暗香浮道
万重、幾重も幾重も螺旋して



「なぜ…って、それは…!」


言葉に詰まる。


売られた。そういえばいいことなのに。
なぜか、言葉にするのをためらわれた。


「…おおかた、家が貧乏になっただとかなんだかんだ難癖つけられて売られたんでしょ?」

「……!」


私の瞳を除いて、彼女が告げてくる。

心の中すら、見え透いてしまうみたいな錯覚に陥る。


その瞳には、そんな力があってもおかしくない気がしたのだ。



「完全聖者は、疎まれやすい。その強大である能力ゆえに」


彼女は、着物を直しながらぽつぽつと話してくれた。
一応、男の格好をしているが隠す必要がなくなったためか、表情や口調は女のものだった。


「まず、率直にいうとあたしたちは人間じゃない。…あの男たちのいった通りの化け物。それも、鬼といわれる種族のまた特別格」

「化け物…鬼…」


刻み付けるように復唱すると、左腕の痣が熱を持つ。
忘れたものを吸収するように…。



「この世界に“始まりの旋律”という名の物語がある。たぶん、それを語ったほうが理解しやすいでしょうから」


彼女は、軽く息を吸ってから優しくも厳しく、根を張る木々のような声で物語を紡いだ。


ゆっくりと、流れるように。


【遥か遠い昔。

この世界に<始まり>が生まれ落ちました。
原始の神に愛された<始まり>は世界まるまる一つを任されました。


しかし、神の制約は厳しくこのままでは世界が滅んでしまいそうでした。
そこで<始まり>は幾人かに自らの力を分け与えることにしました。

それを儚い願いであり、最後の希望と思い【雪花洗礼】と名づけ、<聖母の祝福>として彼らに力を授けたのです。
彼らは、傷がすぐに癒える体を持ち、偶然を運ぶ力を与えられました。
その証とし、彼らには空を舞う生き物の痣を左腕に刻まれることになりました。
人では敵わない、至高。そして人を真上から見るために。



しかし、神は困りました。

このまま<始まり>の気まぐれをすべて通してしまっては、神へ感謝することを忘れ崇めなくなると。

そこで神は<聖母の祝福>の能力者に「修羅」という名の監視を魂に宿らせ、さらに雪花洗礼の監視と罰の執行を行う能力者<息吹の祝福>を何人かに与えました。
彼らは、やはり傷の治りが早く雪花洗礼の者へ罰を与える力を与えられました。
その証として、彼らには地に足をつく生き物の痣を左腕に刻まれます。
人を、同じ高さで見つめるために。

修羅を宿したものは、完全なる存在としてみなされ【完全聖者】と呼ばれるようになりました。

直接、洗礼を受けた崇高なる存在として。また同時に二つの意志を持つことから痣が双頭になったといいます。


ですから、この世界での彼らの役割は。
<聖母の祝福>が偶然を呼ぶ風であり『世界の願いを受け入れるもの』であるならば。
<息吹の祝福>は偶然の風が吹く方向を制限する木であり『世界の願いを叶える有限性』の具現化であるならば。
<始まり>は奇蹟を選び抜く導きであり『世界の調律するもの』であるのです。


<始まり>の役割はあくまで世界を見守り、調律を保つことです。
<始まり>には自ら調律を正す術がありました。
“輪廻転生”。
自らが世界に生れ落ちることで、世界の流れを整えることができたのです。
しかし、<始まり>の干渉は制限され、その役割や制限を超越することは、<始まり>の自ら定めた掟に背くこととなり、世界は調律を保てなくなる可能性がありました。



彼らは、一様に<始まり>と神の「輪廻転生」の力を持ちました。
幾度も、幾度も生まれ変わり人を支えるために。
そして子孫を絶やさないために、生まれる機会をうかがうために彼らから生まれるものは、雪花洗礼の一部の力を宿し、同様の治癒能力を持ちました。

それらを俗に「鬼」といいました。


何度も子がなされる中で、やがて雪花洗礼を持たない鬼も生まれるようになりました。



こうして世界の秩序と安定は守られているのです。】



短い物語。
けれどそれはどの物語よりも濃密で、厳かだった。


「なんとなく理解はできた?」

「なんとなく、なら」


確か、神さまに愛された人がいて、その人がこの世界を管理している。
けれどこのままじゃ壊れそうだから、人でない存在を作り上げて自らの代執行とした―。



「そこまでわかれば十分よ」


その唇から、笑みとも感嘆とも取れない不思議な感情が零れていた。

あえて言うなら歓喜?
そんな感じだ。


「あなたの鷹は空を飛ぶ生き物。ゆえにあなたは<聖母の祝福>の能力者。それも<始まり>から直接選ばれた完全聖者の」

「…そんなにいきなりいわれましても、理解できまへん」

「それが普通よ。でも、これはお伽噺なんかじゃない。それだけは分かるわよね?」


彼女は、傷口にそっと着物の上から触れる。

血がにじむこともなく、あまり痛みを感じない。


治りかけている。


「さっきの物語でも語られたように、“わたしたち”は傷がすぐに塞がる。貴方も、その体質に気づいてたんでしょう?」

「……」


やはり気づかれている。


やっぱり、彼女も同じ種族だから?

さっきの物語を聴く限り、わたしたちの方でないのは―地をつく生き物だという。
彼女の痣は虎。


同じようで違う洗礼を受けたものたち。



「あんたはんは、うちと何が同じで何が違うんどすか?」

「違う、ねぇ…。確かにあなたと私は根本は同じだけど、はるかに違うわね。さっきの物語でも語ったけど、あたしの洗礼は<息吹の祝福>―。あんたたち<聖母の祝福>を監視するのが役目」



手に持った酒に、自分自身が映るのをどこか遠い目で見つめていた。


――桜。
彼女を例えるならば、まさにそれだ。

儚さ、美しさ、気高さ、洗練さ。



彼女の名は、誠の桜…。
まさにそれそのもの。


はらり、と舞い散る。



「体の性質は同じ。ただ、役割や使命が違うの」



それだけわかればいい。
あたしたちが人間じゃなく、鬼であり。
また、異能者であること。


畏怖される存在であること。



ぱさりと渇いた音がした。



それは、結いなおした髪だった。
続けて、簪がひとつ落ちる。


私は、人間じゃない。


それも、この世界に風を運ぶ神に選ばれた存在。
そんなたいそうな存在なんかじゃない。

私はただ、苦界に堕ち家族を養うために生きてきた普通の娘だったと思うのに。



私は生まれた時から、人間にとっての異端分子。



「ねぇ」



目の前の少女が、落胆する私に声を掛けた。

心なしか、慈しむような声で酒の盃を床に置くと。
立ち上がって私の顔の前に、手を伸ばしてきた。


その手は、おおよそ似つかわしくないたこがあった。


「あなたに、この剣を握ってきた手を握り返す勇気はある?」

「え?」



少し首を持ち上げると、彼女は悲しそうに笑っていた。


同情でも憐みでもない、哀しみ。


深い深い、哀しみ。



「あたしと来る?そうすればここから出してあげる。ただし、此処よりもつらい場所かもしれない…それでも、貴方は目の前の手を掴む?」




このままでは、箱の中で生きるだけ。

それが嫌なら、この手を取って生きればいい。


「この手は、貴方を苦しめることもある。けれど同時に翼を与えるわ」



どうする?


彼女が催促し、手を伸ばしかける。



先に在るのは、闇かもしれない。

それこそ、血なまぐさい戦場かもしれない。


でも、私は私を見失いたくない。


遊女としての私の誇りでなく
ありのままの私の誇りで生きていたい。


可能性があるなら。



まだ、私が飛び立てるなら。



手を、重ねる。




ここから、私の夢は始まった。




- - - - - - - - - -

暗香浮道(あんこうふどう)…闇の中、かすかに花が香り漂うこと