐずと駄々を捏ねていたが、ぽんぽんと腹を叩いていれば、ぽてん、とタオルケットに手が落ちた。
……………寝たか、寝たな?
本当に、このチビは。

「マフィアのドンにあんな顔をさせるの、お前ぐらいだろうなぁ゛」

無傷とは言えない姿で帰ってきた静玖を見た時の九代目の顔は、『穏健派』とは思えない顔にだった。
やっぱり御曹司と親子じゃねぇか、似た表情しやがって。
すよよ、と寝息を立て始めた静玖を見て安堵のため息を吐いた瞬間、ドアがけたたましく開けられたため、静玖の目がぱっちり開いてしまったのは言うまでもなく。

「後継者! 僕…………『藍』のアルコバレーノ、マーモンは君の傍にいるからね」

と、ぺっとりと静玖に張り付いたフードを被った赤子は、どうやら御曹司の下に付くことが決まった様だった。
………………オレはまだ知らない。
これがボンゴレVSアルコバレーノの序章に過ぎないことを。
そうしていつしか、ボンゴレ九代目ファミリーVSボンゴレ十代目ファミリーVSヴァリアーVSアルコバレーノにまで発展することを、今はまだ、知らないのだった。



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