双頭の鷹
私を見初めるもの、その名は―



「斎賀、誠桜?」

「うん。変かな?」

「いえ…とんでもないどす。とてもお綺麗な名前やとおもっとっただけどす」



場所は、座敷の一角。
お世辞にも広いとは言えない場所に、私と誠桜さんはふたりきりだった。



お酒を注ぐと、彼はちびちびと舐めるように飲む。

彼曰く「酒はだいぶ飲めるけど、好んで多く飲むものじゃない」らしい。
一応、自制心をもって飲む方のようだ。


「ま、さっきの連中みたいなと一緒にされたくないのもあるけどね」


悪戯っぽく笑うと、杯の酒を見つめる。


こういう表情をしていると―青年というよりは少年に近くも見える。
あどけない、と言ったらいいのだろうか。

さっきの陽気な表情といい、不思議な人だ。


浪士には、あんな刃物みたいな空気を出していたのに。



「そういえば君は、体術が得意なんだね」

「え?」

「さっき、見てた。助けようと思ったんだけど、あまりにも綺麗に戦っていたので」


まるで、舞いだった。


彼は、そうつぶやくと熱っぽく杯を見つめて酒を飲む。


「君は、静御前を知ってるかい?」

「へぇ。確か、源義経のお妾はんどすよね?」


すると彼は、驚いたように翡翠色の瞳を見開き、感嘆の声を上げた。


「珍しいね。私の知り合いに知っているひとはほとんどいなかったのに」

「偶然どす。お客はんにたいそう好きなかたがいらっしゃったんどす」



微笑んで、徳利を掲げると彼は杯を差し出してくれた。

つぐ音が流れる中、彼の言葉が流麗に紡がれる。


「静御前は、敵方の源頼朝の前で義経を思う唄と踊りを披露した。妊娠した身でありながらも、堂々とね。頼朝は激怒して斬り殺そうとしたけれど、奥方の北条政子の共感を惹き、彼女は生き残ったんだ。その気高さと、流れるような戦いぶり。まさに彼女の生まれ変わりかと思ったよ」

「そんな滅相もありまへん」


片手を振って否定すると、彼はおかしそうに笑う。

本当に不思議な人だ。


こんなに、いっぱい喋るんだ。
さっきまでは、あまり必要なこと以外喋らない感じがしたのに。



「あとは、巴御前は知ってる?」

「いえ。そちらは聴いたことがありまへんえ」

「巴御前は、義経の従妹・木曽義仲の妾。女武者だったそうで、その強さは木曽義仲四天王にも引けを取らなかったらしいよ。木曽義仲最期の戦い・宇治川でも最後の7騎のうちのひとりだったらしいよ。平家物語の『覚一本』では、彼女についてこう記されている」



『木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具せられたり。山吹はいたはりあって、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり』





清涼で、熱っぽく濡れた声で。
同じ酒でもこのように酔えるものなのか、と思ってしまった。


「物知りなんどすね」

「いや。ただたんに平家物語のあたりが好きなだけなんですよ。武士の原点にして、すべての動乱の始まり。武士の世界はここから始まったといっても変わりない」



再び盃を傾け、酒を煽る。

理想を語る姿は、なんともいえない不思議さと麗しさが備わっていた。



「巴御前は、どこかあなたに似ている」


盃を見つめたまま、私に告げる。


気高いだけでなく。
先陣を切る勇敢さと勇猛さ。
最期まで傍に在りたいという純真さ。


「そうは思わない?」

「いえ、そんなとんでもない!」

「そういうところもだよ」


くすくすと笑う姿は、なんともいえず綺麗だった。




普段はあまりしゃべらない感じがするのに、異様に饒舌だった。
それがまた、ひかれる。


本当に、好きなんだろうな。



「それで」

「?なんどすか?」


彼が、間を置いた。

今までで一番長い間。


まるで、戸惑うように。




「どうして明科家の完全聖者がこんなところにいる?」



空気が、凍りついた。

時が止まった。


完全聖者、これは聴いたことがない。


けれど、前半の「明科」。


すでに忘れていたと思っていた、苗字。
名前は忘れてしまったけど、覚えていた唯一あそこにいた記録。




「どう、あたってた?」

「…なんであんたはんが知ってるんどすか!?」



半ば混乱状態になる私。

しかし、彼はそれすらも予想通りだったかのように淡々と告げる。



「雪花洗礼<聖母の祝福>【影誘舞】。明科家は、それを持つものに左腕に鷹の痣を生まれながらに刻まれる。そして修羅を宿す完全聖者は、鷹が双頭となる」



杯を置き、彼が立ち上がる。


「一体、あんたはんは、誰でなんでうちのことをしっとるんですか…」

「嘘はいってない。私の名は本名だし。ただ――」



彼の影が揺れた。

いや。影というよりは彼を取り巻く空気が揺れた。



ふわり。

軽やかに、優雅に。


私は、思わず驚きで目を見開いた。
彼が先ほどの私と同じように着物の左側をはだけさせていたから。


まず初めに凝視したのは、胸だ。

白く滑らかな肌に、幾重もの晒しがきつく巻かれていた。
胸のふくらみを、隠すように。



「――女?」

「そう。あたしは女。斎賀誠桜は、壬生浪士組の内部監視をする会津藩および幕府から派遣された隠密よ」



壬生浪士組。

水戸藩士・芹沢鴨を中心に京を守る会津藩お抱えの浪士たち。
ただし、その風評はかなりひどいもので、芹沢鴨の横暴な態度でたくさんのひとたちが怪我をしたという。


会津藩から、過激浪士を観察する隠密。

なんとなく合点がいく。


それに、彼―いや、彼女はもとから中性的な顔立ちをしていた。
これなら、浪士組に男として溶け込んでいてもまず気づかない。


ただし、今は女性的な顔をしていた。
声も、素なのだろうか高いものへと変化する。

…普通はあそこまで変貌できないと思うけれど。


ちょっと女っ気があるかな、ぐらいでさして疑問を抱かないだろう。



そして、次に目を剥いたのがその左腕。

美しい肌に、禍々しくも雄々しい虎が刻まれていた。


そう、私の双頭の鷹と似たひとつの頭の虎が。



「では、改めまして。明科家の完全聖者…あなたはどうしてここにいる?」





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便女…文字通り、便利な女を意味した言葉。当時、便女=美女とも言われていた。召使のような役割だったらしい。
『山吹はいたはりあって』…「山吹は病気であって」の意。
山吹御前…木曽義仲に巴御前と共に付き添っていた便女のひとり。平家物語によれば、宇治川の戦いでは病のため動けなかったとの記述がある。