空がほんのり白み始めた日曜の朝、私は玄関のチャイムの音で起こされた。
クッションを抱えて悪態をつき、寝返りを打つ。誰かがインターフォンに向かって何か言ったり、数秒に一度のペースでチャイムを鳴らしている。私が起きるまでずっとそうするつもりらしい。
薄目を開けてベッド脇の目覚まし時計に目をやる―――六時七分。

一体どこの馬鹿が日曜の朝から他人ん家のインターフォンを鳴らしてんのよ。世間知らずにも程があるでしょ。

まだ正常に働き始めていない頭の中でザッとご近所さんの顔と名前を並べて見る―――たまたますれ違えば挨拶する程度でろくに交流もしていなければ反感を買うようなことを何一つした覚えがない。
暫くすれば諦めるだろうと高を括り、クッションを頭に乗せて音をシャットアウトしようとしたが相手は手を緩めるどころかますますヒートアップして数秒間に一度だったチャイムの音の間隔が短くなり、インターフォンからはよく聞こえないが(老朽化と生前祖父がしつこくやってくるセールスに辟易として金槌で何度かインターフォンを殴ったため音が割れるようになった)呪いの言葉のようなものが聞こえてきた。

仕方なくベッドから起き上がると目を閉じたまま玄関へ向かう。
昨日は通っている高校の体育祭だったため身体全体が筋肉痛で鉛のように重い。今日はお昼まで眠るつもりだったのに。
途中、素足をテーブルの脚にぶつけてしまい思わずうめき声を上げた。ああっ、もう、最悪。
痛いやら腹立しいやらで腸が煮えくり返りそうになりながらろくに相手を確かめもせずに乱暴にドアを大きく開けた。もし訪問セールスだったらおじいちゃんじゃないけど絶対に箒で殴ってやるつもりだった。

しかし目の前に立っていたのは意外な人物だった。思わず目を丸くする。

「……五条、さん?」
「やっ。久しぶりだね」

そう言って双子の兄の担任教師は手をひらひらと振ってみせた。
最初は予期せぬ相手に面食らっていたが、少しずつまた怒りが戻ってきた。元々私はこの人のことが初めて会った時から好きじゃなかった。背がバカでかくて威圧的だし、目を黒い布で隠しているから表情がまるで読めない。口元には人をバカにするような笑みをいつも浮かべていて、言動が軽薄でまるで子供みたい。悠仁はこの人を信用しているみたいだけど、私はその逆だった。

腕を組み、ドアにもたれかかりながら大男を下から睨みつけた。パジャマ姿だし、髪は爆発しているからそんなに凄んでいるようには見えないだろうけど。

「今何時だと思ってます?あとさっきインターフォンで何か言ってませんでした?」
「六時十分でしょ。妹ちゃんがもっと早く開けてくれたら今頃リビングで話していただろうね。待ちくたびれてずっと‘‘早く開けないと呪う’’ってインターフォンに話しかける痛い人になったじゃないか」
「どうでもいいですけど、一体何の用ですか」
「立ち話も何だし、中に入って話さない?」そう言って家の方を顎でしゃくる五条さんに、私は容赦なく言い放つ。

「六月に亡くなった祖父から得体の知らない人間にうちの敷居をまたがせるなって言われているので無理です」

その辛辣な物言いに五条さんはぽかんとした表情を浮かべた。だがすぐにクックッと喉を鳴らしながら愉快そうに笑った。一方の私は冗談ではなく本気で言ったつもりだったので何がおかしいのか分からず眉を潜めた。

「話には聞いていたけど双子なのに悠仁と全然似てないね。本当、用心深い」
「それはどうも」

私は素っ気なく言った。兄の悠仁とはまるで正反対なのは百も承知だ。向こうみずで自らトラブルに飛び込んでいくような悠仁とは違って私は慎重で石橋を叩きまくるタイプ。昔も、今も、これからもずっとそうあり続けるつもりだ。

もちろん、時々はそんな厄介事に巻き込まれることもある―――主に悠仁絡みで。
無意識に片方の手で首筋を撫でた。ほんの数週間前にこの首があっけなく切り落とされた感覚が断片的に蘇る。あんな体験は二度とごめんだ。そして目の前にいるこの人は悠仁と同じで間違いなく私をそんなトラブルに巻き込むような人間だ。できることなら関わりたくなかった。

頑な態度に五条さんは

「でも僕は得体の知れない人間じゃない。一度会ったこともあるし、悠仁の担任の先生だよ?可愛い教え子の妹に危害を与えたりするわけないだろ」

と笑う。私のあまりの警戒心の強さに半ば呆れているようだった。
どうやら中に入るまで諦めるつもりはないらしい。このままだとずっと居座りそうだ。
そもそもわざわざこの人が東京から宮城まで来た理由は何だろう。興味を引かれ尋ねると「中に入れてくれるまで教えないよ」とそっぽを向かれた。まじで何なのこの人。

このままじゃ埒があかないと判断した私は「家庭訪問みたいなもの」だの「悠仁の近況知りたくないの?」だのとあれこれ理由をつけて家の中で話したがっている五条さんに仕方なく譲歩した。

「分かりました。でも用が終わったらさっさと帰ってくださいね」
「いいよ。多分そうはならないだろうけどね」

自信満々にそう言い張る彼に私はますます嫌悪感を募らせた。早くもこの人を家に招き入れたことを後悔し始めていた。



足を引きずりながら欠伸をし、キッチンにあるエスプレッソメーカーを準備する。こんな朝にはコーヒーでも飲まないとやってられない。相手が五条悟なら尚更だ。

「足どうしたの」向かいにあるダイニングテーブルに身体を四つ折りにして腰掛けながら五条さんが尋ねた。そこは数ヶ月前まで悠仁がよく座っていた席だった。自分以外の誰かがテーブルにつくのを見るのは随分と久しぶりでちょっぴり緊張する。
「そこのテーブルにぶつけたんです」そう答えながら考えた。一応この人もお客様だし、お菓子か飲み物でも出してあげるべき?でもこの家には滅多に人が訪れたことがないからごく普通の一般家庭が突然の訪問客に何を出しているのか見当もつかなかった。

「あの…コーヒーか何か飲まれます?」
「あ、じゃあ頂こうかな」

おずおずと尋ねると周囲を興味深そうに見回していた五条さんが嬉しそうな笑みを浮かべた。
コーヒーが出来上がるまでの間トーストを焼き、冷蔵庫から近所でも美味しいと評判のパン屋さんのストロベリージャムを取り出した。悠仁と私の大好きな味だ。昔は三日に一回は買い出しに行かなければならなかったのに今じゃ食べているのは私だけで二週間に一度だけの頻度になってしまった。気にしないようにはしていたけど十五年間も一緒にいたので双子の兄がいないのはやっぱり寂しかった。今度仕送りしてあげようかな、と考えながらトレーにこんがりと焼けたトーストとバターにジャム、シュガースティックが何本か、コーヒーが入ったいつも使っているお気に入りのカップと綺麗めなカップを乗せてダイニングテーブルに運んだ。
私がジャムの瓶に人差し指を突っ込んでひと舐めし、熱々のトーストにバターを塗っていると五条さんが感心したような声を上げた。

「へえ、面白い食べ方するね」
「いや、あなたも人のこと言えないですよ」

五条さんは私が用意していたシュガースティックを全部コーヒーに入れてスプーンでかき混ぜていた。もはやカップに入っているのはコーヒーではなくただの黒い砂糖水だ。コーヒーを冒涜するような行為に咎めるような視線を向けるが五条さんは一口、二口と当たり前のように飲んでいく。見ているこっちが気分悪くなりそう。

「最近悠仁とは連絡とってる?」
「まあ、週に何回かは」
「仲いいね。初めて会った時はそうは思わなかったけど」
「今はいい感じです」

悠仁と良好な関係を築けるようになったのはほんの数週間前からだった。その前までは同じ家にいても殆ど顔を見合わせることなんてなかったし、口もきかなかった。一方的に私が悠仁に対し冷たく接していた。小さい頃から兄に対し屈折した愛情を抱いていたのに中々気がつくことができなかったのだ。私は自分の正直な気持ちを悠仁本人に打ち明け、最終的には和解した。今では昔の関係がまるで嘘のように電話もビデオチャットもするし、遊びに出かけたりしている。

「そう、それはよかった」五条さんはスプーンでカップの中身を混ぜながら素知らぬ顔で尋ねた。「ところで宿儺とはどうなの?」

ちょうど飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。どうにか抑えたものの、液体が器官に入って咳が止まらなくなってしまう。私が咳き込んでいる間五条さんは「大丈夫?」と声をかけてくれたがその場から微動だにしなかった。この反応は想定内だったのだろう。

一方の私はパニック状態だった。その名前を聞いた瞬間、一気に数週間前の出来事が蘇ってきたのだ。双子の兄にそっくりな顔。凶暴な眼差し。全身が凍り付く程、威圧感のある低い声。彼がほんの少し指を上下させただけで私の首は切り落とされた。

『オマエ‘‘も’’つまらんな』

彼が最後に口にした言葉が頭の中で何度も木霊する。
十五年間生きてきた中で、一番最悪の記憶だった。

咳が収まると涙目になりながら五条さんを見た。彼の口元には意地の悪い笑みが浮かんでいた。

「ほらね。僕の言った通りになっただろ?」

それともまだ僕にさっさといなくなって欲しい?と小首を傾げながら無邪気に尋ねる。

やっぱりこの人嫌いだわ、と私は改めて思った。



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