運命の前触れ
立ち向かう、凛然とした誇りで



あの宣告から、3日が経った。

時というのはあっという間で、いつも通り過ごしているうちに3日も過ぎてしまった。


おかあさまは、着物や簪の準備をしていたし、私は私で内八文字の練習を再び行っていた。

8寸の高下駄でやるのは骨が折れる作業だし…
着物も5貫って、地獄にしか思えない。
だいだい、普通完璧に習得するまで3年かかるものだし。

今までもやってきたけど、改めて実践しようと思うと緊張のせいでなかなかうまくいかない。


その間にも、逢状は絶え間なくくる。

それも太夫になるお祝いなどのお偉方殿の差し入れ目的などで。


ため息がでる。
ここまでだと、さすがに心も折れてきそうだ。

ここまでの位になると、お金を持つ侍さんや著名人も多く相手にしなければいけない分、機嫌を取るのも大変だ。



…とくに長州藩や、薩摩藩のひとたちは。


誇り高い分、驕るひとたち。
おかあさまも配慮してか、そういう身分のひとたちばかり通す。



今日もそうだった。


「月詠姐さん、逢状どすー」

「いつもありがとね」


逢状を届けにきた禿に礼をいい、支度をする。


逢状の中身は、なじみ深い薩摩のひとだった。
いつも私を呼んでくれたが、最近あまり顔を見せていなかった。

たぶん、忙しかったんだろう。


座敷に上がると、男たちはむせ返りそうな勢いで酒を煽っていた。

今まで見たこともないひともいるから、たぶん逢状をくれたひとの紹介だろう。


「おばんどす、月詠どすえ」

「おお、きたか来たか!はよきてくれや!」


男に引き寄せられるように、肩を抱かれ徳利を持たせられる。


さすがにこういうのはなれてしまって、状況をみつつお酒を注いでいった。


「おお、気が利くねぇ」

「おあいにくと。うちらの仕事どすから」

「さすが我らが月詠殿」


紅い顔でなんやらかんやら騒ぎ立て、もはや宴会というよりは酒の我慢大会になっていた。


酔い潰れるぶんには好都合。
ただ、たまにいるのだ。

泣き上戸でもなく、笑い上戸でもない一番わたしたちにとって不利な酔っ払いが。



「おらああああ!酒ぐらい言われなくてももってこい!!」

「てめーら遊女だろ!?ここで脱いでみせろやぁ」


そう、こういう怒り上戸だったり、無理なことを言う客が。
こういう人間だけに、異様に力が強かったりするものだから、暴れられたらたまったもんじゃない。


「ほら、お紗枝。こわがらんといて。逆に目をつけられるで」

「でも、月詠姐さん…」


禿が怯えている。
それをなだめながら、酒を注いでいき、酔い潰れることを祈るばかり。

私もなんとか鎮めたいけれど、下手なことをいうと実力酷使になる。
それだけは避けたいし、はしたないだろう。


「いい、お紗枝?遊女っていうのは、みんな胸をはっとるんや。そうやって前を見つめて、誇り高い姿を男に見せつけるんやで」

「…え…?」

「いかなるときも、自分の誇りだけは捨てたらあかへんで。そうすれば、怖くなんかないはずや」

「……はい!」


隣にいる禿に、そうつぶやいた。


まるで、自分自身に言い聞かせるように。


「おい。姉ちゃんたち何をこそこそ話しとるんや?」


そこに、背後から大柄な男性が現れた。

獣並みの体躯に、かなりの高身長。野太い眉毛が印象に残る。


「へぇ。禿に遊女の教えをさずけとったんどす。これも姉女郎の仕事どすから。これは、お客様のお相手をせずに申し訳ありまへん」


すっ、と礼をした次の瞬間に、胸倉をぐいっと引き寄せられた。


「…っ、」


目の前には男の顔があり、口から酒臭い息が吐かれ鼻をついた。


「お前は遊女だろ?この俺の怒りを鎮める方法ぐらい、わかっとるよな?」


らんらんと目を輝かせ、狂気を光らせ。

けれど、私は恐れもしなかった。


こんなもの。
家族に裏切られたときの方が、よっぽど怖い。
こんなのは、ただ泥に埋もれた蛙(かわず)。

わたしたちは、華でいなければならない。


いかなる時も、凛然として咲く華に。


「確かにうちは遊女どす。ただ、うちらはむりくり旦那はんたちに抱かれるだけのお人形ちゃいます。うちらだって生きちょります。ただ、怒りだけで抱かんといてください。それと―うちら遊女の誇りを穢さんといてくださいな」


変わらぬ表情で、変わらぬ声音で。

男は、喧嘩を売られていると思っただろう。


紅い顔を、さらに怒りで真っ赤にして怒鳴った。


「この、ただの糞女がぁああああああ!」



着物がはだける。

左側に、強引に引っ張られゆるい帯で結ばれている布たちは、案外あっさりと道をあける。


男が見たのは、鎖骨や胸元ではなかった。



左腕の、双頭の鷹。




「お前は、化け物だ!人間を被った化け物だ!ただの人間にそんな痣ができるのか!?化け物だったら好きに抱こうが勝手だろうが!」

「――お姐さまをそんなふうにいわんといてください!」


ざっ。

前に、ちいさな影が立ちふさがる。



「お紗枝…」

「姐さまの体には確かに痣があるかもしれまへん。けど、月詠姐さんだって気にしているんどす!それでどれだけのお客はんが見限られて、どれだけ苦しい思いをしていたかしらんくせに!」


少女は、唇を噛みながら叫んでいた。
その両肩は小刻みに絶え間なく震え、たよりない姿であったかもしれない。
両手を広げ、精一杯私をかばうような姿勢をしていた。


けれど、彼女は決して泣くこともせず、凛とした声ではっきりと告げた。
自分の信じるものはここにある、と志を掲げて。



「なんも知らんくせに、月詠姐さんのことを馬鹿にせんといてください!」

「――さすがお紗枝。すぐに学習するとはさすがうちの専属やわ」


私は前に出た。

今度こそ、お紗枝をかばうように。


凛然と微笑んでやるのだ。


「さぁ、お相手はうちがしちょります。この子には手ぇださんといてくださいな」

「――やってやろうじゃねぇかこの野郎!」


かかれ!


男が口にすると、周りも酒の勢いがあってか私に襲い掛かってくる。


それぞれ、小刀などの物騒なものを持ち出して。



…そんなもの、所詮気休めなのに。


私の体は特殊。
そんなもので傷つけられてもすぐ治る。


私は、左腕を見せつけるように掲げ、宣言した。



「わかりました。天神・月詠、旦那はんがたのお相手をさせていただきます」



*****


「…ん?」


島原での道すがら、男性は通り道で喧噪を聞いた。



「またか…こりないものだ」


ため息をついて、予定を変更する。

ただいま、天神対浪士たちの戦のさなかに。








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内八文字…江戸で言う花魁道中での歩き方。
江戸では外八文字を行うが、江戸時代初期や京都では内側に足を踏み出す歩行法。
遊女が揚屋に行く姿を言う。
8寸…約24cm。
5貫…約20Kg。
禿…幼いころから遊女に付き添う7歳くらいの少女たち。このころから内八文字を習うものもいる。