ルールはこうだ。二人ごとの総当り戦で一番負けの多かった人間が床で寝る。三人とも一勝一敗になったり引き分けがあったりしたら延長戦をして勝敗数に差が出るまで続ける。ポッキーを両端からそれぞれ咥え、レフェリーの合図で同時に食べ勧める。相手より先に口を離したら負け。ポッキーが途中で折れた場合はレフェリーの判断により折った原因と思われる方の負け。最後まで食べ進めてしまったら……

「そ、そのときはそのときだ」

「そんな適当でいいのかい?」

「いいだろ。早くやろうぜ。もう眠いしよ」

 承太郎があくびを噛み殺しながらどすんとベッドに腰掛ける。一回戦目は承太郎対花京院だ。花京院はその隣に座り、レフェリー役の名前から受け取ったポッキーを口に咥える。承太郎がもう片方を咥えたのを確かめてから、名前は「よし、いくぞ」と音頭をとった。

「よーい、始めッ!」

 合図と同時に承太郎がぽりぽりと食べ進めて距離を詰める。早い!相手の花京院を圧倒する早さだ。花京院も負けじと攻めようとするがポッキーの強度を気にしてかどうしても躊躇がちになり思うように進まない。対する承太郎は大胆だ。もう折れちゃってもいいさくらいの心構えでいるのかもしれない。
 ポッキーはみるみる短くなっていき、もう半分もないとなったところで……

「いたっ」

「うおっ」

 承太郎の帽子のつばが花京院の額に勢いよくぶつかり、両者とも顔を離してしまった。
 まさかこんな結末になろうとは!というか承太郎帽子取っとけよ!と自分も気づかなかったことを棚に上げて名前は心の中で鋭く突っ込んだ。

「ポッキーは!?」

「折れて………………ねえ」

「え、うそだろ!?」

 絶対折れたと思ったのに、と花京院がシーツの上を見回すも承太郎の言うとおりポッキーの破片らしきものは見当たらない。花京院が先に口を離し、ポッキーは承太郎の口元に残ったまま折れずにすんだのだ。あわや引き分けかと思われたこの勝負、どちらが勝者かは歴然としていた。

「承太郎の勝ち!」

 ボクシングさながらに名前が承太郎の手を取り天高く振り上げる。花京院がうなだれて「クソ」と悪態を漏らした。どこからともなく決着のゴングが鳴り響き客席の歓声が聞こえてくるような気がしたが単に名前の気分が盛り上がっていただけである。

「な、なんか思ってたより楽しいかも……」

「ほう。今度はお前とだぜ名前」

 来な、と承太郎が凄んでみせる。さっきは物怖じしたものの、レフェリーとして傍から見ているとそこそこ面白いことのような気がしてきていた。名前は受けて立ってやると俄然やる気を出して花京院の退いたベッドの上に座り、一度深呼吸をする。ポッキーを咥えて帽子を取った承太郎の方へ差し出した。
 敗北の衝撃から立ち直った花京院が気を取り直してレフェリー役を務める。

「それでは、両者用意はいいですか?」

「はひゃふふはえろよ」

「なに言ってんのか分かんねえ」

 そう言いつつも承太郎が反対側を歯の間に軽く挟み、花京院が合図を出した。「はじめ!」
 名前は声を聞いてすぐ動いた。ポッキーから口を離さないよう齧り、進む。そして齧り、進む。
 しかしさっき見ていた承太郎のようにスピード感のある攻めには到底及ばなかった。なめくじのような歩みである。なにせこのポッキーゲーム、思っていたよりずっと難しい。ポッキーが折れそうで不用意に身動きできないのだ。
 名前に僅かながら焦りが出てきた。ポッキーから視線を上げてちらりと正面の顔を見る。承太郎はなんと、名前をじっと見つめていた。
 な、なんだ!?とは思ったものの動揺を表に出すことはできない。表情が変わったらそれだけでポッキーに力が加わる。そして折れる。名前は必死に耐え、そして承太郎を睨み返した。承太郎は動かない。それどころか、もしかしたらゲームの開始から全く微動だにしていなかった!
 しかし歯や顎の震えが出る名前と違い、承太郎は抜群の安定感でポッキーを咥えてじっとしている。日ごろ咥えタバコをしたまま歩いたり戦ったりしている成果なのだろう。そして海底の岩のようにじっと動かない承太郎を見て名前はピンと来た。相手は自分の自滅を誘うつもりなのだ!
 このまま動きがなければ、細いものを咥え続けるという行為に慣れていない名前は何かの拍子にポッキーを折ってしまうだろう。しかしだからといって食べ進めるという選択肢は名前の中になかった。だってできないから!これすごい難しい!
 名前は承太郎と同じ手を使うことにした。自分も動きを止めたのだ。それしかできなかったとも言うが、自身の尊厳と威信のため敢えての策だということにした。一勝の承太郎との対戦、ここで負けたら後がない。引くわけにはいかないのである。

 ところでそのときの承太郎だが、名前の考えていたような思惑は全くと言っていいほど頭の中になかった。彼が何を考えていたか?答えは単純である。何も考えていなかった。強いて言えば名前の百面相をじっと見ているのが少し面白かった。
 初めに名前がポッキーゲームをやろうなどと言い出したときは何を考えているのかと正気を疑った。もしかして自分と接触を持ちたいのかなどと楽天的に頭の沸いた考えを浮かばせるもしかし花京院ともやるのだからここで提案するのはおかしいと考えを却下。花京院目当ての場合も同様の理由で却下。結果、何も考えていないのだろうと見当をつけて、自分の下心を満たすために同意した。
 なんと承太郎、この同い年の男子高校生苗字名前が最近気になって仕方がないのである。気になると言ってもブラウン管の向こうにあるような淡い恋心でもなく、かといってクラスのやかましい女連中の黄色いミーハー心とも違ったなんと形容していいのか分からないようなもやもやとした感情なのだが、言ってみれば小学生男子の「好きな子ほどからかいたい」のと似たようなものだった。
 名前の反応を見るのが楽しいのである。
 昨日寝台を代わってやったのは単なる親切心も含まれていたが、そのときの名前の「おれ寝相悪いから落ちたらどうしよう……」「これ大丈夫か?本当に?途中で壊れたりしない?」というやけに弱気な言動が非常に面白かったので、それへのお礼のような感情が実は承太郎にはあったのだった。寝台を代わってやると言われたときの名前の心底嬉しそうな表情もそれはそれで単純なヤツだぜと思いつつ面白いものを見たと思ったし、要は承太郎、名前が面白くて仕方がないのである。やれやれだぜとかいい加減にしろよとか、ちょっと落ち着けとかいろいろ言っていてもなんだかんだ名前のことを目で追ったり甘やかしたりしているのはそのせいだ。
 これは恋心なのだろうか?そうだと言われることもあるだろう。承太郎自身は小動物や物珍しい動物をじっと観察していたいときの気持ちに似ていると思っていたのだが。
 とにもかくにも承太郎は勝敗などもはや気にしていなかった。一勝していて余裕があったというのもある。名前の反応をただただ純粋に楽しんでいた。感情が顔に出ないせいでそれを策だと捉えられたことは、どちらかというと良い方向に働いただろう。変に勘ぐった名前が余計に眉を寄せたり頬をひくひく動かしたりするはめになり、またその珍妙な表情の変化を鑑賞することができたのだから。

 名前のことに話を戻そう。名前は困っていた。心底困っていた。はじめこそ同じ策で対抗してやると意気込んだものの、相手の承太郎、無表情のままじっとこちらを見つめ続けてくるのである。怖い。勝てない。でも負けたくない。唇に触れているチョコレートのコーティングが緩やかに溶けていくのに勝負を急かされる。
 しかしどうすればいいというのだろう、承太郎はきっとこのまま動かないだろうし、自分は動けない。困り果てた名前はハッと気づいた。この場にはもう一人いるじゃあないか。そして花京院に素早く目配せし、目で訴えた。花京院!ヘルプ!!

 そのとき花京院は考え事をしていた。名前のアイコンタクトなど全く気づかなかった。彼の疑問はこうだ、果たしてこんな自分でよいのだろうか、と。
 なぜこんな哲学的な問いをぐるぐる彷徨わせているかと言えば、発端は今現在行われているこのポッキーゲームに他ならない。花京院はポッキーゲームをやるのが初めてだった。いや花京院どころか名前も承太郎も初めてだったのだが、それは彼の知るところではない。とにかく花京院は慣れないポッキーゲームにどぎまぎしていたのだ。承太郎と同じくおくびには出さないので誰も気づいていなかったが、花京院は今わずかながら気分が高揚していた。ぼんやりと自分が自分でなくなっていくようだった。
 花京院の生い立ちから話そう。大部分は省略するが、重要なのは彼がこの年頃の男のやりそうなことをあまりやってこなかったということである。正確に言えば「同年代の友達とやることを」だ。
 花京院典明はゲームが好きだったが、対戦ゲームはもっぱらCPUと戦っていたし基本的には一人でも事足りるようなRPGが主な娯楽だった。本を読むのも好きだし絵を描くのも上手い、加えて物静かにしていることが苦にならないため好き好んで一人でいるのだと周りには思われていたが、それは誤解だった。花京院は誰かと遊んでみたかった。誰かと馬鹿騒ぎをしてみたり、だらだらと意味のない時間を過ごしてみたり、そういう青春っぽい時間を味わってみたかったのだ。
 承太郎たちへ同行することを決めたのは彼らのその真っ直ぐな瞳やホリィへの温情など他のことが要因だったが、その後で段々と承太郎たちと一緒にいることそれ自体に心地よさを感じ始めていた自分に気づいていた。花京院は今この時間がこの上なく楽しかったのだ。
 しかし承太郎たちの目的はなんだったか?言うまでもなく宿敵DIOの討伐である。自分を唆して操ったおぞましい仇でもある。ジョースター一行は遠足や修学旅行に来ているのではない、真面目に命の取り合いをしに異国の見知らぬ道を歩き続けているのだ。
 みんな真面目で、死に物狂いだ。そんな一団の中で花京院は疎外感を感じはじめていた。僕だけが。僕だけがこの旅を楽しんでいる。
 不謹慎だ。承太郎や名前、ホリィに対する裏切りだ。花京院の中で厳格な良心が非難の声を上げる。そんなときだったのだ、このポッキーゲームが始まったのは。
 今までの道中で起こったことと比べても飛びぬけて馬鹿っぽいし、意味がないし、すごくどうでもいい。こんなに愛おしい時間が他にあるだろうか?花京院典明は楽しいと感じる心を殺し切れなかった。楽しさと嬉しさと、罪悪感と自己嫌悪が混ざり混ざって彼の腹の中でぐるぐると回っている。そんな状況だったのだ。

 しかしそんな花京院もとうとう名前の視線に気づいた。ばっちりと目が合い、何かを訴えてくるような強い瞳を正面から受け止める。花京院は思った。名前に何か悟られたのかもしれない、と。
 何を察したのかは分からない、しかしあの視線は確実に自分へ向けて何かを言わんとしている。もしかしたら名前は、自分の思いを知っていて、それでこのポッキーゲームを提案してくれたのではないだろうか?名前が見た目より繊細な精神を持ち合わせていることや、他人が思っているより周囲に気を配る性分だということを花京院はこの一ヶ月で十分理解していた。名前ならばありえる。名前ならば、この自分の複雑な感情の切れ端をどこかで拾って来るべきときに手を差し伸べてくるようなことをしかねないのだ。
 なんて優しいのだろう。そして友達に気を遣わせる自分は、なんて情けないのだろう。
 花京院は背筋をぴんと伸ばし、一瞬のうちに今まで考えていたことを拭い去る。そして名前に向けて渾身の微笑みで頷いた。ありがとう!僕は大丈夫だよ、名前!

 名前はえっ?なに?え?と思った。花京院は何か満足げな、嬉しそうな様子で頷いたがこの動かないポッキーゲームをどうにかしてくれるでもなく、なぜか晴れやかな表情でニコニコと自分を見つめている。何かが間違って伝わったのは間違いない。
 その後も何とかチラチラと視線を送って見るが、その度花京院は輝かんばかりの澄んだ瞳で頷いてくるので名前はとうとうレフェリーを当てにするのを諦めた。そして意を決した。
 攻めなければ。攻めずして勝とうなどということが間違いだったのだ。相手が来ないなら自分から行くまで!
 と正面に視線を戻すと、承太郎の顔が思いのほか近かった。まさに目と鼻の先である。
 名前が花京院の方へテレパシーを送らんと集中していた間、承太郎はこっそりとポッキーを食べ進めていたのだ。もう焦点が合わない距離に相手の顔がある。何センチポッキーが残っているのかも分からない。唇が何かに掠ったような気さえして、名前は反射的に後ろへ飛びのいた。承太郎が無表情のまま自分の口元に残ったポッキーをぽりぽりと食べ切り、花京院が凛とした声で勝者を告げる。

「承太郎の勝ち!!」



 さて三回戦、つまり最後の勝負は共に一敗同士の名前と花京院だったが、やる気満々の花京院や高みの見物と言った様子で帽子を被り直した承太郎をよそに、名前はベッドにうなだれたままか細い声を出した。

「もうおれ床でいい……」

 疲弊しきっていた。負けたくないからと自分で言い出したポッキーゲームにこんなに体力を吸い取られるとはまさか思ってもみなかった。完全に誤算だったのだ。そろそろ本格的に眠くなってきたこともあり、名前は戦線離脱を申し出た。もう床でもいい。早く寝たい。

「え、や、やらないのかい?」

「なんだよお前……その期待に満ちた瞳は……さっきからキラキラしやがって……なんでやりたいんだよ。不戦勝、いいじゃあねえかおい」

「い、いや……僕、今までこういう遊びしたことなかったから……」

 花京院がおずおずと本心を切り出す。名前が自分の心中を察しているのだと誤解したのが功を労して、花京院は抱えていたもやもやを少しだけ吐き出すことができた。

「だから、今こうして旅が出来て少し嬉しいんだ。旅の目的はもちろん忘れちゃないよ。不謹慎だろうとも思ってる……だけど、やっぱり君たちと一緒にいるのが楽しいよ」

「え、ええ?ああ……おれも花京院といるの楽しいよ」

「くだらねえ。それとこれとは別だろうが」

「そう?そうかな……フフ、ありがとう」

「あー……えーと……じゃ、じゃあ、やる?三回戦」

「いや、いいや。なんか友達ってこいうことしない気がする」

 わかってんじゃねーか!!名前が肩を落とすのと同時に花京院がどっと笑う。承太郎も僅かに笑っていて、名前に向かって掛け布団を放り投げた。布団に直撃された名前は「わぶっ」と潰れた声を出してバタバタと両手を動かし、外へと這い出る。

「やったなこの!」

 手元にあった枕を承太郎に投げつけた。それを難なく受け取った承太郎、息をつく暇もなく名前に投げ返す。見事顔面で受け取った名前が勢いをそのままにベッドへ倒れこんだ。
 それを見ていた花京院が、ゆっくりと枕を手に取り、しかしなかなかタイミングが掴めずに腕の中で枕を持て余す。投げちまえ、と承太郎に言われてやっと花京院は枕を名前に投げつけた。承太郎がしたときと同じように「てめえもか!」と名前から罵られると、ほっと安心したような、照れくさいような笑みを口元に浮かべて二つ目の枕も投げつけた。

 この後二度とこんな方法で寝床を決めることはなかったが、だからこそ、この馬鹿馬鹿しい夜は三人にとってかけがえのない思い出の一つとなり、名前に「考えなしに行動してはならない」という教訓を与え、承太郎に名前の顔をじっくり観察する機会を与え、花京院には他の二人とより一層打ち解ける転機となった。
 闇の真っ只中にあったようなエジプト道中においても、会話があった。ふざけあいがあった。仲間を結ぶ温かで柔らかな絆があったのだ。

 ポッキンナベイベー!


予断だがポッキーゲームで夜更かしをした三人は結局ろくに疲れが取れず、次の日の移動中に列車の中で三人仲良く居眠りをし、その様子をジョセフの持参したインスタントカメラにばっちり収められていた。承太郎においては旅から帰り数年立った今でもその写真をネタにして祖父にからかわれているということである。


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