「ごめんください」



 控え目に声をかけて扉を押し開けば、センス良く飾られた花環が微かに揺れる。一歩店内に足を踏み入れた途端、私の瞳は色で溢れた。一面に配置された色彩豊かな花は見ているだけで和むから癒されるのよね。お花って素敵。可愛いは正義。
 無意識に緩んだ顔で店内を物色していると、カウンターの奥から顔馴染みの青年が顔を出した。此方に近付くにつれ、体に沁み付いた花粉がふわりふわりと仄かに香る。


「いらっしゃいチサトちゃん。何かお探しですか」
「あ、こんにちはカイさん。実は友人の誕生日が近いんで、花を贈ろうかと」
「そうなんだ、ゆっくり見て行ってね」


 はい、と元気良く答えたのはいいけれど、こんなに沢山あると流石に迷うわ。だってどの花も好きなんだもの。
 というより、この花屋自体が好きなのかも知れない。淡色で彩られた夢のような雰囲気が大好きで、幼い頃から母親にせがんでは頻繁に連れて来て貰っていた。その頃から良く店の手伝いをしていた佳維さんは、専ら私の遊び相手になっていた訳で。簡易的なお花畑に囲まれて浮かれていた私(当時10歳)は、ちょろちょろと走り回っては佳維兄ちゃん佳維兄ちゃんと懐きまくっていた。最早遊び場になってるわね。おじさんおばさん、そして佳維さんごめんなさい。

 罪悪感からちらりと佳維さんを盗み見てみる私。けれど、彼は私の懺悔など知る由もなく、早くも仕事に専念していた。作業用の青いエプロンの上に、切り揃えた茎の残骸が次々と滑り落ちて行く。男性にこう言うのは失礼かも知れないけど、男の人のエプロン姿って、何ていうかこう……










「可愛いわ」
「え?」
「あ、いえ、このカーネーション! 可愛いなって!」


 不覚にも声に出してしまうってどうなのよ。
 慌てた私は、気付けば手近にあったカーネーションを指差して誤魔化していた。佳維さんは一瞬不思議そうに首を傾けたけど、直ぐに納得したように頷き、「嗚呼、これね」と私の指を辿る。


「花言葉は女性の愛=B1月11日の誕生花でもあるんだよ」
「1月11日?」


 って、私の誕生日じゃない。驚いて視線を押し上げると、佳維さんと目が合った。何だか意味深な視線に息が止まりそうになる。綺麗なセピア色。吸い込まれそうな、深い瞳。
 カタン。彼は動かしていた鋏をカウンターテーブルに置き、徐に立ち上がる。些細な足音が頭に響くくらいに閑静な店内で、私の心臓の音だけがやけに浮かび上がって聞こえた。昔と変わらず柔らかな物腰の佳維さんは、私を瞳に映したたまま、真っ赤なカーネーションを一本抜き放つ。


「僕も、誕生日に花を贈りたい人が居るんだ。このカーネーションなんてピッタリだと思うんだけど、―――どう思う? 千里ちゃん」


 少し照れたような、けれど真摯な眼差し。自惚れでなければ、それは紛れもなく私に向けられたもので。
 その意図に気付いた私には、反転する景色に抗う余裕すら無かった。動揺から大きく見開いたままの瞳はパチパチと瞬きを繰り返すばかりで、上手く対応出来ずに居る。多分今の私は、カーネーションにも負けないくらい真っ赤になっている事だろう。何ぼんやりしてるの私、早く反応しないと。でも言葉が、喉に詰まって張り付くみたいに。
 ごくりと唾を飲み下し、静かに息を吸い込む。押し黙ったままの私の視界いっぱいに映り込んだのは、鮮やかな、それはそれは鮮やかな紅。


 期待、しても良いのですか。





「きっと、喜ぶと思います。……とても」



















『千里ちゃんは、大きくなったら何になりたい?』
『ちさとねー、お花屋さんがいいな!!』
『あははっ、そうか。なれるといいねぇ』
『なれなかったら、佳維兄ちゃんのおよめさんになるもん』
『嗚呼、それはいいね。君が僕の家に嫁いだら、二つの夢が同時に叶う訳だ』
『はっ、そうか!』
『今気付いたんだね』





 遠い、遥か遠い昔。
 幼いながらに抱いた夢が叶う日は、そう遠くないのかも知れない。







2011.08.10(Wed)




遊羅様より相互記念で頂きました。
この方の作る作品は単に美しいというよりは清楚な感じがします。そして“読ませる”感じがするんです。
堅苦しいコメントはここまで。
カーネーションは私も好きな花なんだ、自分の誕生花とかどうとか関係なく。
咄嗟に思いついたリクエストに答えてくれてありがとうね遊羅。これからも宜しく!!






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