そのガキはどこからどう見ても恵まれているように思えた。

手入れの行き届いた艶のある髪、新品同様にピカピカに磨き上げられたローファー、か細い手首を飾っているのは女子高生には釣り合わない高価なブランド物の腕時計。おまけに身につけているのはこの辺りじゃ誰もが知っているお嬢様学校の制服ときている。

きっと今まで何の苦労もなく生きてきたんだろう。傷一つない手と世間知らずそうな柔和な顔つきが何よりの証拠だ。
まさに俺とは正反対の人間。向こうも同じ様なことを思っているのか、孔の腕にしがみ付いたまま怪訝そうに俺を見上げている。女には好かれるが、ガキや動物に懐かれた試しがない。どうしてそんな奴に子守りが務まると思ったのか、相手をよく知らなければ仕事を充てがった奴の正気を疑うところだ。

「あいつの首には懸賞金がかかってんだよ」

本人からさほど離れていない距離で、本日何本目か分からない煙草に火をつけながら孔がこともなげに言った。

「ただのガキじゃねぇか」
「父親がろくでなしの金持ちだからな。澄花を人質にとって金を搾り取るつもりなんだろ」
「当の親父はどうしたんだよ」
「海外で女と暮らしてる」
「本当にろくでなしだな」
「まあな。明日こっちに戻ってくる。それまであの子を頼むわ」

そう言って地べたに座って何かを見つめているガキを顎でしゃくる。あまりにも無防備なその後ろ姿に、俺が刺客なら三秒足らずで殺(や)れるなとぼんやりと思った。
俺の考えを読んだのか、孔は

「澄花に傷でもつけてみろ、痛い目に合うのはオメェだからな」

と忠告した。
そう言えばこいつ子供好きだったな、とガキの髪をぐしゃぐしゃに撫でる孔を見て思い出した。だがもし立場が逆ならきっと話は別だ。プロに徹してターゲットが女だろうがガキだろうが関係なしに俺や他の連中を送り込むだろう。
 そんなに大事なら一緒にいてやれよ、と思ったし、本人にもそう言ったがオマエの方が適任だから、と仲介人は曖昧に肩を竦めてみせた。きっと他にも何か事情があるんだろう。そのろくでなしの父親や懸賞金が関係あるのかもしれない。だが金さえ貰えればあとはどうでもいいのでそれ以上は追及しなかった。
 
孔がいなくなり二人っきりになると、途端にガキは不安げな表情になった。
俺がそばにいると子供は大体こんな顔をする。



腹が減ったので、時間潰しも兼ねてガキを連れ近くにあったファミレスに入った。味にこだわりがなく、金がない連中にはうってつけのチェーン店だ。平日ということもあり、店内にいたのは大学生らしきカップルと休憩中のサラリーマン、そして退屈そうに欠伸をしている店長とバイトだけだった。
 適当に席につき、新入りらしいバイトからメニューを受け取ると、パラパラとページを捲る。見栄えのいい料理と仰仰しい名前が並んでいるが、実物は写真より見た目が悪いし、味も名前負けしているものが殆どだ。だからその中でも一番無難で外れがなさそうなものを注文した。

「オマエは?」

そこでようやくガキの方に目をやると、メニューの一ページ目を開いたまま辺りをきょろきょろと見回している。その眼差しがこの店にふさわしくないほど興味津々にキラキラと輝いているのを見て、まさかと思った。

「こういう店に来たことないのか?」

案の定、ガキは首を横に振った。まじかよ。

「今まで何食って生きてきたんだよ」
「えっと…学食とかお手伝いのおばさんが作ってくれたご飯とか…」
あとは父の子会社が経営しているレストランの料理とか、とごく当たり前のように付け足す。

どうやら俺が安い店で不味い飯を食っている間、こいつはこの国の大半の人間が羨むほどまともで何不自由のない生活を送ってきたらしい。空腹のせいか、このガキの無知さのせいか、頭が痛くなってきた。

「ほんっとうに親に恵まれたな、オマエ」

ガキは不思議そうに大きな目をぱちくりさせる。どうやら皮肉にも慣れていないらしい。よくこんなガキを俺に預けようと思ったなあいつ。

「気にすんな、こっちの話だ」
何でもいいからさっさと選べよ、とぞんざいに手を振って促す。ガキは慌ててメニューをめくっていき、少し考えるとおずおずと先程からそばで退屈そうに立っているバイトに「あの、」と顔を向けた。

「このスタミナ丼定食のワサビ抜きとマルガリータピザにフライドポテト、あと海老のアヒージョにマッシュルーム増量でお願いします。食後にはクリームたっぷりの苺パフェとコーヒーゼリーで」

最初は殆ど聞き流していたが、何かの呪文のように紡がれる言葉に一瞬耳を疑った。勘違いかもしれないが、こいつ今一品以上頼んでいなかったか?
こっちはラーメンしか頼んでいないのにも関わらず、だ。

「オマエそれ全部食う気か?」バイトが必死に注文を書いている間、身を乗り出して小声で鋭く尋ねた。

「えっ、駄目ですか?」
「俺を親父と同じ金持ちと勘違いするなよ。財布には三千円しか入ってねえ」
「えっ」

えっじゃねぇよ。そもそも奢って貰うんだから気を遣え、と言いたいことは沢山あったが口にするのも面倒で、ため息をつくだけに留まった。注文を取り下げようとバイトに声をかけようとすると、ガキが思い出したように「そう言えば孔さんからカード貰いました」とクレジットカードをスカートのポケットから無造作に取り出した。こいつを置き去りにして食い逃げしなくてもよくなったと内心胸を撫で下ろした。
こんな世間知らずなガキを押し付けたんだ、この際そのカード死ぬほど使い込んでやる。

バイトがやる気なさそうに厨房に戻っていくと、ガキはメニューを脇にやりおずおずと話かけてきた。

「あの、いつから孔さんと知り合いなんですか?」
男といつ会ったかなんていちいち覚えてねぇよ。
「普段は何されてるんですか」
金がある時は競馬かパチンコ。ない時は女の家で寝てる。
「犬派ですか猫派ですか?私柴犬が凄く好きで」
あっそ。
「この前午後ロードショーで昔の映画がやってたんですけどやっぱりフランス映画って難しくないですか?アート色が強くて私全然…」
「無理に話かけんな。興味ねぇだろ」

ガキはまたしても目を見開く。今日はきっとこいつにとって驚きの連続になるなと思った。

「俺もオマエに興味ねぇ。仕事だからな。あと23時間もすれば消える関係だ」
どうせこの先の長い人生でオマエは俺を忘れるし、俺もオマエを忘れるんだ。変なところで気を回したって時間の無駄だろ。

そう説明すると。

「23時間25分ですよ」
「あ?」
「正確には23時間25分です。23時間じゃなくて」

そう言って、ガキは例の趣味の悪い腕時計を見せる。
俺ははじめは腕時計を、それからガキに目をやった。一瞬その瞳に激しい怒りが現れた。普通の人間なら思わず怯んでしまうような、巨大な怒り。
だがそれも一瞬のことで―――唐突に現れた時と同じように瞳の中の怒りは消え、先ほどと変わらない穏やかな顔つきに戻る。

「確かに、時間の無駄かもしれませんね」

そう言って自分の親指にあるささくれを人差し指で引っ張った。皮がやや捲れてきて、少しだけ血が滲んでいる。
ガキの表情からは何の感情も読み取れない―――孔がそばにいた時とは大違いだ。あの時はそこらにいるガキと同じ、感情的でやや扱いづらい子供という印象だけだったのに。
元々女というやつは、赤ん坊だろうが老婆だろうが感情の起伏が読み取れず、何を考えているか分からない不可思議な存在だ。
だがこのガキを見ていると、とりわけ女子高生という生き物は厄介そのもののように思えた。

それから飯を待っている間も、皿がテーブルに運ばれてきた時もお互いに一言も口をきかなかった。ガキは気を遣う必要がないと分かるとわざわざ沈黙を生産性のない話で埋めようとはしなかった。仕事柄自分のことをペラペラ話すわけにもいかないし、俺の方も女子高生内で流行っている流行語やメイク、進路相談のようなくだらない話を聞かなくて済む。
だがその弊害か、代わりに周囲の話し声がよく聞こえてきた―――特に、二つテーブルを挟んだ席に座っている大学生カップルの大喧嘩が。

「信じられない!浮気したなんて!」
「違うって!ただ恋愛相談をしていただけで別にそれ以上のことは……」
「じゃあ何であの女、私にあんたの寝顔の写真送りつけてきたのよ!明らかにこれ事後写真じゃん!」

まるでメロドラマだな、とラーメンを啜りながらぼんやりと思った。殆ど聞き流していたので詳しいことは知らないが要するに男が女の友人と浮気したらしい。昔からよくあることだ。俺も何度か同じ経験をし、女に後ろから刺されそうになったことがある。

手を出すなら手身近な女友達じゃなく、共通点がないその辺でひっかけた女くらいにしとくべきだったな。 

と女にボロカスに言われ小さくなっている男にメンマを齧りながら心の中でアドバイスを送った。
その時、男の痛そうな悲鳴が店内に響き渡った。バイトが皿を割ったせいで音は聞こえなかったが、どうせ女に平手打ちでも喰らったんだろう。これも何度も経験済だ。

「何一人で騒いでんの!?」
「ゆ、指が…」
「私何もしてないけど!」

ふと手前に座っているガキに目をやった。見ているだけで胸焼けがしそうになるほどの量の飯を平らげ、ちょうど念願のパフェに取りかかっているところだった。だがじっと俯き、その場から動こうとしない。髪のカーテンの隙間から見える口元に、俺は眉を寄せた。

「何笑ってんだ?」
「別に何も」

ガキは何事もなかったかのように流れるような動きでホイップクリームがたっぷりと乗ったスプーンを掬い上げ、口に含むと幸せそうに顔を綻ばせた。


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