その男を一目見た瞬間、胡散臭そうな人だと思った。同時に自分と全くそりが合わなさそうだとも。

まず男の態度が気に入らなかった。面倒事を押し付けられて嫌々連れて来られました、と言わんばかりでさっきからため息ばかりついている。
ため息をつきたいのはこちらだって同じだ。だけど私は大人だから我慢してるだけ。本当は隣で他人事のように煙草を吸っている孔さんがよかった。顔見知りだし、彼みたいに品定めするように私を頭の先から足の爪先までまじまじと見たりしない。ましてやそれほど筋肉質でも口元に物騒な傷もない。この目の前にいる男は十六歳の女子高生と一日過ごすには不適切な気がする。

「澄花、こいつは禪院甚爾。今日だけオマエの世話係」
「やだ。私孔さんがいい」
「我が儘言うな。俺にも仕事があんだよ」

最後の足掻きで涙目で泣き付いてみせるが孔さんは一顧だにもしない。普段は他の誰よりも甘やかしてくれるのに仕事が絡むと話は別。何を言っても聞き入れてくれないし、いつもは子供扱いするくせにその時だけは大人の対応を求められる。毎回思うことだけど、本当大人って勝手過ぎる。

「まじで置いてくのかよ、そのガキ」その時初めて男が口を開いた。

声を聞いてもさほど驚きはなく(声のピッチが異常に高かったり、喋り方が特徴的なら人間味があって面白かったのに)、むしろその言葉遣いにますます好感度が下がった―――名前を聞いていたはずなのに‘‘そのガキ’’呼ばわりなんて。私は無意識に右の親指にあるささくれを人差し指で引っ掻いた。

「仲介役の仕事が山盛りなんだよ。オマエ、ちょうど暇だったんだからいいじゃねえか」
「うっぜぇなぁ、人を無職みてぇに言いやがって」
「無職だろ。今から二十四時間、この子の相手をして父親の元に送り届けるだけで前回の案件の倍は出すんだ。悪くない話だろ?」

男の目が左上を向いた―――今頃脳内で電卓を叩いているに違いない。静かにしているとスーパーのレジでよく耳にするチャリーンという音が聞こえてきそうだ。その証拠に、不服そうに一文字に結ばれていた口元が少しずつ弧を描いていく。

孔さん―――支払うのはきっとパパだけど―――一体この人にいくら払うつもりなんだろう?
推測しようとしても所詮女子高生が思いつく金額なので、どれも現実味がないように思えた。

「ただし、手を出すなよ」
「出すわけねぇだろ、こんな乳臭いガキに」
「オマエ、女となると見境がないからな」

孔さんの聞き捨てならない言葉に、先ほどまでいい子で黙って聞いていた私も思わず「げっ」と口走った。二人の視線が同時にこちらを向く。孔さんは「冗談だって」と笑ったがまんざらそうでもなさそうな気がする。
本当にただの見た目だけの印象だけど(違っていたら謝ろう)、彼はパパみたいに女の人を取っ替え引っ替えしたり、散々泣かせてきたタイプに見える。顔も体格も職業だって違うのにどうしてそう思うのか自分でもよく分からない―――もしかして、これが女の直感というやつなのだろうか。

それから二人は「大人の話があるから」と言って私から少し離れた場所に移動した。どうせまた仕事の話だろう。はいはい、子供は邪魔っていうわけね。二人が何やら話し込んでいる間、私は地べたに座り込んで蟻が自分よりも大きなカマキリの死骸を巣に持って行くのを眺めた。せめてもの反抗として一番きびきびと動いている蟻に孔さんと名付けてやった。
蟻の孔さんが無事コンクリートの小さな隙間に餌をどうにか運び込むと、人間の孔さんが後ろから私の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

「それじゃあな、澄花。いい子でいろよ」そして男を振り返ってもう一度念を押すように「父親のところに辿り着くまで指一本触れるなよ」と警告した。
「しつけぇな。さっさと行けよ」

男は野良犬を追い払うようにしっしっと手を振った。
孔さんは停めていた車に向かう間も何度かこちらを振り向いた。「こいつら本当に大丈夫か?」と心配しているみたいに。そんなに心配なら孔さんが一緒にいてくれればよかったのに、と私は心の中で文句を言った。

彼を乗せた車が駐車場から出て行くまで見守るつもりだったが、気がつくと男が逆方向へ足早に歩き始めていたので慌ててその後を追いかける羽目になった。

「今何時だ?」

なんとか追いつくと出し抜けに男が尋ねた。彼が私に話しかけるのはこれが初めてだった。
こんなのが最初の会話になるとは思ってもみなかったけれど。

「えっと…11時5分です」
「腹が減った。何か食うぞ」

財布は持って来てんのか?と聞かれ、首を振ると男―――名前は確か甚爾さん―――はわざとらしく舌打ちをした。

「仕方ねぇな。今回は立て替えてやるから親父に接待に使うような店に俺を連れてけと言っとけよ」

はぁー、子守りなんてまじでやってらんねぇ。
後頭部をポリポリと掻きながら聞えよがしに文句を言う甚爾さんの後ろを歩きながら私は腕時計をまたしても確認した。

パパに会うまであと23時間55分。
大嫌いな数学の授業と同じで、嫌いな人と一緒にいると時空が歪んで時の流れがいつもよりずっと遅くなるらしい。

私は男に気づかれないように密かにため息を漏らした。
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