十年以上ミッション系の学校に通っているというのに神の存在を感じたことはなかった。
きっと神様は私を嫌っているに違いない。学校専属の牧師が毎朝説教をしている間、イヤホンでこっそりオペラ座の怪人のテーマを大音量で聴いているのを知っているんだ。日曜礼拝に参加するのは成績のためだってことも。だから毎回ムカつかせる試練を与えるくせに地獄から救い出してはくれないのだ。

だけど、今この瞬間だけは神様の存在を強く感じることができた。とは言っても目の前にいるのは神様とは程遠い存在である甚爾さんだけど。普通の人間に見えて甚爾さんは人の皮を被った悪魔だ。

「……どういうことだ?」

銃を下ろし、私の頭を吹き飛ばすことを突然中断させた甚爾さんを見てパパは明らかに動揺していた。お金のせいか、それとも人を見る目だけはあるのか、パパは裏切りには慣れていない。羨ましいな、私はパパに裏切られっぱなしだっていうのに。

甚爾さんは素っ気なく肩を竦める。

「俺はあんたに言われたように仕事してるだけだよ」
「……もし娘が提案を断れば殺せと依頼したんだ。こんなことは計画に入っていない」
「今朝の話じゃねぇよ。“今日の十一時まで無事に父親の元に届ける”。それが最初の契約だったはずだ」
「一体何の話をしてるんだ、きみは…。あれは孔が…」

何かに気がついた二人の視線が同時にこちらに向けられた。今度は私が惚ける番だった。
パパと甚爾さんの反応は正反対だった。
パパは怒りと動揺で顔が赤紫色に染まっていて、身体中がぷるぷると震えていた。常に冷静沈着なパパがこれほど怒っている姿を見るのはこれが初めてだった。
一方の甚爾さんは口元に歪んだ笑みを浮かべている。利用されて怒っているように見えない。よかった。私の術式を持ってしても彼には絶対敵わないから。きっと自分の首をナイフで掻き切る前に殺されている。

「依頼主はオマエだったのか」呆れたような、でもどこか面白がるような口ぶりで彼は言った。
「………無事にパパに会うには守ってくれる大人の力が必要だった。私はそれを利用しただけ」

孔さんじゃなくて甚爾さんがつくことになったのは想定外だったけど、と最後に付け加える。

私の術式が現れたのはほんの数日前。素質があり、ママが残してくれた母方の一族の文献を読み込んだとはいえ、この術式を短時間でうまく使いこなせる自信はなかった。だから私たち家族の事情を知っている孔さんに取引を持ちかけたのだ。

“私の味方でいてくれること。もしそうしてくれるなら、ずっと孔さんの商売道具になってあげる”
根っからのビジネスマンの孔さんは二つ返事で了承してくれた。

「あいつと取引なんて泥沼に足を突っ込んだのと変わんねぇぞ」
「それでもいい。この男ともう一度会うためだったらなんだってする」

そう口にしながら甚爾さんの手に視線をわずかに向ける。すると彼は持っていた銃を何も言わずに私に手渡した。言葉を交わさなくても甚爾さんには私の考えていることなんて全てお見通しだ。二人で過ごしたのはたった一日なのに彼は何一つ見落とさない。

私はまじまじと自分の手の中にある鋼の塊を眺めた。

磨き抜けられたなめらかな表面。ずっしりと重く、いかにも残忍な仕事をしそうな感じがする。
これのせいで、一日に何千人もの人間が死んでいる。
そんな恐ろしい品物なのに何故かしっくりときた。ずっと前からこの感覚を知っていたような、そんな親しみを感じる。どこを押せばいいのか、どうやって狙いを定めればいいのか、自然と理解できた。無意識に安全装置を外し、銃口をパパに向ける。

 こんな状況でも未だに椅子から身動き一つしないパパは自分に狙いを定めている娘の私ではなく、甚爾さんを喰い入るように見つめた。

「金ならある」
「私もそう。まあ、大半はパパのお金だけど、パパが死ねば私はずっとお金持ちになる」
ママとパパの生命保険に遺産、あと会社の株でしょ、あ、会社も株も全部売って海外に住もうかな。ヨーロッパに行って見たかったんだよねと笑ってみせると、パパの目に激しい怒りが燃え上がった。

「お前は...私から全てを奪う気なのか?私が一から作り上げてきた会社だぞ。お前がこうして裕福な生活を送れるのはパパの力と会社があったからで.......」
「当たり前じゃん。最初に私の物を奪ったのはパパの方でしょ」

喚き立てるパパを遮って、私は呆れたように目をぐるりと回した。

「これは復讐。言っておくけど、ママを愛してはいなかったし、死んでも何も感じなかった...だけどパパのせいで私の物が奪われたことは気に入らない。よく言うじゃん、目に目を、掠奪者には銃弾をって」

パパに向けていた銃口を今度は自分の喉に突きつける。そして首を傾げて、

「今もまだ私に死んで欲しい?」

と尋ねた。狼狽えるパパの姿を見て私は声を上げて笑った。このまま引き金をひけば呪術式が発動し、パパは死ぬ。自分を撃たなかったとしても、代わりにパパを撃つ。この人に逃げ道はない。詰みだ。バッドエンド。パパは例外なく今日死ぬ。

自分でもそれを悟ったんだろう。憎悪に満ちた表情で私と甚爾さんを睨みつける。甚爾さんは涼しい顔でまるで意に介していないようだけど。

「お前なんか生まれてこなければよかったのに」最後の足掻きとばかりにパパは呪詛の言葉を吐き捨てた。

「あの時に堕胎しておけばこんな目には合わなかった。お前の母親の我儘とお前のせいで俺の人生は台無しだ」
「あっそ」

私は自分の喉から銃を離すと、躊躇いなくパパの頭を銃で撃ち抜いた。
パパの額に五百円玉大の穴が開くと、後ろに激しくのけぞった。同時に脳みそと頭蓋骨の砕けた骨の破片が背後にあった本棚に飛び散る。銃の衝撃とパパの体重に耐えられなくなった回転椅子が一人でに半回転し、パパの体もろとも床に音を立てて倒れ込んだ。

私は銃を持っていた手とは別の手で自分の肩を咄嗟に掴んだ。手首への重い反動と銃口の跳ね上がりで一瞬肩が外れたかと思ったのだ。何かで読んだけど銃を撃つと八千キロから一トンほどの衝撃が身体にかかるらしい……驚いたけど悪くない感覚だ。

安全装置を掛けて、床に倒れているパパの元に向かう。パパは脈を確認するまでもなく死んでいるのが分かった。私が撃った銃弾は額の真ん中を見事に貫通し、後頭部の半分を吹き飛ばしていた。虚な目が空を見つめ、口をだらしなく開けている。フランスから輸入したと自慢していた高級カーペットは血だらけでもう使い物にならない。残念、この部屋で唯一気に入っていたのに。

「それで?クソ親父を殺して、今どんな気分だ?」

と背後から甚爾さんが尋ねた。まるで今日の天気を聞くみたいに。私は少し考えてみるが、他に思いつかなくて肩をすくめる。

「何も感じない」
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