◆ワトスン日記1◆
ヴィーと家族との関係が良好とはいいかねる――いやほとんど最悪に近いものだったことは、《樽》で得た知識として知っていた。
彼自身から身内の話を聞くことはなかったが、絶縁状態なのは容易に推測できた。
ところがある日、ベーカー・ストリートを四十前後の紳士が訪ねてきて、ヴィーの従兄だと名乗った。
その紳士、ヴェルネ男爵はヴィーの十二歳年上の従兄で、母方の伯父の嫡男だということだった。
優しげで穏やかな風貌の彼は、ヴィーとはあまり似てはいなかった。
「きみの行方はずいぶんと探したんだよ」
ヴェルネ男爵はヴィーを本名で呼び、懐かし気に見つめた。
長い間彼を探していて、このところよく名を聞く名探偵、シャーロック・ホームズ氏に捜査を依頼するのを思いついたのだという。
男爵が話している間、ヴィーはずっと不機嫌に黙りこくっていた。
そのせいで会話は弾まず、男爵は三十分もすると、ではそろそろ失礼するよ、と立ち上がった。
俺は彼を通りまで見送った。
ヴェルネ男爵は、従弟の無作法に気を悪くした様子もなく、物静かな態度を崩さなかった。
馬車が通りかかるのを待つ間に、男爵はふと思いついたふうに尋ねた。
「彼はヴァイオリンを巧く弾くのかな」
「ええ……まあ」
巧いというか、あいつの性格そのままというか、卓抜した才能を自由気侭、自分勝手に用いているのは、ヴァイオリンも同じである。
「最初に楽器をプレゼントしたのは、私なんだよ」
男爵は言った。
「あの子が三つのときだった」
「かわいげのない子供だったんでしょうね」
うっかり本音を漏らすと、ヴェルネ男爵は小さく首をかしげた。
「少しはにかみやだったけど、かわいらしい子だったよ」
「……」
「叔父と叔母は――つまり彼の両親が、あまり――子供に愛情を示すのが得意なひとたちではなかったので――そのせいで愛情を受け取るのが苦手というか、その方法がわからないようなところはあったけどね。楽器を受け取ったときも、笑顔を見せたりはしないで、ちょっと困ったような顔をしていた。だけどそのあと、ありがとう、と言ったよ。とても大切そうに、楽器を腕に抱いていた。今もヴァイオリンを続けているのだとしたら、なんだか嬉しいね」
そう言って、ヴェルネ男爵はふわりと笑った。
「こんな偶然もあるんだな」
部屋に戻って言うと、ヴィーは肩をすくめた。
「偶然なものか」とぶっきらぼうに否定する。
「じゃあ――?」
「最近、パイクが彼と会ったことを意味ありげに言っていたから、こんなことだろうと予測はしていた」
「――ってことは……」
「そうとも、あのひとは僕がホームズと名乗っているのだと知っていたはずだ。依頼のことなど口実にすぎない。しかもふざけた口実だ」
あのひとはそういう人だ、人畜無害なふりをして策士なんだと、ヴィーはぶつぶつ文句を言った。
その様子は、なんだか子供っぽくて、俺は噴き出しそうになるのを堪えた。
ヴィーが、きっとした目をこらちに向けた。剣呑な声を出す。
「ワトスン?」
「いや、なんでもない」
その日一日、ヴィーの奴は不機嫌だった。が、俺は比較的楽しく過ごした。
―完― [ 1/4 ]SS・短編入り口
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