ハロウィンは嫌い。
いい歳した大人たちがイベントにかこつけて普段はしない派手な格好に身を包み、街に繰り出してどんちゃん騒ぎをするなんて馬鹿みたい。しかも仮装のせいか、それとも周りに流されてしまうのか、どちらかは分からないが、気が大きくなり大胆な行動をとってトラブルに巻き込まれてしまうこともしばしばだという。仮装するのは勝手だけど、社会問題に発展するまで酷い有り様ならハロウィンなんてなくなってしまった方がいい、元々海外のお祭りなんだから―――と以前の私ならそう言っていただろう。今は違う。
昔の私が今の私を見たらきっと嘆くだろう。ああ、あんたも変わってしまったのね、って。
朝の準備のBGMとして流している音楽はいつもと同じ―――80年代のロックか流行りのヒップホップ。音楽に合わせて身体を揺らしながら身支度を整えていくのが常だ。
ただ鏡に写っている私はまるで別人。
身につけているのは黒を基調に様々な色が点在するハイネックのアブストラクト柄クロップトップスにフェイクレザー素材の赤のボトムス、そして上着にシルバーのスパンコールブレザー。ブレザーはドレッサーに取り付けてある照明に反射してギラギラと輝いている。これでブレザーと同じ色のラメ入りアンクルブーツを穿けば完璧だ。
額から右頬にかけて赤と青の稲妻のフェイスペイントも施した。鏡の中の私は出来上がり見て満足げな笑みを浮かべている。

愛してやまないディヴィッド・ボウイ。
その代表作、「アラジン・セイン」での彼のフェイスペイントを真似たものだ。

違うところといえばジャケ写のボウイは赤毛で肩が剥き出しになっていたけど、私は服を着ているし、最近では髪をシルバーブロンドに染めていた。絵の具で汚れないように前髪もワックスで上げているので、ボウイというよりボウイの仮装をしたシェリー・カーリーみたいだ。二人とも大ファンだから全然いいけど。
出来栄えを確かめようと鏡の前で色んなポーズを決めていると、

「澄花、さっき貸したワックス返して―――ってすげぇなその格好」

突然ノックもなしに部屋に入ってきた兄の悠仁は私の格好を見るなり目を丸くした。ハロウィンでも悠仁はいつもと同じ、フード付きの黒の制服を着ている。ハロウィンメイクもなし。前髪はワックスを付けていないからいつもと違ってぺたんと額に張り付いちゃっているけど。

私は唇を尖らせるとスマホをタップして音楽を止めた。

「ノックくらいしてよ。前みたいに一緒の部屋で住んでるわけじゃないんだし」
「悪い。ついいつもの癖で」
「いいよ、許す。でも次罰金ね」
「え!?」

数日前から私は兄の部屋を出て、女子寮に設けられた自分の部屋で暮らすようになっていた。もう新生活にも慣れてきたし、高校生にもなって双子の兄と生活するなんて変だから。でも時々こうしてお互いの部屋を行き来することもある。怖い映画を観た後とか物の貸し借りをする時とか。

雷に打たれたような顔をしている悠仁を無視してケースからワックスをひと掬いすると、わざと雑に髪に撫で付ける。その前に次の行動をいち早く察した兄は私の手が届くようにわざわざしゃがんでいた。目を瞑って待ち構えている姿がまるで撫でられるのを待っている犬みたいでちょっと笑ってしまう。

「七時に渋谷だっけ?」
「そう。スクランブル交差点前で八十年代のアーティストに扮してゲリラダンス」
「いいじゃん、面白そう」
「そう?ゲリラなんて何かださくない?」
「でもやりたいことなんだろ?じゃなきゃオマエがここまで準備したりしないし」

そう言って私の衣装とドレッサーに散乱している絵の具のパレットと筆を顎でさす。私は頬に熱が集まるのを感じた。「そうだけど」と口籠ると悠仁は優しく私の頭をぽんぽんと撫でた。

「俺は澄花がしたい事を自由にするようになってよかったと思ってる。オマエが好きでやっている事なら応援してるし、否定したりしねぇから」

そう言って、少し決まり悪そうに頬を掻く。

「まあでも髪の色をコロコロ変えたり、いつの間にか補導されてたり、学校フケるのは心臓に悪いからほどほどにしてほしいけど…」
「あはは」

笑って誤魔化したけど内心では冷や汗ものだった。やっぱりバレてたんだ。ライブハウスに入り浸るようになってから終電を逃し、始発で帰り、学校に行く時間には起きれなくなって…という生活をここ最近は繰り返していた。そしてついには警察の厄介になってしまった。悠仁には何も言わないでくださいと迎えに来てくれた伊地知さんに必死で口止めしていたのに。どうやらどこからか漏れたらしい。それとも悠仁が聞き出したのかも。あーーークソ。兄を心配させたくはなかったのに。せっかく自由を謳歌しているのに罪悪感のせいで台無しにしたくはなかった。

「…努力はします」たぶん、と小声で付け足して私は視線を泳がせた。
「なんだよ、それ」

悠仁は呆れたように片眉を上げる。だけど悠仁もパから始まってコで終わる未成年お断りのお店に入り浸っているから強くは言えないはずだ。悠仁はいいヤツだけど、聖人君主ではない。私をお説教する立場ではないのだ。お互いそれを分かっているので、あっさりとさっきの話題に戻った。話しながら今度からはバレないように気をつけようと頭の中でメモをとる。終電逃しても歩いて寮に戻るし、学校には仮病の電話を入れておくこと。警察に見つかりそうになったら全力で逃げること。真面目な伊地知さんはもう頼らない。これからは理解のある硝子さんを呼ぼう。その時シラフだったらいいけど。

「俺も行きたかったな、渋谷」
「来ればいいじゃん。チケットもないし」
「あー俺たち一級査定中だから。最近重めの任務ばっかでさ。でも任務終わったらそっち行くよ」
「オッケー、待ってる」

私はドレッサーに再度向き合うと口紅を塗り始めた。この前野薔薇ちゃんと買ったブラウン系のリップ。買った直後に不愉快な思い出はあるものの、せっかく野薔薇ちゃんが選んでくれたお気に入りだから意地でも使い続けていた。

「あのさ、澄花」

背後に立っている悠仁は鏡の中で落ち着きなさそうに体重を踵からつま先に移動させていた。
「なにー?」
私は気がつかないふりをしながら兄の様子を横目で観察した。悠仁がこんな風に私の前で居心地悪そうにしている時は大体悪い知らせがある時だ。私が取っておいたお菓子を間違えて食べてしまったりとか、お人形を踏み潰してしまったりとか、お爺ちゃんが入院することに決まったりとか。もしくは……。

「“あいつ”から、オマエに伝言があるんだけど」

ぐにゃり。
手が急に制御が効かなくなり、口紅が上唇から盛大にはみ出てしまった。地雷。大爆発。世紀末。とりあえず考え得る最悪な出来事が脳裏にパッと浮かんだ。

悠仁は気を遣って“あいつ”と呼んだけど、誰だかは言われなくても分かるんだから何の気休めにもならない。でも実際にその名前を口にすると本人が現れそうな気がするので私も悠仁が作ったその呼称に乗っかることにした。

「………あいつが何」

ティッシュで唇からはみ出た部分のリップを拭き取りながら私はぶっきらぼうに尋ねた。自分でも驚いたのだが、彼の話題になった瞬間鏡の中の私の表情は一気に険しくなり、まるで別人みたいだった。眉間に皺がより、目は細められ、唇はぐっと噛み締められている。十五歳なのによぼよぼの老婆のように老け込んでいた。

悠仁も私の変化に気がついたらしい。今にも爆発寸前の私を刺激しないように慎重に言葉を選ぶ。

「大人しくしてろ、って。今日は特に妙な気配を感じるんだと」
「じゃあ宿儺に伝えて。“放っておいてよ”。私の人生に口出ししないって、あの時約束したのに」

私は口紅を塗り終えるとイライラと足をドレッサーの隣に置いてあった新品のアンクルブーツに捩じ込んだ。
そしてカンケンバッグに適当に荷物を放り込むと肩にかけ、悠仁を押しのけて部屋を出ようとする―――今まさにこの瞬間、悠仁の頬がぱっくり割れて宿儺の口が出てきてもおかしくないから。

両面宿儺。私の人生を滅茶苦茶にした、全ての元凶。この呪いに私は何度も夢の中で殺されるわ、彼の愉快な仲間たちのおかげで現実世界では濁流に飲み込まれるわと散々な目にあった。しかもその時、一時的とはいえ私は臨終的に死亡していた。
ある日、生きるか死ぬか、最も基本的で重要な選択を宿儺の気分次第で左右されたくない私は彼と取引をした―――生きている間は宿儺は私の人生に干渉しない。その代わりに死後私の魂は彼のものになると。

それからというもの、宿儺は二度と夢の中に現れたりはしなかった。私たちが交わしたのは"縛り"というもので、約束を破れば破った者はそれ相応の罰を受けるらしい。呪いの王とはいえ、想像もできない罰は怖いようだ。ざまあみろ。私の気持ちもこれで少しは分かったはずだ。
こうして私は自由を楽しんだ。やりたいこと、楽しそうなことは片っ端からやった。彼の嫌いなメイクをし、髪の色も変え、ダンス部に積極的に参加し(でもチア部には目の敵にされている―――メンバーたちが成功するのに苦労していたスコーピオンの動画を一度見ただけで完璧にマスターし、隣でわざとらしくやってみせたから)、夜遊びも覚えて学校内外にも友達も増えて毎日が充実していた。

それなのに、宿儺はまたしても私の人生に戻ってきた。ある日、突然、何の前触れもなく。
急に足場がガラガラと崩れていくような気がした。そして大きな手が底から飛び出してきて私の足を掴み、そのまま奈落の底へ引き摺り込もうとしている。どんなに抵抗しようと、それは決して私を離そうとはしない。

イヤ!絶対にイヤ!

もう二度と彼には会いたくない。また彼に自由を奪われるなんて耐えられない。私にはまだやりたいことが沢山あるんだから。

「澄花…」
「また後でね、悠仁」

兄の呼びかけを無視して、私は部屋を飛び出した。
悠仁はきっとショックを受けているだろう。兄さんのせいじゃないよ、と言ってあげたかったが、ここで振り返ってしまえば終わりだと直感が告げていた。

悠仁とは別の、とても邪悪な存在がすぐそばまで差し迫っているのを感じ、気がつくと恐怖で全身の肌が粟立っていた。




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