ところで私は何度か東京を訪れたことがあるが、いつ行ってもあまり好きにはなれなかった。
満員電車や空を突き抜けてしまいそうな高層ビル、人の多さ、道端に落ちているゴミなど宮城の田舎から出てきた小娘には刺激が強過ぎて住む場所ではないなというのが率直な感想だった。
 だから車から降りた瞬間、目に飛び込んで来た景色を見て心底驚いた―――本当にここも東京なの?
緑が生い茂る山の中に厳かに立ち並ぶ木造建築物が私を待ち構えていた。あまり建築には詳しくはないけど歴史を感じさせる立派な建物で自然と見事に調和している。これまで数多くの生徒たちを迎え、送り出して来たに違いない。
呆気に取られていると、五条さんが腹を抱えて笑いながら反対側の後部座席から降りてきた。

「もっと大人しい子だと思っていたけど、実は案外はっちゃけてるよね、妹ちゃん」まだ口元に笑みを残したままからかうように五条さんが言った。
「そうですか?」
「うん、伊地知もそのギャップにびっくり」

東京駅からここまで運転してくれたドライバーさんの方に親指を倒す。伊地知さんと呼ばれた彼は車の中でハンドルを握ったまま「巻き込まないでください…」というように視線を逸らした。あまり話はしなかったけれど五条さんとのやり取りを聞いていると彼も相当苦労しているんだなと思った。こんな人と四六時中一緒だなんて心から同情する。

「今失礼なこと考えてただろ」
「まさか」

疑うような視線を向け続ける五条さんに気がつかないふりをして伊地知さんに「ここまでありがとうございました」と深々と頭を下げた。小さい頃から挨拶と礼はしっかりするようにとおじいちゃんに散々言われてきたし彼を労いたい一心だった。気持ちが通じたのか、伊地知さんは感動したように目を潤わせると「いえいえこちらこそ…」と同じように頭を下げた。

「なんか妹ちゃん伊地知には優しくない?」
「尊敬するべき人とそうでない人の区別はできるので」
「うわ、辛辣!」

目にうっすらと涙を浮かべた伊地知さんと最後にもう一度挨拶をし、車のナンバープレートが見えなくなるまで見送るとまたしても五条さんと二人っきりになってしまった。数時間も殆ど面識がない大人と一緒にいるのはさすがにキツい。
呪術高専という名前からもっと学生が行き来しているものだと思っていたけど実際はそうでもないらしく今の所人っ子一人見当たらなかった。

さてと、と五条さんはぐんっと伸びをした。背が高いから車の中に押し込まれて窮屈だったのだろう。
この人は私の気苦労なんて知りもしないんだろうな、と呑気にストレッチをし始めた彼を横目に見遣りながら心の中でため息をついた。

一通り身体をほぐし終えると、五条さんは言った。
「僕は今から学長のとこに滞在許可を取ってくるけど、妹ちゃんは先に寮へ行って休んでていいよ。荷物はもう全部届いているから」
「え、許可取ってないんですか?」
「学生には分からないだろうけど事前報告するより事後報告の方が有利に働く時もあるんだよ」

信じられない、と呆れ顔をしている私に向かって五条さんはいつものとらえどころのない笑みを見せた。
自分では魅力的だと思っているだろうその笑みがやけに気に触った。今まで散々周りから甘やかされてきたせいで自分の都合で世界が回ると勘違いしている子供みたい。
兄は一体どうしてこんな人を信用しているのだろう?全く理解できなかった。

寮の位置を大雑把に説明すると五条さんは「じゃあ後でね」と手をひらひらと振って私に指示した方向とは逆方向にある建物へ向かって行った。おそらくそこに学長がいるのだろう。悠仁から聞いた話じゃ相当変なおじさんらしいけど。

五条さんが建物の中へ消えていくと私も学生寮がある場所へ向かった。時々まるで異世界に迷い込んだような感覚に陥りつつも進んでいくと周りの古めかしい建造物とは違って近代的な造りの四階建ての建物が二棟並んでいるのが見えた。奥側の女子寮に入り、一階の廊下を出て突き当たりの部屋に入る。
中は思っていたより清潔で広々としていて、思わず「わお」と感嘆の声が洩れた。実家の自室よりずっといい。勉強机にクローゼット、シングルベッドと必要最低限の物しかないけれど、今流行のミニマリストって感じがして。
中央には私の荷物が詰め込まれた段ボールが3つ置いてあった。下着や服が何着か、あとはお気に入りの本とかレコードプレイヤーなど本当に必要最低限の物だけ。この場所にずっと居続けるつもりはない―――あの家が私の帰るべき場所だから。それにおじいちゃんのお墓だって―――。途端に寂しさに襲われ、双子の兄に無性に会いたくなった。もう数ヶ月が経ったとはいえ、身内の死には未だに慣れそうにない。
荷解きをほどほどに、部屋を出ると向かいの男子寮へ足早に向かう。五条さんから悠仁の居場所は教えて貰っていた―――入り口から入って右側の、奥から二番めの部屋だ。部屋に行くまでの間、まるで六歳の子供みたいにわくわくした。悠仁は私が高専に来ていることを知らない。宿儺の件を黙っていたことは怒られるだろうけど、きっと私の顔を見てびっくりするだろうな。
ニヤニヤ笑いを必死で堪えながら部屋の扉をノックする。はっきりとは分からないけど人の気配がした。やがてこちらに向かって足音がどんどんと近づいてくる。続けて鍵を開ける音。だけど扉を開けたのは悠仁ではなかった。部屋からぬっと現れたその影のような姿に「サプラーイズ!」と言いかけた私は絶句した。今朝のデジャヴだ、と頭の中の冷静な部分が言った。最も、部屋の外にいるのは私で立場は逆転しているけれど。
向こうも廊下に立っている私を見て心底驚いた顔をしている。

「伏黒、くん……」
「虎杖の妹?なんでここに…」

同い年の、しかも今まで見てきた中でもずば抜けてかっこいい男の子に見つめられ、恥ずかしさで自分の顔に一気に熱が集まるのを感じた。どうしよう、どうしよう。私今中学のジャージ着てるんだけど。
 彼に初めて会ったのは数ヶ月前、ちょうどおじいちゃんが他界したその日だった。その切れ長の鋭い目に整った顔、兄より背が高くて高校生にしては大人びている彼を見た瞬間私は心臓発作を起こしそうになった。
ストライクゾーンど真ん中。つまり、めちゃくちゃタイプだった。まさに理想の恋人像。同じクラスの男子を束にしても伏黒君には絶対に敵わないだろう。

「あ、あの、悠仁いますか…?」私は声が震えないように気をつけながら尋ねた。頭の中はパニック、パニックで背中はぐっしょり汗で濡れていた。幸いにも伏黒君は意中の男の子を目にしてしどろもどろになっている私にも、手汗を必死でズボンで拭っていることにも気がついていないようだった。

「虎杖なら、そこに―――」
「何か言った?伏黒」

ひょっこりと見覚えがある顔が伏黒君の背後から現れた。私の姿を認めるなり、まるっきり同じ目を大きく見開く。「あれ?澄花じゃん!ここで何してんの!?」
「悠仁……」

ようやく双子の兄の姿を発見し、ほっと胸を撫で下したその時、その左頬がぱっくりと割れて突如兄のとは別のもう一つの口が現れた。驚く暇もなく、背筋を凍り付かせるような冷たい声が私の鼓膜を揺さぶる。

「何故オマエがここにいる」

怒りと苛立ちを含んだ声色は先ほどまでの高揚感を一気に氷点下まで下げるのに充分な破壊力を持っていた。
『彼』の存在を感じ取り、全身が無意識にガタガタと震え始める。と同時に抗い難い酷い眠気に襲われる―――眠りたくなんかないのに瞼がだんだんと重くなり、意識が闇に向かって引っ張られていく。

「…ゆ…うじ…っ…」

それだけを言うのが精一杯だ。どういうわけか舌が動かず言葉が上手く出てこない。それでも双子の兄はすぐに理解した。
悠仁が私に向かって手を伸ばすのと私が意識を手放したのは殆ど同時だった。

闇に引きずり込まれる寸前、兄が私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。



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