異端の来訪者
漆黒の髪が、揺れた


華やかで優雅なはずの座敷は、一変して戦場と化した。



「おらああああっ!」


小刀を片手に、さっきの男が襲い掛かってくる。


私は、即座に下の着物だけを羽織り、仕掛けはそのまま垂らしておいた。
たぶん、時間的にこれが限界だし。


ひゅっん



空を切り、小刀が飛ぶ。

私はそれを左側に動いて避ける。


髪に刺さっていた簪―平打ちを抜き、男に向かう。


とんっ、と首に平打ちで打撃を加えると男はそれだけで意識を失う。


「遊女だからとって、甘くみてほらってはこまりますえ」



後退。
同時に飛んでくる杯や茶碗。


「お紗枝、はよお逃げ。それからおかあはんや男どもに状況を話しとって」

「っ、わかりました!」


お紗枝の脱出口を開くために、男たちにつっこんでいく。


「まだまだ酔っ払いにやられるほどおちてまへんえ?」


妖艶に微笑んで、一撃。

さらに背後からやってくる男を、肘鉄の要領で一撃。


「この女ぁあああ!」


今度は四方。
さすがにきついかもしれないが。


まずは前。
いたって普通に、顔面に正拳をお見舞いする。

よろめいただけだが、なんとかはなるだろう。


左右から仕掛ける者達には、両手を突き出しそれぞれの首にひっかけて前進。
正拳を喰らわせた男に、首をひっかけた男たちを突っ込ませる。


それで隙ができたと思ったのか、背後から刃物の冷たい気配がした。


慌てず騒がずに、身体を回転させて足を出す。
油断していたのか、見事なまでに足払いを食らう。


「この野郎…!」


即座に体勢を立て直そうとした男が、再び小刀を構えてくる。


私は、平打ちを閃かせて男に向かう。

まだ立ち上がろうとしていたときに、押し倒すようにのしかかる。



――その首の横に、平打ちを突き立てて。



「…お前…本当に化け物か…」



その答えには応じず、再び簪を抜く。

髪がさらりと、左目を隠す。
煩わしいので耳にかける。


「くそっ…」


男が何かを投擲してくる。

この物体は―苦無!?


反射的に危険を察して避けたが、左の二の腕を苦無がかすめていった。


ぽたっ、とひとしずく。


真っ赤な鮮血が畳を汚した。



斬られたのはちょうど痣のある周辺。
着物がぱっくりと裂け、それが空気に触れる。


出血はさほどじゃない。傷も深くない。


――まだ、戦える。


それに、私の特異体質。


「…傷が…!?」

「ふさがりはじめてやがる…!?」



そうだ。
傷口が収縮するように、どんどん閉じ始めていた。


「やっぱ…とんだ化け物じゃねぇか!?」

「に、逃げろぉぉぉ!!」


男たちの顔が恐怖に染まる。

青ざめた男たちは、異形を見る目つきで私を見てから退却していく。


「ああ、お客はん。忘れてますよ…延長代と弁償代」


平打ちを一閃。
男たちの足元に刺さった簪は、男たちの動きを止める牽制には十分。


「さぁ、はよだしてくださいな」

「ふざけるな!化け物のいる店に弁償代なんぞ払えるか!?」



「あらら。それは武士道に背くのでは?」



その時、場違いなまでに綺麗な声が響いた。


黒い影が、躍り出るように一人の男の腕をつかんだ。



長い黒髪。
それをうなじでまとめ、紫色の着物と黒の袴を着た人物。
腰には大小の刀があり、武士だということがうかがえる。

うつむいているので、顔は見えない。

何をやっているんだろう。
こんなとこにくるなんて命知らずにもほどがある。


しかし―
その人物は男たちの酒臭い息にも、殺意にも臆することなく。


まるで自分がそうあるのが当たり前のように、立っていた。



「士道不覚悟は切腹――なんて、ね」

「貴様、浪士組の人間か!?」

「まぁ、当たらず遠からずかな」



その人物の顔が上がる。


まんなかで分けられた髪の向こうにあったのは、凛とした表情だった。


男というよりは女に近い、中性的な顔立ち。
ただ、自信に満ちた翡翠色の瞳が鋭い雰囲気を醸し出し、男性的に見える。


孤高の執行者。
彼を例えるなら、そんな感じだ。




「とにかく。この酒臭い息…あんたら飲みましたね?」


大方、酔っぱらってそこのひとに襲い掛かったんでしょう、と青年が低くつぶやいた。


「ちげぇ、こいつが先に喧嘩を…!」

「…残念。禿の女の子から裏は取れてるよ。酔っぱらった君たちよりずっと信用できる話だよ」

「なんだ兄ちゃん、喧嘩売ってんのか!?」

「違う。…やっぱり酔っ払いはたちが悪いと思っただけだから」

「それを喧嘩売ってるって…うぐっ!?」


さらに激昂する男に、慌てず騒がす青年は腕に力を込めた。


ぐるん、とひねりを加え何事もないように、男の腕を締め上げる。



「だから君たちの言葉はもうどんな効力ももたない。それに、体が売りの遊女に傷つけた時点で重罪だよ。…見逃してあげるから、早くはらって。それともう二度とこんなことしないこと」

「誰がそんなこと―っ!」

「まだ痛い目みたいならそれはそれで構わないけど」


不敵に唇を吊り上げれば、男たちは後ずさりしておとなしく青年の言葉に従った。
おかあさんにそれぞれお金を払っていって、そそくさと去っていった。



「っと。こんな感じでよかったかな。それより君、大丈夫?」


その姿を見送った後、青年が私に駆け寄ってきた。

先ほどとはうって変って、陽気な印象を受ける表情をしていたため戸惑った。


「え…あ、はい」


すると、彼は笑顔になった。
愛らしくも、凛とした面持ちは消えないとてもきれいな笑みだった。

惚れ惚れするように見ていると、彼の視線に気づく。



引き裂かれた着物の奥にある、鷹の痣。


「あ…幻滅、しました?」


おそるおそる聴くと、彼はぶんぶんと首を振ってこたえた。


「ううん。とってもきれいだと思う」

「…きれい?」

「うん。綺麗」


綺麗。
初めて言われた。


この痣を綺麗だなんていってくれるなんて。


異端的なひと。
けれど、だからこそ彼の魅力にひかれた。



「よろしければうちにお相手させていただけませんか?おかあさまも、感謝で飲ませてくれると思いますし」

「いいの?だったら私がお金を出しますけど」

「ええんどす。これがうちらの感謝どすから。それに弁償代まで浪士からいただいたんどす。そのお礼位させていただいても罰はあたらないどすよ」

「…じゃあ、一杯だけ」





そうやって、私と彼が邂逅を果たす。



「そういえば、君の名前は?」

「うちは天神の月詠どす。もうすぐ太夫どすけど」


旦那はんは?と聞くと、彼は少し間を開けて。



「誠の桜、誠桜。斎賀誠桜」




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仕掛け…遊女が一番上にきている重い着物の事。当時の遊女は仕掛けの上から帯をしていたという。
平打ち…護身用の簪のこと。